いいよいよ最後の目的地に向かいます。

 

熊野那智大社の門をくぐるとすぐ隣が青岸渡寺です。

 

一応隔ててはいますが、明治になるまでこの辺りは、神道の神社でもあり仏教寺院でもあった一体化した施設でした。

 

Wikipediaには以下のようにあります。

「明治時代になり神仏習合が廃されると、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂は有名な西国三十三所の第一番札所であったため、ひとまず破却はせずにしておいた。ただ、仏像や仏具は補陀洛山寺などに移され、空堂とされた。

 

しかし、1874年(明治7年)に古くからの信者らによって熊野那智大社から天台宗の寺院として独立し、新たに「青岸渡寺」と名付けられて復興した。寺号は豊臣秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来するといわれる。」

 

 

花手水舎:

ここが西国三十三所の第一番札所で、二番札所の紀三井寺には既に参りました。和歌山に3つある札所の残り一つ、第三番札所・粉河寺にもいつか訪れたいなぁ。

 

紀三井寺を訪れた時の記事:

 

那智の滝を背景にした青岸渡寺・三重塔:

ある意味このアングルの写真が一番アイコニックな写真かもしれません。

 

ボクだけかもしれませんが、仏教寺院と神聖が宿るとされる滝が一緒に写っていても何の矛盾も感じない。神仏習合の概念は今でも根強く受け入れられているのではと思う瞬間です。

 

とはいえこの三重塔は1581年に焼失して以来ずっと存在していなかったものを1972年に再建。フォトジェニックな感じは近年になってからのものだったんですねぇ。

 

そして今回の最終目的地、那智の滝のふもと、飛瀧神社(ひろうじんじゃ)へ向かいます。

 

鳥居をくぐり、この坂を下った先がそれです。

 

到着!圧倒されます。神倉神社のゴトビキ岩もそうですが、いにしえの人々はこの雄大な自然の造形物に大いなるものを感じたのだろうなぁ。

 

ブラタモリによると、地形は水の流れで浸食されていくものですが、硬い流紋岩で岩肌ができていて浸食が進まず、落差の大きい滝を今でも維持しているのだと。

 

飛瀧神社・那智御滝:

 

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投稿が飛び飛びになってしまいましたが、ともあれこれで熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を初めて3つとも回ることができました。パチパチッ!お付き合いありがとうございます。これで滅罪浄化できたでしょうか。

 

以下のページで「熊野古道」がテーマの記事のみ連続で読むことができます。

 

今回の移動:

 

Relive:3Dマップ上で今回の行程を見てみよう。