天狗はいらっしゃるね。
いや、知ってたけどもね。
子供の頃から高尾山の烏天狗恐いってイメージを抱いていたけども、それは例えるなら、かかりつけの医者のことを子供心に怖いじいさんだと思ってたけど、ある年齢を境にとても丁寧で親切な先生だったと気付いたような感慨ですね。
高尾山の天狗衆はよく訓練されているというか、修行を積んでいて親切というか、徳が高いというかね。あれだけの人混みだから、分かりやすく伝えようと、ああいった形になったんだろうけれども、今日はともかくその出来事の忘備録。
ここ数日でふと思い立って新しい勉強を始めようと動き出したんですが、その流れで高尾山の薬王院でご利益を頂こうと詣でまして。
リフトを降りたら青空も見えて、下界も都心までくっきりという中々に清々しい参道を、今この時期でこの群集なら正月はどうなるの?? っと思いながら薬王院まで取り付いて、まずは弁財天社からお参りさせてもらいました。
高尾山に弁財天社? と思われるのも無理はないですが、ちゃんと境内図を眺めればしっかり載っていますからね。別にシークレットでもなんでもなく。
ただ、マイナーっちゃあマイナーなので、私以外誰も参拝者はいませんでした。いつもながら。
しかし、誰かが詣でているのは間違い無く、というのも、弁天社は山肌に穿たれた大人が腰をかがめて入れるくらいの洞窟なんですけども、その口から白い煙が流れ出てくる。まるでドライアイスを焚いたようにね。
そりゃあもう雰囲気ありますよ。
これ、中入って大丈夫なやつ? 怒られない?
というかサイレン鳴ったりしない?? と一瞬思いましたが、別に禍々しくもなく、単に線香の煙が冷気に晒されて上昇出来ず、蛇のように這い出してきてるだけですし。むしろ白蛇ならこれ以上ない徴ですしね。
持参した蝋燭に火を灯し、線香を焚き、真言を唱える。それにしても誰も来ない。完全なる人払い。プライスレス。
余談ですが、御朱印集めもよいですが、そろそろ蝋燭、線香、ライター持参で参拝する流れが来てもいいと思うんですよね。周りの観光客はギョッとするけども、巡礼に慣れた立場からすると逆にお前らなんやねん?? ってなりますけど。
さて、薬王院本堂、飯綱権現社、奥の院と詣でて、思い出した自転車のシートポストに付ける御守りを頂いて、帰路についたときですよ。
山門を出ると後ろから声がする。声がするといっても周りは観光客、登山客でごった返してるので、ガヤばかりでしたが、何故かその会話が耳に入ってくる。
努力について話をしているんですね。
カップルなのかな、何故か男性の方が、結果が付いてこなかったのは努力が出来なかった仕方ない理由があるし、それを責め立ててやる気を削いだら逆効果だと主張。どうもおみくじかなんかの結果について話している様子。
女性も負けじと反論します。仕方ない理由があろうとそれを含めて結果が出なかったのは努力が足らなかったからであると取りつく島もない。
その後も、一方的に一に努力、二に努力と話は続いて高校受験の時には夢の中でも勉強してたからそれくらいやらなくてはだめとまでいって、彼氏はタジタジな雰囲気を背中で感じ、ははーん、これは天狗の説教だなと気付いた訳です。
聞くところによると、天狗の性分として、非常にストイックで空気も読まず他人にも厳しい指導者的なところがあるそうで、正に女性の言動はそれに当てはまる。
そして、その彼女の言葉はビシバシ私の心にも届いていて、というのも、今書きかけの小説をほっぽり出して、新しい事を始めようと思っていたものだから、厳重に釘を打たれた気分になった訳です。
でも、嫌いじゃないぜ、こういうの。
というか、この年になると身になる説教なんてしてくれる人いないし、ましてや天狗殿、山門の外まで追っ掛けてきて、わざわざ夫婦問答まで拵えてくるなんて、尊さしかないでしょう。
偶然だからこそ、こういう辻占のような出来事は意味を持つので、おみくじに頼らずとも、みなさんも参拝の前後に起こる事を注意深く捉えるようにしたら、身につくものも多い事でしょう。
ここから先は余談ですが、昨日も少し不思議な事がありまして、フリー切符片手に完全ノープランで東京メトロに乗って、思いつきで銀座で降りて、方向も分からず小雨の中歩いて、次の駅を見つけたら有楽町線で、池袋方面に向かったら飯田橋通るもんだから、そこで下車するしかなかったんですよ。東京大神宮は素通り出来ない。
でも、もう17時前だったので、行くだけ行って閉門してたら仕方ないと辿り着いたら足に突然の激痛ですよ。
お前、参拝せんとここから帰さんからなとでも言うような、どうにかして寄らせたい意思を感じ、ああ、前に利根川サイクリングしてたら香取神宮の手前で似たようなことあったなあと思い出しました。
東京大神宮の社頭に立つと、参拝客は誰もおらず、警備員さんが仁王立ちしている。日中は若い女性が長蛇の列をなしているのに、いくら夕方とはいえ、何事? と思っていると、警備員さんに押し留められる。
あれ? 今日は打ち止め?? と思いきやそうではなく、神職さんが賽銭を回収していて、しばし待たれよという意味だったらしく、用が済んだら笑顔で立ち去っていきました。
気を取り直して手を合わせると、この先もう無いであろう、御幌が風もないのにふわりと揺れまして。ひょっとすると、このご縁のために御眷属かなにかわからんですけど、強引な足留めをしてくれたような気がするんですよね。
そういうわけで、小さな変化に向き合うことって大切だよってお話でした。

