スピリチュアルが絶対に言わないこと、悪魔(サタン)の罠とは? | 脱スピリチュアル

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平成元年生まれ、高校生で北海道の川に落ちてから、スピリチュアル歴12年。
波動測定器も3台購入してスピを超研究した末にすべて辞めた男。

 

 

こんばんは!

マット運動が得意な

かわけんです照れ

 

 

スピリチュアルが絶対に言わないこと、悪魔(サタン)の罠とは?
 
 
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神に徹底的に反逆する原理

悪魔 (サタン)

みなさんは一体どんな
イメージでしょうか?



こんなのや
 



こんなの
 


でしょうか?
 


悪名高きサタンですが

実は 美しい のです
キラキラ


地球人類の超ベストセラーであり
第1級の歴史書である聖書には


あなたは全きものの典型であった。
知恵に満ち、美の極みであった。
旧約聖書 エゼキエル書 28章12節


というサタンについての
記述があります。

神が「美の極み」と称した
悪魔(サタン)がもしも肉眼で見えたら
どれほど美しいことでしょう?乙女のトキメキ


見てみたいような
見たくないような...


とにかくここで分かることは
サタンは人間にとって魅力的な存在

知恵や美しさなど
人間の欲望を掻き立てる要素
持っているということです。


「知恵に満ち」と書かれている通り
スーパーエリートだったサタンですが

あるとき自分の美しさに高ぶり

罪を起こして神の園エデンから
追い出されてしまいます。


かつては
全きものの典型だったサタンですが

それ以来
 
神に徹底的に反逆する原理として

この地上を蛇のように
彷徨う存在となりましたあしあと


そして人間を誘惑し
神から逸らして罪を犯させようと

今もなお、あらゆる
心理的・霊的攻撃
僕達に日々仕掛けてきています。


サタンは英語で
「accuser アキューザ」
訴える者、告訴人という意味があり

僕達が神から逸れて罪を犯す度に
天の法廷で僕達を神に対して告訴して

僕達人間も罪を犯す失敗作であることを神に証明し、サタン自身を正当化するために日々働いています。


サタンは自分の美しさに高ぶり
高慢になって神の園から追放されましたが

会社組織で例えるなら
社長の言うことに徹底的に反逆する社員
とでもいいましょうか。

まあ、普通に考えて
「クビ」ですよね。笑


しかし、聖書では
人間もサタンと同じ罪の性質
(刑法上の罪ではなく、神の前の罪)
があり

自分が支配したいという支配欲や
自分が認めたやつは良くてそれ以外はダメなどの自己中心性を持ち合わせているとされています。

とにかくサタンは
毎日僕達の心に語りかけ

「ちょっとくらい大丈夫さ」

といって罪へと誘惑して
悪へとどっぷりさらっていきます目


悪を繰り返すうちに良心がマヒして

悪を悪だと思わない不道徳な道へと
堕ちるところまで堕ちてしまいます。


さらに、聖書の別の箇所には
こんな記述もあります。


しかし、驚くには及びません。
サタンさえ光の御使いに変装するのです。

新約聖書 コリント人への手紙 第二 11章14節


ここに書かれている通りサタンは
いかにも悪い奴そうに登場するのではなく

巧妙に良い奴のフリをして
僕達の前に登場するので
とっても見極めにくい存在なのですひらめき電球


そして、サタンは神を神とせず
神よりも自分の方が正しいと公然と主張し

まるで自分が神のように思い込んで高ぶり
神の園エデンから追放されましたが

サタンの最大のウソは
「人間は自分が神のようになれる、神のように自分が世界の善悪を決められる」ということです。


「あなたは神のようになれる」とはサタンのウソであり最大の誘惑でした。


あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。
旧約聖書  創世記 3章5節


サタンは今も僕達人間に対して
「自分にとっての神とは、自分自身であって、神の善悪を守る必要はなく、自分で自分が守るべき善悪を自由に決定することができる。」といって誘惑するのです。 


また「神はそもそもいない」等と言って
無神論や虚無主義へと、人間の思想を神から逸らしていくのがサタンの上等手段です鉛筆


つまり、スピリチュアルの世界で流行っている「自分が神」で、自分が認めたものが良く、認めないものは悪いという自己実現と快楽追求思想は、神になろうとして失楽園したサタンの道であることが聖書を読めばハッキリと分かります。


聖書が言っていることは

自己実現ではなく神実現であり
自己中心ではなく神中心です。


(自分の目的実現のためではなく
  神の目的実現のために生きる)


たしかに、個人主義へと進む現代社会の中で心が傷つき、疲弊してしまうことは沢山あります。

そこに「あなたは悪くないよ」と言われれば心はホッとするでしょう。
 
確かに励ましも大切です。

しかし、だからと言って
「なんでもOK!なんでも受容するよ」
といってしまえば法律と道徳とモラルは
この世界から消滅してしまいます。


時代がどれだけ変わろうと
人の本質は変わらず

人としてやっては
ダメなことはダメであり

自分が間違っていて傷ついている場合は
自分の過ちを認めて方向修正する必要があるのですクローバー


仮にスピリチュアルの言うように

もしも一人一人が神になる
この世界はどうなるでしょうか?

それぞれが
自分の正しさを公然と主張して
本当に調和するのでしょうか?

仮に全人類の願いがすべて叶ったならば
この世界は果たして立ちゆくでしょうか?


その教えの先にあるのは実のところ
エゴの拡大と秩序の崩壊なのです。


どれだけやっても
何を手に入れても虚しく
魂が満たされることはありません。
(経験者は語る)

真の魂の充足は
サタンからではなく
神から来るからです。


サタンの誘惑はたしかに
人間にとって魅力的で
聞こえがよい教えです。

しかし当然のことですが

人の善悪はみんな違い
価値観もみんな違います。


一個人があらゆる世界の文化や
宗教や時代を超えて普遍的な
人類共通の善悪を線引きして
決定することはできません。


僕が決めた善が
世界の善にはならないし

僕が認めた人だけ生き残り
認めない人が裁かれることはありません。

それぞれが神のようになってしまえば
この世界の秩序は崩壊へと向かいます。


これこそ聖書のいう
エデン(完全調和の世界)の崩壊です。


この世界に
あらゆる個人的な善悪が満ちて
本当の善悪が何か分からなくなり
不道徳になりモラルは低下していきます。


以前は僕も神のようになり
世界の善悪を決めれるように
勘違いしていた時期がありますが


今は高ぶっていた自分を
心の底から恥じています。

これこそまさに聖書が
最も戒めていた罪(的外れ)だったのです雨


もしも

この世界の普遍的な
善悪を決めることができる
唯一の実存がいるとしたら

それは宇宙を創った
設計者である神だけです。

神が決めた善悪の基準に
人類一人一人が合わせ
悔い改めて方向修正する道に

本当の調和と秩序、愛と平和
エデンの回復があるのです 地球


そして

神が定めた世界の善悪の基準が
明確に書かれているのが聖書です。



まさに時代も宗教も超えた
普遍的な生きる指針、バイブル

クリスチャンでもない僕が

スピリチュアルから
脱スピリチュアルに至るための
唯一の書物が聖書でした。


スピリチュアルの教えが
絶対に言わないことは
人間の「罪」です。


今日あなたの心はどうでしょうか?


聖書が時を超えて
最も戒めている

「自分が神」という方向性の
思想に向かっていないでしょうか?


願わくば一人一人が
自分自身を神にしたサタンの道ではなく
快楽の追求ではなく本当の神に従う道を
歩んでいけますように虹



Soli Deo gloria