【本当の自由意志とは】自由意志を解きほぐし、格差の問題を考察する 搾取やイジメ、虐待のない世界を | 脱綺麗事ブログ

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【本当の自由意志とは】自由意志を解きほぐし、格差の問題を考察する 搾取やイジメ、虐待のない世界を目指して
#自由意志 #脳科学 #無意識 #教育 #育児 #虐待 #毒親 #尊敬 #自己犠牲

 

 

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■はじめに

前回の自由意志に関する動画が、思った以上に好評だったのはいいのですが、私の至らなさから、不快な思いをさせてしまったり、傷つけてしまったことを、ここにお詫びします。

それと、前回私の恨み節が炸裂したため、私は憎しみの塊だと思っている方もいるかもしれませんが、それは誤解です。

虐待やイジメを放置し続ける社会への憎しみはありますが、その憎しみを表に出すか出さないかのコントロールはある程度はできています。

体調は悪いですが、生活保護のおかげでなんとか生活できており、生きているだけで幸せを感じることができています。

たまに無理をしすぎて、怒りの感情が暴走することはありますが、そうならないよう以前より休む時間を増やしてもいます。


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本当は、自由意志のような究極の難問は、考えるのがとてつもなく疲れるので、もっと目の前にはっきりと見えている、わかりやすい課題に関する動画を上げたいと思っていました。

ですが、気がついたら無意識的に自由意志について考えてしまったり、視聴者様からのコメントにより改めて考えさせられ、また、自由意志の沼にハマってしまいました。

そこで、今回は、もう一度自由意志の問題について取り上げ、できるだけ変な誤解が生まれないよう、丁寧に、誰でも理解できる形にして、お伝えできればと思っています。

今回は、悪口や暴言は出てこないので、安心してください。


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■人々が感じている自由意志

人々が自由意志と感じる要素について、モンローとマレの研究から抽出された主なポイントは以下の3つです。

1、決定や選択をする能力(65%):
被験者の65%が、自由意志を行動や選択をする能力と関連づけています。これは、自分の意志で決断し、選択することが自由意志の一部として捉えられていることを示しています。

2,自分がしたいと思うことをすること(33%):
33%の回答者が、自由意志を自分が望む行動を実現する能力と結びつけています。これは、自らの欲求や希望に基づいて行動することが自由意志の体現であるという視点を示唆しています。

3,内外の要因に拘束されずに行動すること(29%):
29%の参加者が、自由意志を内外の制約から解放され、自分の意志で行動できることと結びつけています。つまり、外部の制約や状況に左右されずに行動することが自由意志の一環と見なされています。


この3つの自由意志の定義は、人間が勝手に思っているだけの主観的な自由意志であり、私や科学者が追い求めている客観的な自由意志とは少し異なります。


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■科学的で客観的な自由意志

客観的な自由意志とは、遺伝と環境に拘束されない、真の自由意志のことです。

もし、これがほんとうにあるのであれば、人は遺伝や環境によって支配された、ただの動く機械ではないことが証明されます。

私も主観的な自由意志は感じていますが、人の意志の力には限界があります。
たとえば、過度なストレスや疲労を感じている時には、意志力が低下することが知られています。

どれほど主観的な自由意志を信じていても、疲れ切っていたり、寝不足だったり、激しい怒りに駆り立てられた時などは、誰もが怒りっぽくなるものです。

遺伝や環境が異なるにも関わらず、私達は辛い時、苦しい時、しんどい時などは、健康体の時とは違う言動をとってしまうのだと思います。

生まれ持った遺伝や生まれ育った環境が違うのに、ある特定の環境におかれた場合、私たちはだいたい同じような行動をとってしまう。

果たしてそれを、本当に自由意志と呼んで良いものなのか。
行動の選択肢はたくさんあるはずなのに、ある環境に放り込まれたら、同じような行動をしてしまう。
それが、人間なのだと思います。


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そもそも、人間のDNAの個体差は、塩基配列の0.1%程度と言われています。
この塩基配列の違いが、顔や性格などの人の多様性につながっているとされているようです。

たった0.1%の違いで、なぜここまでの格差社会が生まれてしまったのか。

私からみれば、天才と呼ばれる人も、一般の人たちも、皆が思っているほど差はないように感じています。

一般的に頭がいいとは、学校の成績が良いことが挙げられますが、学校の成績なんて、教科書を丸暗記すれば、ほとんど誰でも成績はあがります。

必要なのは、読解力や記憶力、計算の正確性と速さ、くらいではないでしょうか。

その数値が高いか低いかだけをみて、頭がいいとか悪いとかを人は決めている。
人の価値をそれだけではかれるとは、私には到底思えません。
ただ、勉強を頑張っている人を効率よく探すという意味合いにおいては、いい方法だと思っています。


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■客観的な自由意志の証明方法

私は前回の動画で、どうすれば、客観的で科学的な自由意志を証明できるかについて、述べさせていただきました。

一卵性の双子の赤ちゃんと、一卵性の双子の両親を用意して、遺伝と環境がほとんど同じ状況下で赤ちゃんを育てると、その赤ちゃんは、将来全く同じような人間になるのか、それとも、真の自由意志の影響によって、異なる人間になってしまうのか。

それが、今一番私が知りたい真実です。

私の予想では、遺伝や環境が同じであれば、おそらく、ほとんど同じような人間ができあがると予想しています。

物理法則の中には、確率的にしか知ることができない領域が存在し、その不確実性が人間に自由意志があるかのように錯覚を抱かせている可能性も、十分あるとみています。


人間の頭だけで、人間の無意識の全ての活動を把握することは不可能だと思っています。
私たちの意識では、無意識のほんの一部しか認識することができないからです。

だから、この領域に関しては、脳科学の先生や、行動遺伝学の先生に任せるのが、一番だと思っています。


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■弱者と強者について

私は、前回、弱者と強者という言葉を使って、この社会の格差の説明をしました。

今回は、もう少し深掘りをしたいと思います。


私が考える、弱者と強者の定義とは、
健康、人間関係、仕事の3つの項目の満足度を足した数値が、平均以上は恵まれた人とし、平均以下の人は恵まれない人として位置づけます。

人間の頭では、この複雑な社会システムを正確に全て把握することは不可能なので、ある程度単純化してお話します。

なぜ、健康と人間関係と仕事の3項目を選んだかというと、この3つが原因で、人は自シすることが多いからです。

これが原因で自シするということは、この3つの項目は、人の幸福にもっとも影響しているものである、と考えることもできます。

この3つの要素は、体、心、頭、と言い換えることもでき、
体や心、頭を鍛え、能力を高めることが、恵まれた側の人間になる近道だと思います。


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この恵まれた強者と恵まれない弱者にも様々なタイプがいて、自発的に努力する人や、誰かから強制されて努力している人、また、怠惰や甘えにより、全く努力しない人や、病気や障害が重すぎて、そもそも努力できない人など、様々なタイプが混在すると見ています。

自らの意志で努力する者とは、自分の努力を努力とすら感じていないような人のことです。
自分が好きなことだから、苦痛に耐えて頑張ることができる。
例えば、スポーツ選手やアーティストなどでしょうか。


次に、強制されて努力している人というのは、親から無理やり勉強させられたり、好きでもない会社で嫌いな仕事をしている人たちなど、やりたくないことを強制されている人達です。

このような人たちが、もっとも辛い人生を歩んでいるのだと思います。
亡くなった、三浦春馬さんを思い出します。
あのような優しい人こそ、長生きできる社会にすべきです。

強者の中には、宝くじがあたった幸運により、弱者側から強者側にうつった人もいれば、弱者の中には、ものすごい経営者だったのに、社会の変化についていけず廃業してホームレスになった、元強者もいるのかもしれません。

そのように、人生のあらゆる出来事の中で、人は幸せになったり、不幸になったりして、この、恵まれているのか恵まれていないのかという狭間を行き来しているのだと思います。


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■私が嫌いな強者と弱者

私が嫌いな強者とは、弱者を努力不足だと決めつけて、低賃金でこき使う、経営者や幹部連中のことです。

彼らは、人ではありません。

自分が経営者側になったのは、自分だけの努力のおかげだと思い込み、自分の高い報酬を正当化し、弱者を奴隷のように働かせて搾取する。

最低の人間だと思っています。

ですが、なぜこのような人間が生まれるのでしょうか?
よく社会は厳しいと言いますが、そうしているのは私達自身です。

私たちが皆で、社会は厳しくあるものだ、と考え、作り上げられた社会が、今の傲慢な経営者や投資家たちだけが得をする格差社会です。

集合的無意識も関係しているのかもしれません。

人の上に立つべき人間が、人の痛みを知らない人間だったら、社会はどうなると思いますか?

自分たちの利益の最大化を第一に掲げ、回復が間に合わない速度で自然を破壊し、動物を必要以上に痛めつけ、立場の弱い人間を、お前らが努力しなかったから悪いといって搾取する。

これが今の世界です。

ただ、希望としては、著書、ファクトフルネスにあるように、世界は少しずつ良くなってはいるようです。


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次は、私が嫌いな弱者についてです。

弱者の中には、さっき述べたような、心身共に健康で、努力できる環境にいながらも、全く努力をしない怠惰な人間がいることも、また事実です。

私は自分で言うのもなんですが、結構努力してきたつもりです。

心理学の本を読んで、はじめて勉強の面白さに気づいたはいいものの、目と心臓の状態が悪かったため、大学での勉強はとても苦労しました。

私が自分の病気を隠しすぎたために、多くの人に誤解を与え、傷つけてしまい、嫌われることもありました。

だから、今回は、できるだけいつも家にいる自然体のような状態で、全てをさらけ出すと決めたのです。

私が本音を語って嫌われてきましのであれば、それでいいと思っています。

そんな人生を歩んできたので、甘えていたり、怠けている人間は、みていて本当に腹が立ちます。

自分でやればできることを、人に依存してやってもらおうとする。
成長意欲もなく、楽することしか考えていない。

こんな人間は、私も嫌いです。



また、たとえ遺伝や環境が悪くても、暴力や暴言、幼稚な言動をとるなど、一緒にいて不愉快な人も嫌いです。

特に大阪は、暴力的で下品な人が多いので、私との相性は最悪だったと思います。

私は今も昔も、優しく真面目な人が好きです。


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■愛ある親が少ない日本

親から愛情を感じている子供は何%いるかご存知でしょうか?


2020年の我が国と諸外国の若者の意識に関する調査、という資料によると、

日本は80%の子どもたちが、親の愛を感じているようです。
逆に言えば、20%が親の愛を感じていない子供たちということです。

これは、各国の1000人の若者を対象に調べたもののようです。

他の国に比べて、日本だけ、親からとても愛されていると感じている子供たちが少ないことがわかります。

韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンの、とても愛されている率の平均値が61.1%なのに対し、日本は、たったの34.9%しかありません。


これは、いかに、日本の親の愛情が、諸外国と比較して少ないか、ということの現れだと思います。

親の愛がかけるとどうなるか?

昔の私のような、愛に飢え、自分のことしか考えられない自己中心的な人間が増えるのだと思っています。


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それでも、日本は、親から愛されている子供は80%と大多数なので、良い家庭で育っている人の方が、私のような虐待に苦しめられてきた人よりも、多いことも事実です。


私は前回、主観的自由意志は、恵まれた人にとって好都合といいました。

親の愛を感じる子供を恵まれていると仮定すると、日本の80%の人間にとって、主観的な自由意志は自分たちの自己肯定感をあげてくれるものである、と言い換えることもできるかと思います。

つまり、親の愛に恵まれている人にとって、主観的な自由意志はプラスに働くが、親の愛に恵まれなかった人たちからすれば、主観的な自由意志はマイナスに働くということです。

主観的な自由意志とは、親から愛されていい人間になれば、自分がいい人間なのは、自分が自分の自由意志で頑張ったからだと思うことができ、幸福感を上げてくれる。

親の愛がなく悪い人間になった場合には、自分が悪いのは自分の自由意志によるものだと考えると、自己否定に繋がるため、環境や親、社会が悪いと思いたがる。

私はそのように結論づけました。


私は、親から愛されていない少数派の20%を、手厚く支援することで、この国はもっと良くなると考えています。


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■好きな強者と好きな弱者

私は全ての強者を嫌っているわけではありません。
たとえ、自由意志を信じていても、尊敬できる人はたくさんいます。

過労シ寸前の状態にも関わらず、人のために働いている、医者や教師、その他大勢の長時間労働者には、頭が下がる思いです。

私は、彼らの犠牲のおかげで、今、生活保護を受けて、生きることができています。

もし、生活保護を受けられなかったら、ホームレスか、犯罪者か、自シくらいしか、選択肢はないのだと思います。

でも、日本には、素晴らしいNPO法人も増えてきているので、そのような方に巡り合うことさえできれば、生活保護を受けられなくても、人に迷惑をかけずに生きることはできるのかもしれません。

生活保護の、タダで医療を受け放題問題についても、いつかは触れたいと思います。

とにかく、日本を支えるために自分の睡眠時間を削ったり、単身赴任で家族にさえ会えない状況の中、疲労と孤独に耐えているサラリーマンの方々は、本当にすごいと思っています。


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好きな弱者とは、現在の状況を打破するために、必死に努力しようとしている人たちです。

思い返せば、私もその立場だったと思います。

両親を見る限り、自分が幸せになる日など、決してこないと思っていましたが、様々な本を読み漁る中で、間違った考え方、自分や他人を不幸にする考え方に気づき、修正し続けてきた結果、ここまで自分の意見を語れるようになれました。

努力は裏切らない、とはまさにその通りだと思います。
努力は裏切らないとは、努力すればなんでもうまくいく、ということではなく、たとえ失敗したとしても、その失敗が将来の糧になる、ということです。

挫折を味わったことがない人間ほど、怖いものはありません。
小さい時から天才ともてはやされ、自分は完璧だ、自分は絶対に間違わない、そのような考えをもってしまった矢先には、とんでもない大きな失敗を引き起こすことになるのかもしれません。

思い起こすのは、飯塚幸三さんです。

彼は、計量研究所において硬さ測定や形状誤差、物性計測など測定・計量の研究に取り組み、偉大な功績を残されたかたです。

ですが、過去の栄光により、自分を特別な人間だと思い込み、自分の能力を客観的に把握することができなくなり、その傲慢さがあの事故を引き起こしたのだと思います。

本当のことは、本人にしかわからないことですが、私達人間は、取るに足りないちっぽけな存在だということを、肝に銘じておくべきだと思います。


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■過ぎたるは及ばざるが如し

ただ、頑張りすぎるのも禁物です。

過ぎたるは及ばざるが如し、という格言があります。

はじめて聞いた時は、過ぎ去ったことは、考えても仕方がない、と思っていましたが、実際は、やりすぎもやらなさすぎもダメだ、という意味のようです。


これは、孔子が約2500年も前に語ったとされる言葉です。

幼かった私は、やればやるほどいいのだと思い込んでいました。

父から好かれ、認められるために、絶対的な善を求め続け、常に真面目で明るく振る舞い、自分の意見を押しコロし、相手の意見を最優先させ、自分自身をけなし、徹底的に卑下し、暴力にひたすら耐え続け、悪人を無条件に許しながら生きてきました。

その途中では、なんども精神がイカれそうになりました。

自分が生きる意味とは、ただ、人から嫌われ、バカにされ、殴られるためなのかと、なんども思いました。

シをよぎった回数は、数え切れません。

もちろん、父の虐待により、私自身も人格が歪んでいたので、私が気づいていないだけで、相手にも、同じくらいの心の傷を負わせてしまっていた可能性は多いにあります。

人は、自分が傷つけられたことは痛みで認識できても、相手がどれほど精神的に傷ついているのかを認識することはできません。

だから、相手からされた嫌なことはいつまでも覚えているのに、自分が相手にした悪いことは、覚えていないのだと思います。

つまり、私が言いたいことは、自分の健康を害してまで、努力してはいけない、ということです。

私達が無理して倒れてしまったら、その負担は、家族や社会に重くのしかかるだけであり、一番ベストなのは、シぬまで健康に生き続けられる社会を築き上げることだと思っています。

そのためには、労働改革は急務の課題です。

ある人からすれば、日本は無駄な規制が多すぎるのだそうです。

学校の教師の仕事だって、無駄な事務処理が多いというのに、なぜいまだに変えられないのでしょうか?

頭の硬い権力者が、日本の上層部に居座っているからなのではないでしょうか?


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■自分自身を無条件に受け入れる

自由意志を信じている人が、自由意志を否定されて怒るのは当たり前です。

自分のアイデンティティをぶち壊されそうになっているのに、怒らない人などいません。

逆に私は、デカルトのように、全てを徹底的に疑い続けたため、本当に辛い思いをしました。

両親の愛も、自分の価値も、25歳まで、ひたすら疑い続けて生きてきました。

全ての人から好かれるような、完璧な善人にならなければ、私に生きる価値はない、そう信じながら生きてきました。

全ての人より賢くなれば、自分で自分を認めることができ、自分を愛することができる、そのように考えることもありました。

父が私に完璧を求め、徹底的にけなし続けた結果、私は自分にも他人にも、人一倍厳しい人間になってしまいました。

本当に辛かったです。


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ですが、最終的に答えにたどり着くことはできました。

自分のことを無条件に受け入れてくれる、信頼できる人と出会ったことで、全てが変わっていきました。

私が求めていたものは、自分を無条件に認めてくれる存在だったのです。

これは、一人で勉強して文字の知識を増やすだけでは、決して得られない感覚です。

完璧な人間になって、父から愛されたいと望んでいたことも、本当は無条件に愛されたかっただけなのだと思います。

ただただ、自分の努力を認めてほしかっただけなのだと思います。

父から認められるためなら、たとえ健康を失ってもいい。

本当にそう思っていました。

完璧な人間になるためならば、どんな苦痛にも耐える。

そうやって生きてきたから、私は目と心臓を痛めてしまったようです。

ですが、もう、他の人達には、こんな辛い生き方をしてほしくないんです。

早く、本当の自分をありのままに認めて、楽に楽しく生きていってほしい。

それが私の願いです。


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■私が初めて尊敬した日本人

私が初めて信頼した大人とは、
夜回り先生こと、水谷修さんのことです。



この方は、親の虐待やイジメ、ドラック中毒などで、心を壊してしまった若者のために、命をかけて救おうとされている方です。

自分の生徒をヤクザから救うためなら、自分の親指を潰すことなど、たいしたことではないと、平然と話される方です。

何者かから、後ろから刺されたこともあるそうです。

全身がんに犯されながら、毎晩何千、何万という子供たちの助けを求める声に、メールで答え続けている。

彼は、もっとも神に近い人だと、私は思っています。


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水谷先生が、いつも子どもたちに伝えている言葉は、

いいんだよ
ごめんね
ありがとう

この3つが、とても多いのだそうです。

この言葉は、日本の親こそが、子供にもっと使うべき言葉だと思います。
私も苦しかった10年前、先生にSOSのメールを送ったことがあります。
あの時は、まだゲーム依存から抜け出せず、苦しいのにやめられない状態が続いていました。
その時に返ってきた言葉が、誰かのために、なにかしてごらん、というものでした。

その言葉は本ですでに知っていたし、あれだけ長文を送ったのに返ってきたのはこれだけかと、少し悲しくなりましたが、あれだけの仕事量をこなす合間に、返信をしていただけただけでも、感謝すべきでした。

その後、実際に、あらゆるものを疑いすぎて疲れ切っていた私が皿洗いをした後の、母のありがとう、という言葉によって、
あれほど宗教にのめり込み、毛嫌いしていた甘い母からの愛情を受け入れてしまいそうになり、私の心はゆらぎ、全ての人から好かれるような、完璧な人間になって自信を得ようとすることをやめると友人にメールを送り、早朝5時ごろ、あの信じられない体験をすることになりました。

頭の中が真っ白になり、今までの自己否定感が一瞬で消え去り、自分の価値を無条件で受け入れら、初めて生きている実感を味わったのです。

全身の鳥肌が立ち、一週間、感動の涙が止まりませんでした。


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この体験への過程は人それぞれだと思いますが、自己否定による苦痛が大きければ大きいほど、あの瞬間に味わう幸福感も大きくなるのだと思います。

だから、昔の修行僧は、過酷な経験で自分を追い込み、あの体験を得ようとしていたのだと思います。

そんな必要はありません。
両親を無条件に愛していた、子供の頃の無邪気な感覚に戻ればいいだけの話しです。

今は、本当にとてもクリアな思考でい続けられることができています。
人間が抱くあらゆる問題が、手に取るようにわかる、というようなちょっとおかしな感覚です。
実際、全ての問題はわかるわけがありませんが、だいたいの問題は、理解できているように思っています。


本気で今苦しんでいる若者を救おうとしている人かどうかは、どれほどの自己犠牲を払えるかで、はかれるのだと思います。

水谷先生の負担を軽くするためなら、自分の命を削る価値はある、と私は思っています。

本当に素晴らしいかたなので、全ての方に知ってもらいたいです。


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■人は矛盾した生き物

私は前回、上から目線で話す人が嫌いだと言いました。

ですが、私も傲慢な人には上から目線で話すことがあります。

それは、弱者をいたぶる人間は、上から目線で話すことよりも嫌いだからです。


私が好きな矛盾の例があります。

戦争が誰よりも嫌いな男が、戦争を早く終わらせるため、戦争に行く。

このように、一見矛盾する行為にみえても、一本の筋は通っている事例は、たくさんあるのではないでしょうか。


親の言っていることと、やっていることに矛盾が生じていると、感じている子供は多いと思いますが、全ての言動に対して、一切の矛盾なく生活することも、また不可能なのだと思います。


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■おわりに

お疲れ様でした。

今日の私の話しはどうでしたか?


今回は、あまり資料を見ずに話したので、作成がとても楽でした。

多少の言い間違いは許してください。

私も打ち間違いはありますし、
音声読み上げソフトも、あまり賢くなくて。


私が相手の言動に腹を立てた時、いつも考えていることがあります。

この程度のことで怒っていたら、虐待に苦しんでいる人たちに顔向けができない。

そして、虐待で命を落とされたかたたちは、きっと私よりも苦しんできたはずだ。と。


自分よりも大変な苦労をし、努力している人たちを思い出すことは、私たちが自己中心的な人間になることを防いでくれるのだと思います。

私の思いが、一人でも多くのかたに届いて、虐待やイジメに苦しむ子どもたちが、いちにちも早く笑顔で生きられる社会になって欲しいと思います。

ご視聴ありがとうございました。