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【自己責任論の終焉】自由意志が完全否定された世界で起きる 自由意志が完全否定された社会で起きること
#自由意志 #自己責任 #否定 #社会 #脳科学 #遺伝子 #量子力学 #科学 #行動遺伝学 

 

 

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■はじめに

今回は少し長くなってしまったので、時間がない方はチャプターから飛ばして聞いてください。

また、私の動画は複雑なことをかなり単純化しているので、より深く理解したい方はご自身でも調べてみてください。

前回は、人間の自由意志が幻想である可能性について触れました。

ここでいう自由意志とは、誰からも指図されず、自分の意志で自由に選択できるということではなく、遺伝や環境の影響を一切受けない本当の自由意志はあるのか、という話です。

自由意志は古代ギリシア時代にはすでに信じられており、その後、ヨーロッパでキリスト教が広まると、人間は神の定めた運命に従っていると考えられるようになってきました。

17世紀頃の啓蒙時代には、再び人間の自由意志が尊重されるようになるのですが、科学は今、自由意志を否定しつつあるようです。

脳科学は、人が意識的な選択を行う0.35秒前に、大脳が活動していることを発見し、人間の自由意志による選択は、脳による無意識的な選択である可能性を示しました。

行動遺伝学では、歳を取るほど遺伝の影響が強くなることが判明し、15歳を境に、家庭の影響よりも家庭外の影響の方が、大きくなることまでわかってきました。

科学の発展により、私達が思っている以上に、人は脳や遺伝や環境から影響を受けていることが明らかとなってきました。

古典力学の考え方を突き詰めると、人間も物質の集合体なので、物理法則に従って行動しているだけなのではないか、という疑問が生じるのは自然のことだと思います。

そこで、今回は、まず自由意志に深く関わっているであろう3大学問、脳科学、行動遺伝学、量子力学について、一から学び直し、発展の過程を最新の知見を踏まえながら解説します。

それから、私が考える自由意志の証明方法と、自由意志を否定する考えを広めようとしていた理由について、お伝えしたいと思います。

そして後半に、もし仮に自由意志が科学で完全否定された場合、社会にどのような影響を及ぼすのかについて、論文の調査も交えながら話し、2つの思考と私の答えについて話したいと思います。


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■脳から自由意志を探す脳科学

1983年、カリフォルニア大学の生理学者、ベンジャミン・リベットは、EEGと呼ばれる脳波計で被験者の脳を調べた結果、被験者が手を動かそうと意思決定を行う0.35秒も前に、すでに脳は活動していたことを発見しました。

このことから、自由意志は幻想で、人間は無意識によって操られているだけではないかという説が生まれました。

この結果を疑った学者たちは、追跡研究を行うも、結果は同じでした。

リベット自身、自由意志を守りたかったので、脳により生み出された衝動は、意志によって拒否できるという説を唱えました。


その後、ロンドン大学の神経科学者、ジョン・ディラン・ヘインズ博士は、fMRIで脳波測定を行い、被験者に左右どちらの手でボタンを押すかを選ばせるという実験を行なった結果、被験者の意思決定よりも最大で7秒も早く、被験者の行動を予測することができました。

この実験は、被験者がどちらの手でボタンを押すか考えている間に、脳の前頭葉や頭頂葉に活動が見られ、それを分析することで、人の行動を先読みすることができたというものです。

更にヘインズ博士は、意思決定後に人が動作を行う0.2秒前までなら、無意識から生まれた行動の衝動を、意志の力で止められることを発見し、リベットの説が正しかったことが証明されました。

そして、2020年の研究によると、脳で無意識的に生まれる衝動は、意志の力で発生しないようにすることはできないこともわかってきました。

これらの実験からわかることは、人間はなにをするかは選べないが、なにをしないかは選択できるということです。

ヘインズ博士は、人間は物理法則に従う機械ではないと述べており、リベットと同様に、自由意志はあると考えているようです。


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彼らの研究により、人の意志は、魂のような観測できないものではなく、観測できる可能性のあるものだとわかってきました。

私の意見としては、意識と無意識の因果関係がよくわかっていないため、はっきりとしたことは言えませんが、無意識の衝動の発生を、意志の力で抑えることはできないという実験結果から考えると、心理学者たちが言ってきたように、私たちの意思決定の大半は、無意識によるものなのかもしれません。

実験では、無意識による衝動を、短時間だけ意志の力で拒否できることが証明されましたが、もしこれが、依存症や怒りなどの強い衝動だった場合、どこまで意志の力で止められるのか大変気になるので、ぜひ調べて頂きたいと思っています。


他にも、脳腫瘍が扁桃体を圧迫したことで、サツ人衝動を抑えられなくなって、15人をサツ害してしまったチャールズ・ホイットマンや、40歳で突然小児性愛者になり、児童虐待で逮捕後脳腫瘍が見つかり、切除後正常にもどったマイケル・オフトなど、脳の圧迫により犯罪衝動が引き起こされるという、稀なケースもあるようです。

更に、脳に直接電気刺激を与えると、体の一部を動かしたくなる衝動に駆られるというような研究結果も出ています。

メンタリストのダイゴさんも、相手の無意識に働きかけて、選択をコントロールしていたように、私達の意識は、無意識の後追いをしているだけなのかもしれません。

脳科学で自由意志を解明するためには、脳活動を神経細胞レベルで観察できる、より高度な機器の開発が必要だと思われます。

現在、新潟大学や理化学研究所で、マウスの脳を透明化して、脳細胞を直接観察できる技術が開発されているので、今後の研究に期待したいと思います。


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■双子から遺伝を調べる行動遺伝学

私はもともと、人の人格や能力は、環境により決定するという白紙論を支持していたのですが、遺伝学の発展とともに、遺伝の影響は無視できなくなってきました。

ロンドン大学の心理学者、ロバート・プロミン教授や、慶應義塾大学の心理学者、安藤寿康教授は、双子研究によって遺伝の影響を明らかにしてきました。

この研究は、見た目も遺伝も同じ、一卵性の双子と、見た目も遺伝も違う、二卵性の双子を比較して、遺伝の影響を調べるというものです。


今表示している画像は、安藤教授が2012年に書かれた、遺伝子の不都合な真実、すべての能力は遺伝である、から抜粋したものです。

少し古いですが、一番みやすいグラフであり、最新の本にも引用されています。

まずはじめに、知能の遺伝率が50%という言葉の本当の意味は、自分の知能の50%は親からの遺伝で決まるというわけではなく、様々な人々の知能のばらつきは、遺伝によって50%説明できるという意味です。

遺伝の継承は基本的にランダムであり、妊娠時や生育時の環境の影響も大きいので、自分の知能の何%が親からの遺伝によるものなのかは、人によって異なるため正確にはわからないということです。


この研究からわかったことは、同じ環境で育てられても、遺伝が同じ一卵性の双子の方が、遺伝が異なる二卵性よりも、あらゆる面で似通っていたということです。

具体的にいえば、知能、成績、才能、人格、など、家庭環境や本人の努力次第で変えられると思われていた要素にまで、遺伝は影響を及ぼしていたのです。

また、環境の影響は、双子共通の経験である共有環境と、双子で異なる経験である非共有環境にわけられます。

今後はわかりやすくするために、共有環境は家庭の影響、非共有環境は家庭外の影響と呼びます。

家庭の影響はIQや学業に見られるものの、人格に関しては家庭外の影響の方が、大きいこともわかってきました。


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他にも、自尊感情、うつ傾向、ADHD、アルコール中毒、薬物などの精神疾患も、遺伝と家庭外の影響が大きく、ものによっては家庭の影響もあるようです。
反社会性に関しては、青年期は遺伝の影響が強く、成人後は家庭外の影響が強いようです。


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15歳未満による、不登校、喧嘩、家出、虐待、窃盗などの非行行為は、家庭外の影響が大きく、次に遺伝と家庭の影響を受けているようです。

15歳以上による、ルール無視、攻撃性、借金、衝動性、不倫、罪悪感のなさなどの道徳の欠如に関しては、環境外の影響が大きく、他は遺伝の影響であり、家庭の影響はほとんど見られませんでした。

つまり、治安の悪い地域で子どもを育てれば、遺伝や親の育て方にあまり関係なく、子どもが犯罪者になる可能性が上がってしまうということです。

このように、ほとんどの項目において、一卵性の双子の方が似通っているため、遺伝があらゆる面に影響を及ぼしていることは、このデータを見る限り間違いないようです。


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先程、人が非行を行なったり道徳が欠如する要因は、家庭外の影響が大きいと話しましたが、それは、ピアプレッシャーと呼ばれる、仲間からの悪い誘いを人は受けやすいということであり、悪い誘いをするような悪友を一番始めに生み出す根本的な原因は、家庭外の影響の他にあると考えています。

立命館大学の児童精神科医である宮口幸治教授は、著書、ケーキの切れない非行少年たちで述べているように、犯罪者が生まれる根本的な原因は、発達の遅れや感情制御が苦手などの遺伝的特性と、虐待などの家庭環境によるストレスとの交互作用だと考えられます。

また、カリフォルニア大学の神経科学者、ジェームズ・ファロン教授は、サイコパスの脳を研究していたところ、自身もサイコパスの特性のある脳だったことに気づき、サイコパスを生み出す原因は、脳の異常、遺伝子の変異、幼少期の虐待の3要素すべてを満たす必要があると考え、自身が犯罪者にならずに済んだのは、親の愛情のおかげだと話されています。

行動遺伝学は2016年頃からさらに発展を遂げ、双子だけに頼らなくても、遺伝の影響を測定できるようになってきました。

理化学研究所が開発した、GWASと呼ばれるゲノムワイド関連解析によって、欧米人100万人以上のサンプル数から、学歴と遺伝子の関係性を調査した結果、学歴に関する遺伝子が1200個以上も見つかり、学歴の12%を遺伝子で説明できるようになりました。

さらに2022年には、サンプル数が300万人となり、学歴の16%を遺伝子で説明できるようになったそうです。

テキサス大学の心理学者、キャスリン・ペイジ・ハーデン教授は、今回の遺伝子解析でわかった結果を用いて、親の学歴や収入などの環境要因と、子どもの遺伝子要因のどちらが学歴に強く影響を与えるのかを調べました。

その結果、親の学歴や収入に関係なく、優秀な遺伝子を持つ子どもたちは、大学や大学院への進学率が高いことがわかりました。

このことから、裕福な家庭で育つよりも、遺伝的に優れている子の方が、高学歴になれる可能性が高いことがわかってきました。


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遺伝子解析はサンプル数を増やすことで、今後も発展していくことが予想されますが、今でも一番遺伝の説明ができている研究方法は、双子研究のようです。

双子研究は他にも、虐待、貧困、田舎暮らしなどの自由が制限される場合、環境の影響がより強く現れ、虐待のない家庭、裕福、都会暮らしなどの自由度が高い環境の場合、逆に遺伝の影響が強く現れるという興味深いデータも出しています。

ですが、そんな双子研究にも懸念点があります。

まず、データによって、遺伝率にかなりのバラツキがあるため、誰のデータを信じればいいのか、迷ってしまうことが多々あります。

先程引用させて頂いた双子の遺伝率のデータも、遺伝率の計算式すら理解できていない私には、どれほどの信ぴょう性があるのか、全く判断できません。

子供が15歳を過ぎて犯した迷惑行為は、親の影響はほとんどないとありますが、それは親と縁を切っているなどで離れて暮らしているだけで、幼少期の親の虐待の影響も残っているのでは、という疑問もあります。

また、被験者の国籍や文化、年齢の違い、親の飲酒や喫煙が胎児に与える影響など、様々な要素により遺伝と環境の影響力は変動してしまうので、遺伝率を正しく理解するのはとても難しいと感じています。

データの大半は欧米人のものなので、日本人について詳しく知るためには、日本人のデータが更に必要になってきます。

双子研究や遺伝子解析は大変興味深いのですが、数字を鵜呑みにせず、慎重に読み解く必要がありそうです。


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■科学なのに非科学のような量子力学

もし、人間の自由意志すらも単なる脳内の化学反応であり、規則正しく物理法則に従っているだけだとすれば、私達の未来はすでに決定しているのかもしれません。

この謎を解くためには、この世でもっとも小さい世界を研究している、最先端の物理学、量子力学の知識が必要になってきます。

理論物理学者アルベルト・アインシュタインは生前、神はサイコロを振らない、という名言を残すほど、古典力学を強く信じており、全ての物理現象は、規則正しくふるまっているため、正確に予測が可能であると考えていました。

しかし、従来の古典力学では、説明できない現象がいろいろと出てきたため、量子力学は生まれました。

この量子力学の発展により、今までの古典力学の考え方は覆されていきました。

まず、ハイゼンベルクの不確定性原理により、とても小さい物質の位置を正確に知ろうとすればするほど、運動量がどんどんわからなくなっていくため、小さい物質の位置と運動量を同時に測定することできず、必ず片方の情報は確率的にしか把握できないことがわかりました。

次に、原子核の周りにある電子は、上向きスピンと下向きスピンと呼ばれる、物理的な回転ではない量子的な性質を持っているのですが、人間が観測していない時は、上向きスピンと下向きスピンが重なり合った状態で、人間が観測した時に初めてスピンの向きが確定する、状態の重ね合せとよばれる不可思議な挙動も確認されました。

電子のスピンの向きも、状態の重ね合わせにより、確率的にしか予測できないとされています。


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3つ目は、アインシュタインらが量子力学を否定するために生み出した、量子もつれ、という理論です。

この理論は、影響し合った2つの小さな粒子を遠くに離して、片方の粒子を観測してスピンの向きが確定した瞬間に、光の速度を超えてもう片方の粒子のスピンの向きも確定するというのはおかしいと、アインシュタインは主張しました。

これは、アインシュタインの特殊相対性理論でいわれている、光の速度を超えるものは存在しないという説を否定することになるため、本当はスピンの向きは始めから決まっていて、人間には観測できないだけだとして、量子力学の謎の性質を強く否定しました。

量子もつれの実証試験は、装置の製作がとても困難だったため、1955年、実験結果をみることなく、アインシュタインはこの世を去りました。

1982年、フランスの物理学者、アラン・アスペ教授の、カルシウム原子の光子を2つ利用した実験により、量子もつれという不可思議な現象は、科学的に正しいことが徐々に明らかとなり、アスペ教授は2022年に、ノーベル物理学賞を受賞しました。


正直、自分でもなにを言っているのかよくわからないのですが、ミクロの世界は、確定的ではなく、確率的にしか予測できないようです。

そのため、全ての物理世界の情報を入力すれば、未来を完璧に予測できるといった、ラプラスの悪魔のようなスーパーコンピューターは夢と化してしまいました。

科学的には、未来は確定していないと考えることが正しいようですが、小さな世界の確率論は、私たちが生きる上で、ほとんど影響を感じないレベルだとする主張もあります。

また、物理法則の不確定要素を、自由意志の根拠になりえるという人もいれば、物理法則は確率的かもしれないが、それだけでは、自由意志の証明にはならないと考える人もいます。

量子力学の世界は、高度な数学が扱える学者ですら、理解するのが難しいようなので、私も最低限度の浅い理解を維持できるよう、学び続けたいと思います。


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■私が考える自由意志の証明方法

脳科学者の茂木健一郎さんは、自由意志はないと考えているそうですが、自由意志の有無の証明は、当分無理だろうとYouTubeで語っておられました。

自由意志の有無の証明は本当に不可能なのでしょうか?

もし私が、モラルや費用を無視して、自由意志の有無の証明をしてもよいという許可を得られれば、やってみたい実験があります。

今行われている双子研究は、基本的に、双子を同じ親元で育てて、一卵性と二卵性の双子の差を調べる、というものです。

その場合、同じ家庭内であっても、双子の個人的な経験には、差が出てしまうので、その問題を解決したのがこれから話す実験です。


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同じ遺伝の一卵性の双子の20代の男女を用意して、男女ペアで親役をしてもらい、同じ形状の地下施設を2つ、作り、更に、一卵性の双子の赤ちゃんを用意して、それぞれの家庭で全く同じように育てさせます。

2つの家庭の親の行動は、できる限り完全一致させ、赤ちゃんにとって、遺伝も環境もほぼ同じ状況を作り出し、ひたすら赤ちゃんの行動を観察するという、人権を無視したイカれた実験です。

家庭環境は、赤ちゃんの自由意志を最大限発揮しやすい状況を作るため、両親は基本的に子どもの自由を尊重し、たくさんの本やおもちゃを用意して、それらを自由に使わせる。

そうすれば、赤ちゃんの選択が、科学を超越した予測不可能な自由意志によるものか、それとも遺伝や環境によるものかが、少しずつ見えてくるのだと思います。

将来的な人格や能力の差が大きければ、自由意志はかなりあるということになり、もし差がほとんどないのであれば、自由意志はほとんどないということになります。

友人や教師と出会えないため、家庭外の影響を計測できなかったり、両親の行動を一致させる難しさ、2組だけでは信憑性が低いなどの問題もありますが、追加で100ペアの両親と100人の赤ちゃんをクローンで作って、かずを増やして信ぴょう性を上げればいいと思っています。

将来的な赤ちゃんの個人差の原因は、
1、遺伝と環境を無視した本人の自由意志
2、両親役の行動や反応の差
3、双子の遺伝子のわずかな違い、
4、量子の確率的なふるまいの影響
など、最低でも4つは考えられます。

個人差の原因を全て特定するのは不可能だと思うので、これらの影響も全て加味した上で、遺伝と環境がほぼ同じ人たちは、将来的にどの程度の差が生じるのかを調べたいと思っています。

チンパンジーでの検証も考えましたが、両親の行動を一致させられないので、やはり人間でなければ難しいと思いました。

非人道的なので絶対に実現はしませんが、どの程度の差が生まれるのか、とても興味があります。


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■私が自由意志を否定する理由

ここから少し、口が悪くなります。

そもそも、私が自由意志を否定する考えを広めようと思ったのは、一言でいえば、虐待被害者を最速で救うためでした。

親の虐待に苦しめられてきた人の中には、大人になっても虐待の後遺症に苦しめられて、働きたくても働けない人もいるというのに、恵まれた環境で、健康を失うレベルの苦労もせずに生きてきた、経済的に自立している強者から、親や環境のせいにするのは甘えだの、辛いのはみんな同じだの、全ては自己責任だの努力不足だのと、くだらない綺麗事を言い放ち、壊れた弱者を更に追い詰め、被害者である弱者が、自責の念に駆られて自シするという、不幸な連鎖を止めるために、自由意志を完全に破壊すれば、行き過ぎた自己責任論を止められるのではと思っいました。

と同時に、社会的、経済的に自立している強者の中には、遺伝的、環境的に恵まれていた要素を一切認めず、全て自分の自由意志による努力によるものだと考える自分勝手な人もいるので、この自己中心的で傲慢な、自惚れ上がった強者の考えを、遺伝や環境の影響を知らしめて、潰したいという気持ちもありました。


私も小学生低学年までは、誰よりも自由意志を強く信じ、未来は自分の努力次第で変えられると思っていました。

しかし、父の虐待と母の宗教教育は、私を臆病で自我を出せない性格にしてしまい、どれだけ気合を入れて努力をしても自分を変えることはできませんでした。

私の精神の弱さはHSPなどの遺伝的なものも考えられますが、理由はともあれ、シャイで暗い性格だったため学校でもイジメられ、優しくすれば人から好かれると信じこんでいた私の心は壊れていき、希望は絶対的な絶望へと変わっていきました。

そして、非暴力を押し付けるだけで誰も助けてくれない、綺麗事だらけの社会を憎むようになっていきました。


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過去に大きな苦労をし、それを凄まじい努力で乗り越えたとしても、それは本人の意志による努力以上に、遺伝や環境の恩恵があったはずです。

たまたま努力したいと思える環境と、努力し続けられる忍耐があり、遺伝的な高い潜在能力を持っていただけの成功者が、なぜ上から目線で偉そうな態度で話すことができるのか、なぜ恥ずかしいと思わないのか、私には理解ができません。

人並み以上の困難を経験し、理不尽な社会を憎んでいた人の中にも、成功できたとたんに自分が頑張ったから成功できたんだ言い張って、自分の利益にしがみつく人もいます。

どれほどの苦労を経験していたとしても、弱者の苦しみから目を背け、頑張れば誰でも幸せになれるという人は、今も苦しんでいる弱者に対する裏切り者だと思っています。

困難を乗り越えられた人がいる一方で、重すぎる困難に押しつぶされて、壊れてしまった人や亡くなってしまった人もいるはずです。

そのような人たちのことを知ろうともせず、自分の努力に自惚れ続ける人間は、人として終わっていると思っています。

ましてや、遺伝と環境の影響力を知っていながら、根性論を押し付ける人は、ただの人ゴロしです。

もちろん、成功者に対して、自分の生活を壊してまで人を救えとは思いませんし、他者を助けるかは個人の自由ですが、努力自慢をする暇があったら、遺伝と環境の真実を知ってさっさと受け入れろと言いたくなる気持ちはあります。


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少しお聞き苦しいかもしれませんが、次はこのレビューをお聞きください。

ハーバード大学の政治哲学者、正義を探求し続ける男こと、マイケル・サンデル教授の、実力も運のうち、能力主義は正義か?、という本のレビューを一部抜粋したものです。



能力主義最高。

上流に生まれた俺からしたら、能力主義は最高だ。質の高い遺伝子と環境を与えられた俺は、必然的に能力が高くなり、高学歴高収入を手に出来る。
下流に生まれた奴らには、自己責任。努力が足りない、って言って気持ちよくなれるし、優越感に浸れるし搾取できる。

今の入試は、格差や不平等を正当化するものだ。でもそれでいい。
高学歴じゃない奴は、努力が足りないってことにした方が、上流の人間からしたら都合がいいし得をする。
入試にギャンブル要素なんて入れたら、下流のゴミ人間達にチャンスを与えることになる。
そうしたら俺が不利になるから反対。今のまま、いや今以上に格差を広げて、生まれた瞬間に人生の勝敗が決するくらいの世の中になって欲しい。
そっちの方が俺の子供も得するから。
とにかく能力主義で運営される社会は最高ってこと。





いかがでしたか?
高学歴の人たちは、基本的にいい両親の元で、いい遺伝子を持ち、いい学校でいい教育を受け、いい人達に囲まれて育っていることが多いので、必然的にいい性格になりやすいと思っています。

ですが一部で、親の甘やかしや苦労不足、教育虐待や悪い友人の悪影響、遺伝的に共感性が低いなどの理由から、人の痛みがわからないクズが生まれることもあるようです。

彼はこのレビューを本気で書いたのか、冗句で書いたのかはわかりませんが、このような人間は確実に存在し、今この瞬間にも、弱者をいたぶって楽しんでいるのだと思います。
    
私は能力主義自体を悪いとは思っていませんが、自分の能力を自分の意志による努力だけで得たと誤解させる教育は、間違っていると思います。

彼らを図に乗らせた周りの人たちにも責任はあるはずです。


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世の中には、無条件で宝のように愛される子どももいれば、無条件でゴミのように扱われる子どももいます。

この家庭環境の違いにより、健康状態やコミュニケーション能力、学力などに大きな開きが生まれ、個人の努力だけでは決して埋まらない、格差が生じることもあります。


そして、虐待をされている本人自身、知識のなさや感覚のマヒなどにより、虐待を受けている自覚すらなく、なぜ生きることが辛いのか、自分でもわかっていないケースもあります。

私自身、どれほど努力をしても、会話も勉強も仕事もできない障害者レベルの落ちこぼれだったため、自分の自尊心を守るために、この世に自由意志などなく、人生は全て遺伝と環境で決まるのだと信じることで生き抜くことができました。

私のような虐待の後遺症に苦しみ続けた人間が、自由意志を信じ、全ては自分の努力不足が原因だという考えを持っていたら、自分の無能さに耐えられず、間違いなく自シしていたと思います。

未だに虐待の後遺症による肉体的な持病により、一日に短時間しか作業ができず、心臓の異常な倦怠感や腹部の激痛により、シを意識することが度々あります。


そもそも、人間は認知能力の限界から、自分が経験した苦しみしか、深く理解することはできません。

特に精神的苦痛や、病名がはっきりしないだるさや痛みは、誰からも理解されず、偏見にさらされやすいと感じています。

そのため、知識が豊富な高学歴の人が、本気で弱者の苦しみを理解しようとしたところで、理解できる苦しみは、自分の体験知を超えることはありません。

なので、弱者の痛みがわからない人間が生まれてしまうのは、彼らだけが悪いのではなく、仕方のないことだとも思っています。

そして私も含めて、人は基本的に自己中心的なので、自分の苦労にしか目がいかず、他者の苦労を過小評価してしまいます。

なので、私がどれほど虐待の辛さを語ったところで、言葉で伝えられる情報量の少なさも相まって、虐待された経験のない人には、苦しみはほとんど伝わらないと思っています。

だからこそ、誰もが意識している自由意志を、完全破壊する思想を広めれば、嫌でも多くの人が意志の力の限界を認めざるを得なくなり、社会的弱者に対する理不尽な偏見も、なくなっていくのではと考えました。


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しかし同時に、自由意志を完全に失うことで、デメリットが生じることも理解しています。
自由意志の喪失は、人間から希望や尊厳、自信や責任まで奪い去りかねません。

自由意志の否定は、弱者の自責の苦しみを、多少拭い去ってくれるかもしれないが、
社会全体からすれば、やる気や情熱を失わせ、マイナスに働くかもしれない。

なにより、絶対に避けなければいけないのは、自由意志がないなら、罪を犯してしまうのは仕方のないことだとして、犯罪を正当化する人間が生まれてしまうことです。

このようなこともあり、自由意志を完全否定するべきか、多少の自由意志は認めるべきか。
未だに答えを出せずにいます。


もしかすると、私は父の虐待により意志力を失ってしまい、自由意志などないと思いこんでいただけで、普通の家庭の人たちは、遺伝や環境の制限はあるものの、多少の自由意志を活用して生きているのかもしれません。

生命の誕生が未だに謎であるように、命の神秘性を考えれば、物理法則を超越した自由意志が実在していてもおかしくない…

もしかすると、生まれながらに自由意志を発揮しやすい人と、発揮しづらい人がいる可能性もある。

先程話したように、人間は自分が経験したことしか理解できないので、私も虐待のない家庭で育った人たちの感覚がわかりません。

虐待被害者を救うことしか考えていなかった私は、歪んだ信念に突き動かされていただけなのかもしれません。

そこで、今回はできる限り冷静な状態で、自由意志が完全否定された世界について、自由意志否定派である私の意見と、自由意志の否定に関する論文も引用しながら考察していきたいと思います。


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■自由意志が完全否定された世界

もし仮に、科学が発展した近未来、自由意志は私達の錯覚で、人間も物理現象と同じく、機械的に動いているだけだと判明した場合、その事実を人々はどう受け取るのか、それで社会はどうなるのかについて、これから話していきたいと思います。


まずは私が考える、自由意志の否定によるメリットについて話します。


1つ目のメリットは、弱者に優しい社会になる、です。

自由意志がないのであれば、私たちの運命は遺伝と環境の組み合わせによる偶然によって決まるということになります。
そうなると必然的に遺伝と環境への理解が進み、問題を抱えた人に対する誤解が解消されていき、彼らに適切な支援が行き届くようになって、次第に社会的弱者が生まれにくい構造ができていくのではないか、というものです。

自由意志があると考えた場合、全ての問題はあなたにあるという自己責任論や、全て努力で乗り越えろという根性論につながりかねませんが、自由意志が否定された世界であれば、努力の限界を理解して、人の弱さを受け入れる社会になることが予想されます。

発達障害や精神障害、学習障害など、一見すると健常者にみえる人たちの苦悩は、理解されづらいものではありますが、遺伝と環境の理解が進めば、偏見に苦しめられる人も減っていくのだと思います。

また、全ての問題は自分の努力不足だけが原因ではないと思えることにより、自分がかかえている問題を人に相談しやすくなるというメリットもあり、ストレスを抱えすぎて壊れてしまう人も減っていくと考えられます。

心身ともに健康で働く能力があるのに働かない人たちも、突き詰めて考えれば不幸な人たちだと思っています。

彼らは、知識や経験の少なさからやりたい仕事に出会えなかったり、悪い友人と遊び呆けていたり、親から甘やかされすぎて責任感が薄れてしまい、自立できなくなっているのかもしれません。

人への理解が進んだ社会では、働けないことを個人の責任だけにせず、彼らが自立したいと思えるような支援をし、社会全体でも、虐待や溺愛などの子供を弱体化させる教育を、排除していく流れが加速すると思っています。


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2つ目のメリットは、加害者への憎しみが多少減る、です。

自由意志を否定する社会では、犯罪者になるかどうかは、本人の意志ではなく、遺伝や環境の巡り合わせで決まると考えられるので、彼らは加害者でありながら被害者でもある、という考えを持つ人が増えるはずです。

私も長年、自分の健康を奪った父を憎み続けてきましたが、父の過去を知るなかで、父の冷たい人格を形成したのは、父自身の意志だけではないことがわかってきました。

頑固な父親による虐待や、父を置いて逃げた母親、身体障害者であったことによる学校でのイジメなど、多くの人たちが父を傷つけた結果、プライドとコンプレックスの塊で、日常会話すらまともにできない父の人格が形成されてしまったようです。

このことを知って、私が虐待をされていたのは、私が悪いわけではなく、父だけが悪いわけでもなく、父を傷つけた多くの人たちにも責任があると思うようになり、父への憎しみが多少軽くなりました。
父は最後まで謝罪をしなかったので、今でも嫌いですが、間違いなく彼も犠牲者だったと思います。

ノルウェーには、世界一犯罪者に優しいと称されるハルデン刑務所があるのですが、ここの再犯率は20%です。
アメリカは80%、イギリスは60%、日本でも50%なので、ノルウェーの再犯率がいかに低いかがわかるかと思います。

ノルウェーは天然資源に恵まれ、平均年収も800万円と高く、人口も500万人しかいないので、日本がすぐに真似をすることはできませんが、犯罪の多くは環境により引き起こされているという証拠になると思います。


3つ目のメリットは、成功者が謙虚でいられる、です。

自由意志を信じる一番のデメリットは、強者をより傲慢にし、自惚れさせてしまうことだと思っています。

自由意志を否定する社会では、自分の成功は運によるものだと考えられるので、決して奢らずに、平常心を保ち続けられるのだと思います。

逆に努力しても能力があまり上がらない人たちも必要以上に自分を責めたり無理をすることはなくなり、自分ができる仕事に出会えるまで転職したり、最悪、生活保護を受ければ生きていくことはできると思います。

人の上に立つ人たちが謙虚でいるメリットは、下につく者にこそ大きいのだと思います。

私は傲慢な成功者が大嫌いなので、このメリットの恩恵を一番受けるのは、私かもしれません。

まとめると、
1、社会的弱者に優しい社会になる
2、加害者への憎しみが緩和する
3、努力に自惚れず謙虚になれる
この3つが、私が考える、自由意志を否定するメリットです。
これらは、ただの仮説なので、科学的根拠は一切ありません。


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なので、ここからは論文から引用したいと思います。

参考にさせて頂いたのは、東京大学の社会心理学者、唐沢かおり教授らの、自由意志信念と決定論的信念をめぐって、という記事です。

まずは、自由意志を否定すると起きる効果についての論文です。

・過去の間違いについて責任を感じにくくなる。
・自己評価が望ましい方向に上昇する。
・加害者に対する罰則の判断が寛大になる。
・自分への加害者に対しては厳しい判断を下す傾向がある。
・自己コントロールや失敗からの修正の意欲が低下する。
・自己コントロールや自分を客観的にみる重要性が低下する。
・テストの不正行為が増加し、支援行動が減少し攻撃行動が増える。

自由意志の否定は、全体的にいい面よりも、悪い面の方が目立ちます。
まとめると、自分や他人の失敗に優しくなるが、その分、責任感や自己コントロール感も失われる。ということだと思います。
特に、一番最後の不正行為が増え、支援行動が減り、攻撃行動が増える、という内容が一般社会でも実現してしまうのであれば、自由意志を否定する行為は、社会を破壊しかねないものだということになります。


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次は、自由意志を肯定すると起きる効果についての論文です。

・自己コントロール感が強く、他者に積極的で、感情の安定が見られる。
・懲罰的な考え方や、世の中が公正であると信じる傾向が強い。
・職業成績や満足度が高く、真面目で開放的な性格を持ち、感情の不安定さが低い。
・懲罰傾向や自尊心が高く、自己コントロール感や宗教的傾向が低い。
・利他的で生活満足度が高い。
・コントロール感や幸福感が高く、うつ症状が少ない。
・元々攻撃的な人は、攻撃行動が増加する傾向がある。


自由意志の肯定は、全体的にみて、明らかにポジティブな内容が多いです。
解説するまでもなく、自由意志を信じることは、社会全体にいい影響を与えるようです。
自己コントロール感に関しては、相反する論文が出ていますが、論文を書いたラコスによると、自由意志を信じている人ほどその限界も自覚しているため、自己コントロール感が低いと感じる人もいるそうです。
基本的には、自由意志を信じているほど、自己コントロール感は強くなるそうです。
一番最後の、元々攻撃的な人は、自由意志への信念を強くすることで、攻撃行動が増加する、とする論文は、少し特殊なケースで、普通の人の場合、自由意志への信念を高めても、攻撃性は上がらなかったそうです。


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唐沢教授らが書かれた、自由意志信念に関する実証研究のこれまでとこれから、という記事の最後でこのようにまとめています。

自由意志への信念の低下が、つねに否定的な影響をもつとはかぎらない。大きな失敗をしたときに、自由意志への信念が弱いほうが、否定的感情は起きにくくなるかもしれない。しかし、全体として、自由意志への信念は、個人や社会にとって肯定的な影響をもたらしており、人間の社会生活を支える、根源的な役割を果たしているといえよう。

自由意志の否定は、多少のメリットはあるものの、やはり社会全体としては、自由意志を信じていた方が、うまく回るのかもしれません。
    
ただ、これら自由意志の否定によるネガティブな影響は、今までずっと信じていた自由意志に対する信念を否定されて、一時的にショックに陥ってしまい、マイナスの結果が出ているようにも思います。

私も、今まで何度も自分が信じていた信念を、打ち砕かれる経験をしてきたので、その苦しみは理解しているつもりです。

ですが、科学的な知識を増やしたり、時間が経つにつれて、受け入れるしかないという感覚になっていき、人間はポジティブさを取り戻すのだと、個人的には思っています。

以前、なにかの記事で、自由意志への疑いを持つと、最初はネガティブになるものの、時間とともに回復した、という論文を読んだのですが、消されたようで見つかりませんでした。


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次は、マイクロソフトの、Bing AIに、自由意志を否定して起きる問題について、まとめてもらいました。


まず、罪と罰の問題が生じる。もし、人間は自分の行動に対して責任を持たないとしたら、犯罪者を罰することは正当化できるのだろうか。犯罪者は自分の意思で悪いことをしたわけではなく、運命によってそうなったと言えるのではないか。その場合、刑罰は犯罪者を改善するためではなく、単に社会から排除するための手段になってしまう。また、被害者も加害者も同じように運命に翻弄された存在であり、憎しみや恨みを抱くことも無意味になってしまう。このように、自由意志がないとしたら、人間社会は正義や道徳を失ってしまう可能性がある。

次に、努力と成功の問題が生じる。もし、人間は自分の行動に対して責任を持たないとしたら、努力することは意味があるのだろうか。努力したからと言って成功するわけではなく、成功したからと言って努力したわけでもない。すべては運命によって決まっており、人間はその結果を受け入れるしかない。その場合、努力することは無駄であり、成功することは偶然である。また、努力しなかったり失敗したりすることも避けられないことであり、自己責任や反省をする必要もない。このように、自由意志がないとしたら、人間社会は努力や成功を評価することができなくなってしまう可能性がある。

最後に、希望と幸福の問題が生じる。もし、人間は自分の行動に対して責任を持たないとしたら、希望を持つことは可能なのだろうか。希望とは、未来に対して期待や願望を持つことであり、それを実現するために行動することである。しかし、未来はすでに決まっており、それを変えることはできない。その場合、希望を持つことは無意味であり、行動することも無力である。また、幸福とは、自分の状況に満足したり、自分の選択に納得したりすることである。しかし、状況は自分のコントロールできないものであり、選択は自分の意思でないものである。その場合、幸福になることは困難であり、不幸になることは避けられない。このように、自由意志がないとしたら、人間社会は希望や幸福を追求することができなくなってしまう可能性がある。


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自由意志を否定するデメリットを、ここまで美しくまとめあげた文章を、私は今まで読んだことがありません。

ただ私は、仮に自由意志が幻想だとしても、自分の意志で行なった罪の責任は、完全には無くならないと考えています。

社会の秩序を守ることは、なによりも優先されるべきことなので、例え運の悪さから犯罪者になってしまったとしても、彼らは決して無罪にはならず、自分を更生させる責任があると考えています。

自分が犯罪を行なうかどうかは本人にしかわからないので、犯罪に手を染める前に警察に相談するなどして、犯罪を未然に防ぐ責任が彼らにはあるはずです。

また社会も、犯罪者傾向のある人たちが犯罪を行なう前に相談しやすい場所を作り、一線を超えないよう支援する必要もあると思っています。

結局のところ、自由意志が完全否定され、遺伝と環境の影響が全てわかったとしても、依然として、人生の不平等さがゼロになることはありません。

ただ、犯罪者への理解度が高まるとともに、彼らへの偏見も次第になくなり、自然災害と同じように扱われるのだと思います。


次に、全ては運命によって決まっており、未来はすでに確定しているのであれば、努力する意味はない、という意見について反論したいと思います。

仮に自由意志はなく、未来は決定していたとしても、私たちに未来を正確に予測することはできないため、将来成功する可能性にかけて、努力するべきだと思っています。

また、未来で自分が成功することだけがわかっていた場合でも、成功の理由が運によるものか努力によるものかわからないのであれば、はやり努力するべきだと思います。

未来の成功は、努力をすることを前提とした成功かもしれないし、たとえ努力が実らなくても、挑戦した経験は決して無駄にはなりません。

全てを諦めて、なんの努力もせず生きる人生ほど、つまらないものはないと思います。

そもそも、努力しなければ、私達は自分が持つ遺伝的な潜在能力を最大限に発揮することはできません。

私達は、未来はすでに決まっていると考えるとネガティブになることがありますが、人間の未来予測は当てにならないので深刻に考えなくてもいいと思っています。


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私がずっと心残りなのは、私自身、酷い落ちこぼれだったので、中学生頃から人生を諦めてしまい、自分の潜在能力を最大限伸ばすことができなかったことです。

私は普通の人間になることすら難しいと思うほど、精神を壊していたので、今でも遺伝と環境の影響力は、努力を無意味に感じさせるほど、とてつもなく大きいものだと感じています。

遺伝と環境から考えて、将来自分が幸せになる可能性は限りなくゼロに近いと思いながらも、虐待の精神的苦痛を乗り越えるために本を読み漁る中、運良くいい本に出会え、いい友人に出会え、母と和解でき、一生克服できないと思っていた虐待による自己否定感を、無条件で自分を受け入れることで乗り越えることができ、自分の気持ちを他者に言葉で伝えられるまでに回復したので、努力は決して無駄ではなかったと思っています。
普通の人と比較すると、なにも成し遂げられていませんが。

ただ同時に、努力は全て遺伝や環境の産物であり、自分がここまで頑張れたのは、全て運が良かったからだとも思います。

欲を言えば、健康を失う前に学ぶ楽しさを知っていたら、中学生や小学生の頃に、心理学の本に出会って虐待されていることに気づいていたら、生活保護を受けることなく働けていたかもしれません。


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■2つの思考と私の答え

自由意志についていろいろと述べてきましたが、結局のところ、2つの思考を使い分けていることに気が付きました。

1つ目は、感情的な浅い思考です。

これは、普段生活している時の主観的な浅い思考です。
テレビでサツ人事件が起きたとニュースを見た時に、瞬発的に、最低な奴だ、彼は人間のクズだ、と思ってしまうのが浅い思考です。

犯人のことを何も知らないのに、少ない情報から短絡的に出してしまう答えです。

私も普段は自由意志のことなどほとんど意識せず短絡的な思考で生活しています。

一日中、自由意志を否定する考えを持ち、無力感を感じながら生きるのは、私でも辛くなるかもしれません。

なにより、未来は決まっているという考え方ほど、つまらないものはありません。

自由意志の否定が実生活に役立つことはあまりないかもしれませんが、働くことは偉いと思い込み、病気で働けない私に働くよう圧力をかけてくるムカつく人がいた時には、あえてこの話題を出し、相手の自由意志や努力を否定して、相手を不快にさせ黙らせるという使い方は非常に有効です。


2つ目は、理性による深い思考です。

これは、物事の本質を知ろうとする時の客観的な深い思考です。

例えば無差別サツ人をする犯人がいた場合、彼の人格だけを批判せず、彼をこのような行動に駆り立てた動機はなんだったのか、遺伝や環境に問題はなかったのかを情報を集めながら、考察する時にこの思考を使います。

また、なぜ私は今のような人間になってしまったのかを深く考察する時なども、自由意志のことは抜きにして、遺伝や環境の影響を一番に考えて客観的に考察するようにしています。

自由意志という曖昧なものよりも、遺伝や環境を参考にしたほうが、人間のことをより正しく理解できる気がします。

自由意志は主観的なものであり、感情と密接に関わっている気がするので、自由意志を信じると物事を客観的に捉えられなくなる気がします。

感情を排して深く考えたからといって、正しい答えにたどり着ける保証はないですが、感情的で浅い思考よりも答えに近づけると思っています。

このように、私は浅い思考と深い思考を交互に活用しているから、自由意志を否定しながら生きていても、それほどネガティブに感じないのかもしれません。


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最終的に私が出した自由意志に対する答えについて、話していこうと思います。

この動画を作る前、私は自由意志を完全否定する思想を大勢の方に知ってもらいたいと思っていました。

ですが、いろんな情報を集めている内に、自由意志を多少認めた方が良いのではないかという考え方も出てきました。

今科学的にわかっていることは、

1,無意識の選択は短時間であれば意識によって制御できるが、無意識の選択自体の発生を意識で封じ込めることはできない

2,双子の比較から遺伝や環境の影響力は、私たちが思っているよりも大きい可能性がある

3,前頭葉の活動の低下や、脳の損傷や腫瘍による圧迫で、人格が豹変することがある

このことから、現時点で私が出した答えは、遺伝と環境で人生のほとんどが決まることは間違いないが、自由意志による影響も多少はあるのではないか、というものです。

自由意志が人生に及ぼす影響力は、人によって差はあるかもしれませんが、20%前後を見ています。

私自身は、人生の全てが運命によって決まっていても、事実なのであれば仕方がないと割り切れますが、罪の意識や責任が軽くなり治安が悪化することを懸念すると、自由意志の完全否定はやはり危険であるという結論に行き着きました。

人間が持つとされている、無意識による命令をキャンセルできる意志については、わかっていないことが多いので、自由意志を信じるか信じないかは個人の判断に委ねるべきだと思います。


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正直、自由意志があるのかないのかの論争は、神はいるのかいないのかという論争と似ています。
どちらも、あるように感じることもあれば、ないように思うこともあり、あるのかないのかの証明は、とてつもなく難しい。

また、神は、人々に救われるという希望を与えることもできるが、罪や罰で絶望を与えることもできるというところも、自由意志と似ていると感じています。

自由意志も、自分の努力次第で成功できるという希望を与えることもあれば、劣悪な境遇の人々に努力不足のお前が悪いといって絶望させることもできる。

どちらも使い方次第で、人を救うこともできれば、追い詰めることもできる危険な思想であるように感じました。


自由意志で弱者を追い込むような使い方は減らしていきたいとは思っていますが、人に希望を与える形であれば、自由意志はあってもいいんじゃないかと、今は思えるようになりました。

多少の自由意志を認めれば、今の社会システムを大きく作り変えなくても、犯罪者に責任を負わせつつ、成功者は努力による功績を受け取ることができます。


散々成功者をののしってきましたが、たとえ彼らが恵まれていようとも、努力に対する苦労は本物なので、彼らの功績はある程度は認められるべきものだと思っています。

基本的に高所得者は長時間労働の方が多く、彼らの頑張りのおかげで日本は維持されているので、感謝しなければいけないとも思っています。

ただ、人生は100%自分の努力で決まるという考えはさすがに古いので、この世から消し去った方がいいと思います。


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■おわりに

今回の動画は、製作に約2ヶ月もかけ、長年悩んできた自由意志の問題について、いろんな思想をつなぎ合わせて作ってみました。

私は今でも、人生は、脳、遺伝、家庭環境、家庭外の環境の4つにより、ほとんど決まると考えています。

自由意志は多少あるかもしれませんが、それだけで人生を大きく変えるのは難しいと思っています。

過去に虐待やイジメを受けていても、頑張って働いている人はたくさんいるという意見もありますが、それは彼らの困難が軽かった可能性や、自分を追い詰める思想を持っていなかったこと、また、気の強い遺伝子や、信頼できる人が周りにいたなどの要素のおかげで乗り越えられたと考える方が、科学的には正しいように思います。

表に出てくる情報は成功例などの明るいものが多く、裏で苦しんでいる人たちの実態は出回りづらいので、表の情報だけみて人のことを正しく理解するのは難しいと感じています。


今回、私が言いたかったことを一言で表すと、自由意志という思想は、強者の利益を最大化させる、とても都合のいいものであると同時に、弱者に貧しさの責任を押し付け、強者の負担を軽くする便利な道具でもある、ということです。

自由意志の力は、思っていたより強くはないことを受け入れると、強者の驕りと弱者の自責の両方を軽減し、世の中の不条理さを減らしてくれるのだと思っています。


特に、本人の意志による努力だけではどうにもならない、幼少期の虐待やイジメ、落ちこぼれ体験は、子供の自信を破壊してしまい、引きこもりや犯罪者になるなど、長期に渡って社会にもマイナスな影響を与えかねないので、親と教師の質を上げることは急務だと思っています。

恵まれた環境の子供たちが増えれば、学力や収入が高くなる人たちが増え、税収が増えて社会的弱者への支援も充実し、犯罪者も減っていき、皆が幸せになるという好循環が生まれるのだと思います

決して全ての強者を叩き潰したいわけではありません。
私の敵は弱者の苦しみを知ろうとしない、傲慢な強者だけです。

この動画で自由意志を否定されて不快な思いをされた方もいるかもしれませんが、幼児期の虐待は、自由意志を否定される苦痛を遥かに上回るということだけ、知っておいて欲しいと思います。

もし、もう一度幼少期にもどって虐待を経験しなければいけなくなったら、笑顔でシぬことを選択します。


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Bing AIは、最後にこのようにまとめてくれました


自由意志の有無を科学的に証明することは困難です。
人間は自分の行動に対して自由意志があると信じることもできますし、自由意志がないと信じることもできます。
どちらを信じるかは個人の価値観や信念によって異なるでしょう。
しかし、どちらを信じるにしても、自分の行動に対して責任を持つことや他人の尊厳や価値を尊重することは大切だと思います。
自由意志の有無に関わらず、人間は社会的な存在であり、他者と共に生きているからです。


私も同意見です。

科学でも自由意志の有無をはっきりさせられない今、自由意志は少しはあるのか、一切ないのかのどちらを信じるかは本人の自由だと思います。

そして、例え自由意志がなかったとしても、責任を全て放棄してしまったら、それこそ人間として終わりです。

どれだけ環境が酷くても、自分の意志で犯した過ちの責任がゼロになることはないと考えています。


私が健康を失ったのは、父の虐待やイジメの精神的苦痛のせいでもありますが、自分の意志で始めたゲーム依存によるものも大きいと思っています。

高ストレス化におかれていたため取れる選択肢は少なかったものの、私が健康を失ったのは、私自身のせいでもあります。

また、中学時代にはスクールカウンセラーがきてくれていたにも関わらず、プライドの高さと世間の親のせいにするなというプレッシャーに負けて、相談しなかったことも私の責任でもあります。

責任は、0か100というように、白黒はっきりつけることができないものですが、1%でも自分の意志が関与しているなら、それ相応の責任は取るべきだと今は思います。

小学生の頃には、虐められたストレスを更に弱い人間にぶつけたり、父譲りの歪んだ性格で多くの人たちを不快にしたり、数年前には無理をして情緒不安定になりながら、ツイッターで暴言を吐いてアカウントを凍結されるなど、罪だらけの人生ですが、一生背負って生きていこうと思っています。


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自由意志以外にも、私を悩ませる問題があります。

それは、科学は残酷な真実を明らかにして人の目を覚ましてきましたが、世の中には未だに非科学を信じることで幸福を感じる人がいる、ということです。

私はこの世を科学で染め上げれば、全体的な幸福度は上がるのではと考えていましたが、科学でもわかっていないことはたくさんあります。

そのわからない問題に対しての答えを持っているのが、非科学である宗教や、スピリチュアルの世界です。


どれほど非科学を強く憎もうと、小さな子供が親を失って悲しんでいるときに、どう励ますかと考えたときに、自然と、ご両親は天国で見守っている、と言ってしまいそうな自分がいます。

いくら科学的に正しい可能性があったとしても、子供の努力に対して、人間に自由意志はなく、努力は遺伝と環境による産物だ、なんていってしまったら、子供はやる気を失いひねくれて、まともな大人になれなくなるかもしれません。


子供の時には非科学的な優しい嘘をつき、大人になった時に科学的で残酷な真実を学ばせるべきなのでしょうか。

ですが、アメリカでは養子が小さい時から、養父母は本当の親ではないことを伝えるらしく、その方が子供の傷が浅く済むという話しもあります。

やっぱり、人間には感情的な優しい嘘と、理性的な残酷な真実の両方を、その時々でうまく使い分けて生きていくべきなのかなと、今更ながらに思った次第です。



大天才であるアインシュタインも、宗教なき科学は欠陥であり,科学なき宗教は盲目である、と述べているように、宗教が持つ道徳心と科学による客観的事実の両方を併せ持つことで、人はバランスよく生きていけるのかも知れません。


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話しがいろいろと脱線しましたが、今回はこれで終わりです。
私の自由意志に関する知識は、ほぼ全て詰め込むことができたと思っています。

自由意志に関しては、調べれば調べるほどわからないことがでてくるので、非常に奥が深く難しい問題だと感じました。

結論としては、情報を収集しながら、正しい選択とはなにかと、日々悩みながら生きることが、正しい生き方のように思います。


これから作っていきたい動画は他にもたくさんあります。

母を狂わせた新興宗教について
私が生まれ育った不良だらけの東大阪について
ゲーム依存で健康を失うまでの過程
仕事を諦め生活保護を受けるまでの過程
心理学の6割が誤りという再現性の危機について
全ての学問と全ての仕事の解説動画
ほとんど寝たきりの私にもできる仕事集などなど


作りたいものはたくさんあるのに、体力が圧倒的に足りず、悔しい思いをしています。

このチャンネルは、私の自己満足のためシなない程度に運営していくつもりなので、更新はいつになるかはわかりませんが、ゆっくり進めていく予定です。

生活保護を受けながら動画を作る暇があったらさっさと働けという批判も受け付けています。
一応体調が悪く働けないと言っていますが、それが真実であるかどうかは私にしかわからないので、疑うのも批判するのも全て自由です。

情緒が安定している限り、真摯に対応させて頂きます。
ここまでご視聴して頂き、ありがとうございました。


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⚠動画の訂正
今回は、私の低い知能では到底処理しきれない難問を取り扱ったため、誤解を生むような表現や、詰めの甘い箇所がいくつもあったかと思います。

一番訂正したいと思っているのは、人間の意思決定における科学的な自由意志による影響は、あっても2割前後と表現したところです。
本当は、1割から2割と書く予定だったのですが、間違えてしまいました。

この数字の根拠は、
1、脳科学で、無意識による衝動を、意思決定後の0.2秒というわずかな時間だけ、意志の力で止めることができるという実験結果があるから。
2、行動遺伝学の安藤教授は、著書「教育は遺伝に勝てるのか。」p77で遺伝と環境で人生の8割から9割は説明できると書いてある。

私個人としては、まだ、本当の自由意志はないんじゃないかと思っていますが、本当のことはわかりません。
ただ、社会の治安を守るためには、自由意志という信念も多少は必要なのではないか、と考えています。

別に強者が得てきた利益を全て弱者に分配しろとまでは思っていませんが、弱者の置かれた境遇を理解し、できる限りの支援をし、より多くの人々が幸福を感じられる社会になって欲しいとは思っています。

ただ、弱者をどこまで助けるべきか?
弱者を助けて本当に経済的にプラスになるのか?
弱者のために更に国債を発行して、社会全体が貧しくなったらどうするんだ?

といった現実的な問題は、今後も考え続けていきたいと思います。