【毒親の器を超える】脱洗脳 本当の自分を受け入れて、虐待を乗り越えるまで | 脱綺麗事ブログ

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【毒親の器を超える】脱洗脳 本当の自分を受け入れて、虐待を乗り越えるまで

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脱洗脳。
本当の自分を受け入れて、
虐待を乗り越えるまで。





はじめに。

前回、親の虐待により様々な後遺症に苦しんできたという話をしましたが、今回はその後遺症を乗り越えるまでの過程を綴っていきたいと思います。
虐待の影響は個人差が大きいので、こうやって虐待を乗り越えた人もいるんだ、程度に思って頂ければ幸いです。

私が経験してきた虐待による後遺症の重さは、自分だけの努力では到底乗り越えられるものではありませんでした。

虐待を乗り越えるまでの過程を簡単にまとめると、
無価値感に苦しんでいた私は、あるきっかけから本を読むようになり、信頼できる友人と出会い、感情が回復していき、父に本音を言えるようになり、母との関係が改善し、自分の存在価値を無条件で受け入れられるようになったことで、精神が原因で起きていた様々な症状が消えていきました。

虐待を乗り越えてきた人は、たくさんいると思いますが、私が他の人たちと違うのは、非科学的な綺麗事ではなく、科学的に正しい考えを持ちながら、虐待を乗り越え、精神的な幸福を手に入れられたというところだと思っています。
私がいう、科学的に正しい考えとは、人間の行動は、自由意志によってではなく、遺伝や環境でほとんど決まる、というものです。
人間に意志はありますが、自由だと感じているのは錯覚で、遺伝や環境が人の行動を決めている、という考え方です。

私も幼い時は、誰よりも自由意志の力を信じ、自分に厳しくすればするほど成長できると考え努力してきましたが、虐待による病的な臆病さは、どれほど頑張っても克服できなかったため、小学生の後半頃から自由意志の限界を感じながら生きてきました。

学生時代は、いつか、環境の影響を正しく理解してくれる人が現れて、私を地獄から救い出してくれると考えることが、唯一の希望でした。
結果的に、環境の影響を理解してくれる人は現れて、私の精神は回復したのですが、現れるのが遅すぎて、健康を失ってしまいました。

健康と人間関係と仕事の3つは、幸福に大きく関わっており、この3つがバランスよく満たされるというのが、一番理想的な幸福なのですが、私の場合、健康と仕事は、今も満たされていません。
働けない私が生活をできているのは、国からの援助金のおかげです。

そんな状況ではありますが、今は、精神的にとても幸せです。

働かずに国からお金をもらえているからだとか、無理して強がっているとかではありません。

もちろん、最高の幸福ではないと思いますが、昔感じていた虚無感は無くなり、最低限度の生活でも、心が満たされているという感覚を得ることができています。

激痛を伴う病気や、寝たきりの障害、過労シレベルの長時間労働や、借金で危ない人に脅されている、などのケースは例外だと思いますが、
基本的に幸福になるために、もっとも重要だといわれているのが人間関係です。
家庭でも学校でも会社でも、人間関係は常に付きまとう問題です。

私は、その人間関係には他者だけでなく、自分自身も含まれるのだと考えています。
つまり、自分で自分をどう評価しているか、自分の欠点も含めて、受け入れることができているか、ということです。
ありのままの自分を、自分自身で受け入れることが、安定した幸福を維持するために、とても重要だと思っています。

例え、お金や健康に恵まれていても、本当の自分を受け入れることができていなければ、どれだけ他者から認められたとしても、決して、心は満たされないのだと思います。

今の私にできることは、虐待の辛さを伝えることと、その虐待を乗り越えるための、一つの方法を発信することくらいだと思っています。

どこまで上手くまとめられるかわかりませんが、精神的苦痛が劇的に楽になるまでの過程を、書いていきたいと思います。





プライドを捨て、本を頼る。

虐待により、コミュニケーション能力や、学習能力に大きな問題を抱えていた私は、
病的なレベルで会話も勉強もできない、発達障害を疑うほどの落ちこぼれになりました。
また、コンプレックスとプライドの塊だったため、愛情を示したり、間違いを認めるといったことが全くできない問題児でした。
全ての人から好かれるために、いい人間になろうとどれだけ努力をしても、些細なことで怒りが湧いてきたり、恥を感じやすかったので、ふざけ合うことも苦手で、友人と普通に会話を楽しむことができませんでした。
孤独を埋めるためにゲームに依存し、寝不足になって、更にコミュニケーション能力や学習能力が下がるといった、悪循環に陥っていました。

また、高校時代からいろいろとバイトにも挑戦してきたのですが、職場の人に嫌われたくないという気持ちや、失敗して客を怒らせるのではという恐怖心から、バイトの前日はほとんど眠れませんでした。

当然、寝不足の状態で働くため、仕事は遅くミスも増え、失敗ばかりの自分を責めて更に自信をなくし、次こそは完璧に仕事をこなそうとプレッシャーをかけまくり、更に精神的に追い詰めて不眠症が悪化するという悪循環。

誰でもできることすらできない自分が社会に出ても、生きてはいけないのではないかという不安から、またゲームに逃げて体調を壊すという、情けない日々を送っていました。

どうにか不良ばかりの高校を卒業し、IT系の専門学校に進んだのですが、そこでも私の性格の悪さが仇となり、不良に目をつけられ、イジメられました。

私は両親との関係により、誰も信用できなくなっていたので、自分一人の努力だけで全ての問題を乗り越えようとしていたのですが、
どう頑張っても人間関係が改善することはなく、精神的に限界に達した私は、泣きそうになりながら本屋に入り、小さな心理学の本を購入しました。

それは、精神科医の斎藤茂太さんが書かれた、「あなたの心をリセットするいい言葉」、というものでした。
勉強も読書も大嫌いだった私でしたが、比較的簡単な言葉しか使われていなかったため、とても読みやすい本でした。
なにより人間関係の答えを強く求めていたので、意外とスラスラ読めました。

これがきっかけとなり、私は様々な心理学や自己啓発の本を読むようになっていきました。
この時期に、一番ためになったのは、ジョセフ・マーフィーの、「人間の最も強い欲求とは、他者から認められたいという気持ちである。だから、あなたが人から認められたいと望むなら、まず先に相手を認めなさい」、という言葉でした。
この言葉を見つけた時、自分が探し求めていた答えに、出会えた喜びで泣きました。
それまでの私は、常に相手から先に認めてもらうことばかり考えて、自分から相手を認めようとは、一切していなかったことに気付かされました。

相手を先に認めようと意識を変えたところ、確かに人間関係は以前よりもよくなりました。
本を頼れるようになれたことは、自分の中で大きな転機となりました。
そこから知的好奇心に火が付き、もっと知識を得るために、大学で本格的に勉強したいと思い、編入することになりました。





知識を得ても消えない苦しみ。

専門学校から面接だけで、運良く法律系の大学に編入することができた私は、人生で初めて、勉強を楽しいと感じることができました。
それまでは、全く興味の持てなかった学問に、興味を持てるようになっただけで、つまらないと思っていた勉強が、知的好奇心を刺激する、楽しいものに変わりました。
そのため、自分が専攻していた分野だけではなく、様々な分野の授業を受け、幅広い知識を得ようとしていました。
そこには、今までバカにされ続けてきた人生を変えたいという復讐心や、自分も賢くなって、金を稼げる人間になりたいという思いもありましたが、それ以上に、知識を増やすことが、様々な学問の面白みに気付くことに繋がり、人生をより楽しめると考えたからでした。
また、編入してきた生徒の中に、恐ろしく知識があり、発言力もあり、地頭までもいい、化け物のような生徒がいて、その人からも、多大な影響を受けました。

私は彼の賢さに近づきたくて、新聞で一番読むべきポイントはどこかと訪ねたら、「全てだ」、と返され、彼の知的探究心のレベルの高さに驚かされました。

彼の影響もあり、図書館の全ての本を読もうと思っていたのですが、この時、すでに不眠症とゲーム依存で目と心臓をだいぶ痛めていたため、満足するほどの読書はできませんでした。
知識がなさすぎて授業についていくのは大変でしたが、電子辞書やウィキペディアの力のおかげで、なんとか乗り越えることができました。

この時意識していたのは、賢い人の思考パターンをコピーして、自分のものにするということと、人の意見を徹底的に批判して、思考力を鍛えることでした。
あの頃の私は、アインシュタインの相対性理論にかみついて、早く移動するほど時間が遅くなるという理論は間違っていることを、証明しようとしていました。

大学は、無事に2年間で卒業できたのですが、目と心臓の状態は良くならなかったため、就活も思うようにいかず、結局ニートになりました。
周りの同級生は皆働いているのに、自分だけが働いていないという、現実からくる罪悪感と劣等感はかなりのものでした。

また、この時期も対人恐怖や不眠症、ゲーム依存症は完治しておらず、日雇いで一日働いては、一週間寝込むというような生活を送っていました。
20歳を超えて、未だに過去の親のしつけで悩んでいることや、ゲームのやりすぎで体を壊しているなんて、恥ずかしすぎて、絶対に人に相談などできませんでした。

その後も、将来への不安から逃れるために、また、虐待の後遺症を自分と本の力だけで乗り越えるためにも、図書館であらゆるジャンルの本を乱読し、精神的に楽になるための答えを探し続けました。

しかし、多くの本には、人が不幸になるのは環境ではなく、その人自身の努力不足が原因だと書かれていたり、考え方次第で、人は誰でも幸福になれる、というようなことばかりが書かれていました。
このような文章を読むたびに、こいつらは、本当の苦しみを何もわかっていない。いつか絶対に環境の影響力を証明してやる、という強い気持ちが湧きました。

ですが、親の悪影響を受けた人間が、それを乗り越え幸せになる方法など、どの本にも書かれておらず、虚無感に苦しむ生活は続きました。





本から得られたいい言葉。

虐待を乗り越えるための本は見つかりませんでしたが、
本からは、いい言葉にたくさん出会えました。
ここにいくつか紹介したいと思います。

デール・カーネギーの名言、
「人間は他人がシんだというニュースよりも、自分のちょっとした頭痛に千倍も気を遣う。」、この言葉のおかげで、人間は基本的に自己中心的だということを知り、他者の自己中心的な振る舞いを、少し許すことができるようになれたり、

「犯罪を犯した人間でさえ、自分を善人だと思っている」、この言葉のおかげで、虐待やイジメを行う人間が、罪悪感を感じない理由を、少し理解できるようになれたり、

「なにも悪いことをしていないキリストでさえ、十字架にかけられコロされた」、この言葉のおかげで、世の中の理不尽さを、少しだけ受け入れられるようになれたり、

「どれだけ人に影響を与えられるかは、どれだけ人から影響を受けたかで決まる。」、この言葉のおかげで、自分一人の考えに固執せず、多くの偉人から影響を受けようと思えるようになれたり、

「なにを話せばいいかわからないと嘆くなら、誰かに殴ってもらいなさい。そうすれば、なにを話すべきかすぐにわかるだろう」、このユーモアの効いた例え話のおかげで、自分の中で消えかけていた感情が、少しだけ回復し、自分の意見を相手に伝えたいという気持ちが強まりました。

アルバート・アインシュタインの名言、
「勉強すればするほど、自分が無知だと気づく。気づけば気づくほど、また学びたくなる。」、この言葉のおかげで、知的好奇心と無知の自覚を、常に持ち続けられるようになれたり、
「異常も正常のうち」、この言葉のおかげで、自分が異常な人間になったことにも、ちゃんとした理由があると考えられるようになり、自責の念が少しだけ軽減しました。

ミシェル・ド・モンテーニュの名言、
「私が意見を述べるのは、それが良い意見だからではなく、私自身の意見だからだ。」、この言葉のおかげで、自分の意見の不完全さを理解しながらも、自分の意見を伝えることの大切さを学びました。

2ちゃんねるの就職板の作者不明の名言、
「10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。 今やり直せよ。未来を。10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今」、この言葉のおかげで、時間を無駄にせず、今を精一杯生きようと思えるようになれました。

ポール・マッケンナの、「7日間で人生を変えよう。」、というポジティブな催眠をかけてくれるCDは、潜在意識を変えるために、寝ている間も聞いており、何百回と聞き続けているうちに、少しだけポジティブ思考になれたように思います。

これらの偉人たちの力強い言葉には、大いに励まされました。





自分の努力に自惚れないために。

この頃、私が一番気をつけていたのは、自分の努力に自惚れないことでした。
今でこそ、毒親や親ガチャという言葉を使ったり、環境の影響力を理解する人が増えてきましたが、
2000年から2010年頃の多くの人々は、どれほど酷い環境であろうと、環境のせいにするのは甘えであり、自分の行動は全て自分の自由意志によって決まるのだと、強く信じていたように思います。

そのためか、学力が高い人たちは、学力が低い人たちのことを、努力をしないダメな人間だと一方的に見下しているように私は感じていました。

私が勉強を嫌いになったのは、父から激しくバカにされ続けたことが影響していると思っています。
頑張っても能力が低いから、なにもできないダメ人間だと思わされ、自信を完全に失っていたように思います。
父に不信感を持つようになった小学生の高学年頃から、父は私を苦しめたいだけなのだと思うようになり、父から勉強しろと怒鳴られる度に、絶対に父の言いなりにはならないと心に決め、無言で抵抗し続け、学力はどんどん落ちていきました。
なので、私以外の勉強ができなかった人たちもきっと、環境が悪かっただけなのだろうと考えていました。

そんな私でも、無理して努力している時などは、自分の自由意志により、努力していると思い込みそうになることが多々ありましたが、自分が努力したいと思えているのは、全て環境のおかげなんだと、自分に言い聞かせ、戒め続けました。
自分の恵まれた環境に気づかず、自分の努力に自惚れて、環境的弱者を正しく理解しようともせず、見下すようなクズになるくらいなら、シんだほうがマシだとさえ思っていました。
それくらい、当時の私は、環境の影響を認めない、上から目線の高学歴たちを憎んでいました。

この時期は、まだ遺伝について知識がなかったため、全ては環境次第だと思い込んでいました。
人間に自由意志はなく、人の行動は環境で決まるといった考えは、家庭環境の悪影響で苦しんでいた私にとって、唯一の救いとなる信念でした。
その一方で、自由意志を否定することは、人間の尊厳を低下させ、未来への希望を失わせ、人を無責任にさせる、危険なものでもありました。

自由意志はないという考えは、自分の行動も全て、機械的なものだと捉えることになり、自分の未来もすでに確定しているといった考え方にも繋がります。
幼少期の家庭環境が悪かった私は、その悪影響を受けているため、将来も不幸であり続ける可能性が高いという結論に行き着き、今の努力は無駄なんじゃないかと思い、暗い気持ちになることもありました。

とても苦しくはありましたが、私にとって大事なのは、自分を気持ちよくしてくれる嘘を信じることではなく、科学的に正しい考えを持ちながら幸せになることだったので、自分の信念を貫き通しました。





統計学と科学が真実を明らかに。

そうした中、私が探し求めていた答えがのっている本を見つけました。
それが、スティーヴン・レヴィットの、「ヤバイ経済学」です。

犯罪や学力には、環境の影響が深く関わっていることを、統計学で明らかにした素晴らしい本です。

内容を要約すると、1990年代のアメリカの犯罪率低下の原因は、約20年前に合法化された中絶によって、劣悪な環境で育つはずだった子供たちが生まれなかったためだとし、
学力が高い子どもの親は、親自身も学力や年収が高い傾向にあり、自宅に本が多かったという共通点を、膨大なデータから見つけ出しました。

もし、人の学歴が、遺伝や環境ではなく、自由意志による努力で決まるのであれば、高学歴の子供たちと、その親の年収や学歴には、なんの相関性も見られず、ランダムのようにデータに現れるはずです。

また、この本では、インセンティブという動機こそが、人間をつき動かす原動力なのだと書かれており、この主張も人間をより正しく理解するために、役に立ちました。

この本は、環境が人に及ぼす影響を知りたかった私にとって、うってつけでした。
おかげで、私の努力不足を責めていた、母や妹にも環境の影響力を理解させることができました。

この本の著者レヴィットは、「人は嘘をつくが、数字は嘘をつかない」、という名言を残されており、この言葉で、人間の嘘を暴く統計学が大好きになりました。

その後も私は、ヨコミネ学園という、全ての幼稚園児がバク転ができたり、絶対音感を持っていたりする、とんでもない英才教育番組や、
ナニー911という、凄腕ベビーシッターが、親の言う事を聞かない子供を、親を変えることで子供も変えてしまうという、衝撃的なアメリカの育児改善番組を見たことで、環境で人は作られる、という信念を強くしていきました。

それからもう一冊、とても重要な本と出会いました。

マイケル・ブルックスの、「まだ科学で解けない13の謎」という本の中に、自由意志は未だに科学的に証明されていないばかりか、むしろ自由意志の存在を否定する根拠が積み上がっている」、という一節がありました。

この本に登場するベンジャミン・リベットという生理学者は、1983年に自由意志を証明するために行った実験で、逆に人間の自由意志を否定するような研究結果を残し、世界的に有名になりました。

彼が行った実験でわかったのは、人間が動こうと自分の意志で思う0.35秒前に、すでに脳内では体を動かすための活動が起きていたという衝撃的なものでした。
つまり、人は自分の意志で動いているのではなく、脳に操られているとも、考えられるということです。


これを読んだ私は、やっぱりそうだったのかと心で叫び、自分の直感が間違っていなかったことを喜ぶとともに、今までなんの科学的根拠もない自由意志をあると言い続け、社会的弱者に全責任を追わせ続けてきた、恵まれた高学歴たちを激しく嫌悪しました。

また、この本では、心理学者スティーブン・ピンカーの、「自由意志は虚構ではあるが、現実世界で使い道はある」、という言葉も紹介されており、自由意志を信じる人たちへの助け舟も用意されています。
例え科学的に自由意志がなかったとしても、社会秩序を守るために、犯罪者に責任を負わせる仕組みは必要だとの考えは、私も同感です。

ただ、犯罪者の再犯を防ぐために必要なのは、罰なのか、それとも再教育なのかという点については、冷静に、根拠を元にして議論すべきだと思っています。

もしかすると、私達人間の行動は、自分の意志で選択したものも含めて、宇宙が誕生したときから、物理法則により全て決まっていて、筋書き通りの人生を歩んでいる可能性もあります。
そう考えると、少し虚しさのようなものを感じますが、宇宙の視点から見れば、人間の存在はちっぽけで、儚い存在だったことを、思い出させてくれているようにも感じます。

私も普段は、人生は決まっていることなど考えず、普通に生きていますが、犯罪者をみて憎しみが沸き起こって来た時などに、冷静さを取り戻すため、彼らの遺伝や環境に一番の原因があるはずだと、考えるようにしています。

また、他人の努力に関しても、その人の自由意志による努力というよりは、その人の遺伝や環境による努力だと考えるようにしていますが、能力がずば抜けて高い人や、命を削るような努力をされている人を見ると、素直に尊敬することもあります。





高校時代の友人と再会。

そんなある日、あまり関わりのなかった高校時代の友人から連絡があり、会うことになりました。

彼とは高校時代に何度か遊んだことがあり、性格が私と真逆でポジティブだったため、自分とは合わないと思い、自ら避けていました。

久しぶりの再開で、いろいろと話す中、私が、「環境が人格に大きな影響を与えていると思っている」、といった話を振ると、「僕もそう思う」、と彼も同意してくれました。

それまでは、さんざん周りから環境のせいにするのは甘えだと言われ続けていたので、環境の影響力を理解してくれる人と出会えた感動で、全身に鳥肌が立ったのを覚えています。

他にも、私は彼に、自信はどうやって持つことができたかと尋ねると、「友人への信頼が、自分の自信と繋がっているような気がする」、と語っていたのが印象的でした。

彼は人格が非常に優れており、私が理想とする友人像でもあったため、とても好印象を持ちました。

高校時代の友人は、その後も定期的に連絡をくれ、話す機会が増えていき、
苦手だった電話や、直接会って会話することへの抵抗も、なくなっていきました。

また、彼は私の意見を否定せず、肯定し続けてくれたので、本来父親から得るはずだった、愛情のようなものを感じ、自己肯定感が高まっていくのを感じました。

あのような治安の悪いエリアで、彼のような愛情に満ちた人間と出会えたことは、本当に幸運だったと思います。

ただ、人を信じると、裏切られた時にまた傷つけられるため、完全に信じてしまわないよう気をつけてもいました。





父に本音を伝える。

高校時代の友人と再開してから、私は積極的に行動できるようになり、自分から過去の友人に連絡して直接会うといった、それまでではあり得ない行動まで取れるようになっていきました。

その時の私は、環境が人に絶大な影響を及ぼし、自由意志は存在しないということを証明するために、数少ない知り合いの中から、素行の良かった友人と、素行の悪かった友人に話を聞き、環境の影響を分析していました。

また、一生誰にも相談することはないと思っていた虐待について、心理カウンセラーに相談できるところまで回復しました。

ですが、カウンセラーからは期待していたアドバイスは得られず、皆、お金のために話を聞いているように感じられ、信頼できる人には出会えませんでした。

そんな時に偶然テレビで、「家族、貸します 〜ファミリー・コンプレックス」、という父と息子がいがみあう虐待ドラマを見たことで、今までの不満を父にぶつけることが回復に繋がるのでは、という思いが湧いてきました。

幼少期の父からの虐待により、父に意見を言えばコロされると思っていた私は、
一生父に言いたいことを言えずに終わると思っていたのですが、友人との出会いのおかげで、いつ、どうやって伝えるべきかと具体的に考えるようになっていました。

ですが、精神を回復させるためとはいえ、コロされたくはないので、もし父が私をコロそうとした時には、先に父をコロすという覚悟をした上で話そうとも考えていました。

その頃、母には父からの精神的虐待がどれほど辛かったのかを話していたため、母は私の精神的苦痛に対して、ある程度理解を示してくれていました。

そして、その時は突然訪れました。

夕食を済まして、家族でテレビを見ていた時に、母は突然、私の許可もなく、私の父に対する思いを代弁し始めたのです。
私はまだ心の準備ができていなかったので、心臓が破裂しそうなくらい緊張しました。

母が父を一方的に責め立てる中、無言の父の顔とこぶしは、怒りでみるみる赤くなっていくのが見てとれました。
次の瞬間、私の抑圧していた悲しみが溢れ出し、堰を切ったように号泣してしまいました。

そして、このチャンスを逃したら、二度と父に自分の意見を伝えられないと思い、イメージトレーニングしていた拙い言葉で、幼少期どれほど父に恐れながら生きてきたか、感情を抑圧され、ひたすらけなされながら生きることが、どれほど辛かったかを伝えました。
父の体から力が抜けていき、ただ黙って話を聞いているように見えました。

せめて武器を持ってから話したかったのですが、顔面蒼白で疲労困憊状態の私が武器を持ったところで、戦うことはできなかったと思います。

結局、自分の本音を伝えられたことで私が回復したかというと、完全には回復しませんでした。
それまで、泣くことや怒ること、自分の意見を表現することを禁じられて育ったため、抑圧してきた感情を父の前で表現できたことは、多少の回復には繋がったとは思います。

ですが、明らかな回復とまではいかず、無価値感による苦しみは続きました。





本当の愛とはなにか。

私を虐待し、健康を奪った父への憎しみ、母を狂わせた宗教への憎しみ、私をいじめた人たちへの憎しみ、弱者に全ての責任を背負わせる社会的強者への憎しみ、性格が悪く、頭も悪く、ゲームに依存し続ける、情けない自分への憎しみ。

多少知識は得たものの、依然としてあらゆるものへの憎しみで精神が疲弊し、自分の価値を受け入れることもできず、苦しみ続けていた私は、楽になれる答えを更に探し続けました。

水谷修さんの、「さよならが言えなくて」、という、薬物にハマる若者を命がけで助けようとする教師のドラマを見て、日本人で初めて尊敬できる大人に出会えました。
それまで、冷たく短気で、愛情もない大人ばかりを見ていたので、こんなに綺麗な日本語を話し、愛情深くて頭のいい日本人がいるのかと驚きました。
他人の子供をヤクザから救うために、自分の親指を潰せる教師なんて、聞いたことがありません。

心理学者ケリー・マクゴニガルの、「スタンフォードの自分を変える教室」を読んだことで、自分を責めれば責めるほど、依存症は酷くなることを知った私は、自分に厳しくするのをやめたところ、依存症が少し改善しました。

アシュリー・ヘギというプロジェリアという病気に侵され、低身長で髪がなく、様々な合併症に苦しみ、17歳という若さで亡くなるまで、ポジティブでい続けた女性を知り、なぜそのような状況下で幸せそうに振る舞えるのか知りたくて、「オール・アバウト・アシュリー」、という本を購入しました。

彼女は髪がなく、頭の血管が浮き出て見えるため、そのことをクラスメイトによくからかわれていたようです。
それに対して彼女は、「あなたにも同じ血管があるのよって説明するの。それでもからかうようなら放おっておくの。なぜならそれは、私の問題ではなく、彼らの問題だから」、と答えていて、私は感銘を受けました。
自分の問題と相手の問題を分離して考え、相手の問題に振り回されないこの思想は、人間関係のストレスを軽減させることに役立ちました。

彼女は、キリスト教徒であり、祈りによって精神を沈めているとも語っていました。
また、彼女の大人びた思慮深さも、キリスト教の教えからきていることがわかりました。

彼女の本の中で一番印象に残っているのが、幼い弟エヴァンへの言葉、
「弟に伝えたいのは、私が彼のお姉ちゃんであることがうれしいってこと」、
この言葉を読んだ時、なぜか感動して泣いた記憶があります。

言い換えると、「あなたがいるだけで私は嬉しい」、という言葉は、相手の存在を無条件に受け入れる、最上級の愛の言葉だと感じました。
その時に、私も人から無条件に愛されたかったんだと、気づきました。

イマキュレー・イリバギザの、ルワンダの悲劇が綴られた、「生かされて。」、という本の内容は、とても残酷で衝撃的でした。
ルワンダで仲良く暮らしていたフツ族とツチ族を、ベルギーが植民地支配し、背の高かったツチ族を支配的な階級として優遇したため、フツ族の不満が爆発し、フツ族によるツチ族大量虐サツが起きてしまった悲劇について書かれた本です。
この本に登場する、イマキュレーの兄が、フツ族に捕まりコロされる直前、兄は自分をコロす相手のために祈り、亡くなりました。
その祈りの内容は、「神よ、彼をお許しください。彼は自分がなにをしているのか、わかっていないのです」、というものでした。

自分をコロそうとする人間のために祈るなど、私には到底できません。

この本の著者のイマキュレー自身も、キリスト教徒で、祈りによってフツ族への憎しみを乗り越えられたと語っていました。

その時、私はふと気付きました。
母を宗教の洗脳から救うために、日本の宗教に関する本はいろいろと読み漁ってきたものの、キリスト教に関しては、あまり深く理解していなかったことに。

そして、キリストの映画をYou Tubeで見つけ、視聴することにしました。





自分をコロそうとする者を、何故許せたのか?。

最初に断っておきますが、私は今でも宗教は基本的に危険なものだと考えています。
宗教には、コミュニティに加わることができ、人の道徳心を高める、というメリットがありますが、基本的に非科学的な教えが含まれているため、教団側に悪意があった場合、信者は見えないもので脅されたり、金を搾取されたり、のめり込みすぎて家庭が崩壊したり、医学を否定して病気が悪化したりする場合もあるかと思います。
今は情報に恵まれた時代なので、科学に頼って苦しみを乗り越えて頂きたいと思っております。

私がキリスト教を調べようと思ったのは、キリスト教の信者たちがどのような思考過程を経て、憎しみから開放されたのかを知るためでした。
私自身、人を憎みすぎて疲れ切っていたので、早く開放されることを望んでいました。
もちろん、動画を見ている時は、洗脳されないよう、全てを疑いながら注意して見ました。
古い映画なので、誇張や脚色はもちろんあるでしょうが、それでもキリストの映画はとても良くできていました。
いくつか名言を紹介します。

「自分を愛するものだけを愛したからとて、なにが素晴らしいだろう。罪人でさえ同じことをしている。いいことをしてくれる人にいいことをしたからって、なにが優れているだろう。罪人もそれくらいできる。」
この言葉を聞いた時、私は衝撃を受けました。
説得力がありすぎて、それまで自分が考えていた善の定義が、いかにちっぽけだったかに気付かされました。
人から好かれる善人になりたいという気持ちが強かったから、私には響いたのかもしれませんが、これを聞いて、キリストが述べた善に近づきたいと思ったことは確かです。

「人を裁くな、そうすれば裁かれない。罪に定めるな、そうすれば罪に定められない。許すんだ、そうすれば許される。与えよ、そうすれば与えられる。あなたのそのはかりで、はかりかえされるから。」
この言葉は、宗教的なので紹介しようか迷いましたが、私の回復に繋がった言葉なので紹介させて頂きました。

キリストのこの言葉の本当の意味は、人に与えたものを、あなたは神から受け取ることになる、ということだったと思いますが、私は神など信じていないので、違う受け取り方をしました。

与えよ、そうすれば与えられる、という有名な言葉がありますが、これは、
人に無償で親切を施している、ボランティの人たちの幸福度が高いことと繋がっているように感じました。
また、高校時代の友人が、友人への信頼が、自分の自信に繋がっている、と語っていたことも、なんとなくリンクしているように感じました。

そして、許せば許される、というところを、私は、父を許すことで、自分の憎しみから開放される、と受け取りました。

「なにを食べるかと思い煩うな。なにを着ようかとも思い煩うな。命は食べ物に勝り、体は服より優れている。思い煩うことによって、寿命を一日でも伸ばせるか? それすらできないのになぜ、他のことまで思い煩うんだ?」
、この言葉は、皆が貧しかった当時、不安にとりつかれ悩む人々を、勇気づけ励ます言葉だったようです。

そして、十字架に磔にされ、シを待つキリストが神に言った言葉、
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか、分からないのです。」

最後の言葉を聞いた時、キリスト教の信者でもない私は泣いていました。
キリストは、聖地エルサレムが商売の町になっていたことに怒り、屋台をひっくり返すといった騒動を起こし、また労働者を搾取する当時の宗教を批判して、国民を扇動した罪などで、罪人たちと共に処刑されました。

なぜ自分をコロそうとする人たちを許すことができたのか。
それは、相手の無知を理解していたからだと気が付きました。

ソクラテスは、自分の無知を自覚することの、大切さを述べていましたが、キリストは、相手の無知を理解して、許すことの大切さを、教えてくれていたのだと感じました。

この考えにハッとさせられた私は、父と同じ土俵でいがみ合うのではなく、自分が一歩先に進み、父が自身の愚かさに気づけていないことを理解して、無知な父を許すことで、早く憎しみから開放されたいと、思い至るようになりました。





無条件で自分の価値を受け入れる。

誰も信じずに、安定した自信を得る方法を見つけることに加え、父の無知を許して楽になるという新たな目標ができた私は、また頭で考え始めました。

自分だけを信じて得る、安定的な自信、
主観ではなく、客観的に見て正しい自信、
自分の努力に自惚れず、人を見下さない自信、
自分を甘やかさず、成長し続けられる自信、

これらの全てを満たした、完璧な自信を得るにはどうすればいいのか?。

人を信じて期待を裏切られ続けた私は、他者との関係に一切依存せず、自分一人で絶対的な自信を得ることに、強く執着していました。

ですが、そのようなことを考え始めるたびに、答えが遠のき、胸が苦しくなりました。

もう少しのところまで来ていると感じながらも、なかなか答えにはたどり着けませんでした。

そんなある日、寝る前に、皿洗いをしていた時、ふいに母から、「ありがとう」、と、感謝を伝えられました。
いつもならなんでもないただの日常なのですが、この時の私は、自分の存在価値を疑いすぎて、精神が不安定になっていました。

働くこともできず、ゲームに依存するダメ息子に、笑顔で感謝してくる母を見て、母の愛情の大きさを知り、ウルッときてしまい、今まで疑っていた母の愛を信じてしまいそうになりました。

その夜、私は、一人で自信を得る方法を探すことをもうやめる、と、高校時代の友人にメールで伝え、眠りにつきました。
その翌朝、眠りから覚める直前に、頭の中で全ての点が繋がって、パッと白くなったと思った次の瞬間、人生で初めて、自分の存在価値を無条件で受け入れるという経験をしました。

長かった自己否定感から開放された感動のあまり、鳥肌が止まらず、その日から一週間、私は泣き続けました。

ここで得た自己肯定感とは、自分を大好きになるということではなく、自分らしさを欠点も含めて、そのまま許して受け入れるという感覚のことです。

この時、私は過労シしそうなくらい弱っていたので、本当の自分を拒んでシぬか、無条件で自分を受け入れて生きるかの、二択しかなく、目覚める瞬間に、無意識の私は後者を選んだのだと思います。

今までの苦しみが大きかった分、乗り越えた時の達成感や幸福感は、とてつもなく大きいものだったので、一時的にですが、この幸福感を感じるためだったら、過去の辛い経験を肯定してもいいと思うこともありました。

生まれてから20年間、人から好かれるために本当の自分を押しコロし、父の歪んだ性格による悪影響で人から嫌われ続け、辛い記憶を消すためゲームに逃げて、シんだように生きてきましたが、20歳で本の面白さを知り、必死に知識と経験を積み重ねた結果、25歳でようやく虐待による精神的苦痛を乗り越えることができました。

そしてこの体験の後、父があのような冷酷な人間になってしまったのは、無条件の愛を知らないからだと感じたため、すぐに感謝をメールで伝えました。

結局メールは返ってきませんでしたが、一時的にでも、父を許して楽になる、という課題はクリアできたのだと思います。

この後、私の家庭は経済的に苦しくなったことで、母は更に宗教的に没頭していき、無理がたたって階段から転落したり、てんかんを起こして入院するなど、散々でした。

母が苦しんでいる時の、父の無愛想な態度に腹を立てた私は、いつか父をコロしてしまうのではと思ったため、母に離婚するよう圧力をかけ、今では父の顔を見ないで済む穏やかな日々を送っています。
最後の家族会議でも、父はムスッとした顔で、ひたすら無言を貫きました。

私は自分ができる限り、父を理解し許そうとしてきたつもりです。
なので、もうこれ以上、精神的に未熟な父に振り回されないためにも、父と決別することにしました。





私の体になにが起こったのか?。

母の愛を無条件に受け入れたとたん、自分の価値を無条件で受け入れられるようになり、同時に父を無条件に許すことができるようになれたのだと思います。

母の愛の受け入れと、自分の価値の受け入れは、ほぼ同時に起きたのだと思うので、どっちが先なのかは私にもわかりません。

この時の、私の頭の中の現象を言語化すると、

まず、私の全てを否定してくる厳しすぎる父と、私の全てを肯定してくれる甘すぎる母がいて、成長したかった私は父の言葉を信じてしまい、生地獄を味わいました。

徹底的に自分に厳しくすれば、人として成長できると信じていた私は、母からの褒め言葉を全て無視し、全ての人から認めてもらった時に、初めて自分の価値を受け入れるべきだという考えを持つようになりました。

一人や二人に褒められた程度で自信を持ってしまうと、今の自分に満足してしまい、人として成長できなくなり、私の夢だった、全ての人から好かれる完璧な善人にはなれない、と考えていたのです。

そして完璧な善人像を他者にも求めてしまい、自分にも他人にも要求水準がとても高くなり、自然と孤立していったのだと、自分では思っています。

しかし、母からの感謝の言葉が引き金となり、自分の価値を受け入れたがっていた潜在意識が表に現れ、父により作られた否定的なメンタルブロックが外れたのだと思います。

そして、覚醒する直前に、私を無条件で肯定し続けてくれた母の愛を、無意識が受け入れたのと同時に、私自身も自分の価値を無条件で受け入れられるようになり、無価値感による苦痛は、100分の1程度にまで下がりました。

この感覚は別に特別なものではなく、普通の一般家庭の人たちなら誰もが経験している普通の感覚だと思っています。
私の場合、本当の自分を否定する期間が長すぎたため、衝撃が大きかったのだと思います。

回復直後は、しばらく躁うつ病のように、ポジティブとネガティブを繰り返し、徐々に安定していきました。
対人恐怖や完璧主義はもちろん、自己愛性人格や回避性人格、不眠症、ゲーム依存症など、あらゆる精神病が、劇的に改善していきました。

自己嫌悪により、自分が書くメールや文字でさえ、気持ち悪くて見ていられなかったのに、それもなくなりました。

他人の目が気にならなくなり、自分の気持ちを表現できるようになり、自分の欠点を自然と受け入れられる感覚は、本当に楽で、自由で、恵まれた状態だと思います。

無条件で自分の価値を受け入れるなど、少し前の私には絶対に不可能でした。
そもそも無条件で受け入れるという言葉が、目には見えない神を信じている人たちを連想させ、宗教のようで嫌いでした。
なにかを受け入れるためには、根拠が絶対に必要で、それは自分の価値も同様だと思っていました。

また、皆が自分の価値を無条件で受け入れれば、世の中の人たちはみんな今の自分に満足し、自分に甘くなり、努力しなくなるとも考えていました。

無条件で自分の価値を受け入れてわかったことは、
虐待により自分の価値を受け入れられなくなった人が、一人でそこから抜け出すことは恐ろしく難しいということ。
自分の存在価値を他者と比較し続けている限り、全ての人が幸せになれる世界はやってこないということ。
自分を無条件に受け入れられるようになると、自分のミスを受け入れられ、他人からの批判に強くなり、些細なことで自尊心がぐらつかなくなること。
自分の価値を無条件で受け入れても、人は必ずしも、自惚れたり、人を見下したり、自分に甘くなったり、努力をしなくなるわけではないことを知りました。





最後に。

私が長年苦しんでいた根本的な原因は、一言で言えば、親から愛されているという確信が得られずに、本当の自分を受け入れられないことで起きていたんだと思います。

父親の厳しすぎる精神的虐待により、
全ての人よりも優れていなければ、自分には価値がない。
全ての人から好かれていなければ、自分を愛してはならない。
世界一でもないのに自信を持つことは、甘えであり自惚れに繋がる。
本当の自分をおもてに出せば、人を傷つけ嫌われる。
そのような強い信念があり、ありのままの自分を受け入れることができなくなっていました。

また、過去の私は父と同様、他人を認めたり、自分のミスを認めることが全くできず、そのことが原因で相手に何度も嫌な思いをさせてきました。
白黒思考と呼ばれる、極端な思考しかできなかった私は、
他人の優秀さや自分の失敗を認めてしまうと、自分が無価値であることを認めることになると思い込んでいたようです。

本当の自分を否定したところで、別人になることはできません。
本当の自分を一度受け入れて、少しづつ望む方向へ変えていけばいいのだと思います。

そもそも、自分の価値を受け入れるのに、根拠など必要なかったのだと思います。
私の妹は自己愛が安定していたのですが、自分の価値があるかないかなんて、考えたことがなかったようです。
私も虐待を受けていなければ、自分の価値など考えることなく、幸せに暮らしていたのかもしれません。

今回は、私が虐待による精神的苦痛から抜け出すまでを綴ってみました。
偉人が残してくれたいい言葉はたくさんあるので、皆さんも探して見てください。

私は、虐待を克服するという念願の夢が叶いましたが、全ての問題が解決したわけではありません。

私は精神が回復した後すぐにブログを開設し、自分が虐待を乗り越えるまでの過程を綴り始めましたが、体調が悪化して情緒が不安定になり、人を傷つけるような発言をしたため、すぐにやめました。

それから10年ほど経ちますが、持病を治して稼ぐ方法や、母の霊に取り憑かれたという妄想を無くす方法など、解決していない問題はまだまだあります。

いくら自分で自分を認められるようになれても、社会はそうはいきません。
生きているだけで、認めてくれるのは、家族などの一部の人に限った話しです。
社会から認められるためには、金を生み出せる人間にならなければなりません。
また、今まで非科学的思考を批判してきましたが、非科学的思考を持った方が幸福度を高められるケースも現実にあります。
このあたりの問題については、もっと情報を集めて、時間をかけて考えていきたいと思っています。

結論として、私の家庭の問題は、私一人の努力など、無意味に等しいと言えるほど、複雑で大きなものでした。
なぜ、両親の問題を指摘してくれるまともな大人が、近くに一人もいなかったのか?。
なぜ、子供の精神を破壊しておきながら、父親を法律で罰することや、謝らせることすらできなかったのか?。
なぜ、学校は勉強を苦しくて、つまらないものだと思うような教育を続けているのか?。
なぜ、人は自分の問題や間違いを、素直に認めて変えようと思えないのか?。
なぜ、人は科学で証明されていない、自由意志をここまで信じるようになってしまったのか?。
などなど、疑問は尽きません。

また、少し長くなりすぎたので、今回はこのあたりで終わろうと思います。

次は、自由意志を否定しながら幸せに生きる方法について、語りたいと思います。

自由意志の問題は難解で、永遠に明確な答えは出ないかもしれませんが、自由意志に関する最新の書籍などを参考にしながら、自分なりの答えを出してみようと思います。

私は目を痛めていますが、耳での学習ならいくらでもできます。
なので、図書館で借りた本を、スマホとパソコンで音声化して学習したりしています。

次の動画はいつになるかはわかりませんが、倒れない範囲で、ゆっくり書いていきたいと思っています。

ご視聴、ありがとうございました。