心と体の関係、禁煙をしている人も喫煙者 | 禁煙成功より喫煙失敗

禁煙成功より喫煙失敗

禁煙をしたくない人でも、タバコをやめられるかもしれない。
少なくとも一人はいましたから・・私ですけど!(^^)!

仏教では「殺すより 劣らぬものは 思う罪」といわれ、

体で造る罪よりも、心で思う罪が最も恐ろしいと教えられる。

 

体や口で造る悪も問題だが、

心で造る悪は一番恐ろしいと言われる。

 

体や口を動かすのは心

体や口は、心のドレイである。

 

倫理法律は、基本的に、口や体の行為しか取り締まることはできない。

人間の目は体の行為を見ることしかできないし

人間の耳は口で発せられた言葉しか聞くことは出来ない。

人間の能力の限界をもとにしてしか法律は作れない。

 

心の悪を問題にしたら、警察官も、裁判官でさえも

刑務所に入ってもらわなければならない

心を問題にできない、またしないのは、人間の能力の限界であり、人間の都合の問題である。

しかし、心が一番重要であることは何ら変わらないこと。

 

さて、

タバコをやめると言っても、

大きく二種類の状態がある。

 

その中で、禁煙というのは

吸いたい心を放置したまま、吸わないという体の行動を抑制すること。

そして、それにより、

喫煙の原因となっているニコチンという化学物質を無くすことによって、

吸いたい心を無くそうという試みに他ならない。

 

それに対して、喫煙失敗というのは、吸いたい心に直接アプローチする。

吸いたい心は、ニコチンという化学物質と、

ニコチン依存症という情報で出来上がっているものであるから、

ニコチンを無くさなくても、

その情報の方をなくしてしまえば、吸いたい心は霧散する。

 

吸いたい心さえなくしてしまえば、

吸うという行動はしなくても良くなる。

 

禁煙している間は、吸いたい心がある状態。

吸うという行動をしてはならないという状態である。

 

禁煙をしている人も、その心の状態からいえば

喫煙者に違いはない、禁煙がたびたび失敗してしまうのも無理のないことだろう

 

禁煙を している人も 喫煙者

   抑える心 あるがゆえなり

 

吸う心を抑える必要のない

喫煙失敗への道はこちらから。