ゲイが思う 「イタリアの船長」
イタリアを運航中の豪華客船の座礁事故を聞いて、鴻上尚史が以前
「何が信じられないって、イタリア人パイロットが操縦している飛行機がまともに飛ぶこと」
と書いていたのを思い出した。
あんないい加減なイタリア人が操縦しているのにという話だったんだけど、今度の客船の事件、
鴻上尚史は(ああ、やっぱり)と思っているのかな。
ところで、この船長が事故後母親にして電話の内容が報じられているけど、それは本物なの?
マザコンなの?
結婚していないの?
嫁さんがいたら、いろんな意味で別れたいよなぁ。
ゲイが思う 「そんなリサーチ能力で大丈夫か?」
高所得者は人の見ていない所で善行を積む
年収1500万円の人は、年収500万円の人よりも、誰も見ていない所で善行を行っている割合が高いこと..........≪続きを読む≫
上の記事の詳細は、リンク先を読んでいただくとして。
記事の内容は「プレジデント」誌の調査によれば、年収1500万円の人は、年収500万円の人よりも、誰も見ていない所で善行を行っている割合が高いのだそうです。が。ちょっと突っ込みどころが多い。
そのリサーチは
『「ゴミ拾いなど、誰も見ていないところで意識的に善い行いをするようにしている」との問い』
に対して「あてはまる」と答えた人の割合を比べているのですが、まず、
ゴミ拾いって、善行なの?
「習慣」でなく「善行」という意識でなきゃしないことなの?
なぜ人が見ていない所でするの?
人が見ていてもいいんじゃないの?
人が見ていないところでやっていながら
こういうリサーチだと「やってます」って答えるの?
結局、自意識過剰で、常に対価を意識する習慣があるものだから
対価のない純粋な「善行」ができない、あるいは、
「人目につかないところでやる」ことに価値を見つけている人の割合が
金持ちに多い、ということにもなるんじゃないのかねぇ。
やっぱ、いいことをやってあげているんだから、その見返りは、
少しでもいいから欲しいんです。俗人は。
マザーテレサみたいにはなかなかなれません。
ゲイが思う 「まんまやないか」
フルマラソンの余韻で、股関節がガクガクのdatteです。
このあいだ走ったマラソン大会で、コース途中の車屋の前に
この着ぐるみが立って応援していました。
ま、応援といっても、そこらのゆるキャラ着ぐるみのように
手を振ったりということもなく、本当に直立しているだけなのですが
結構有名なだけあって、選手たちも走りながらざわめいてました。
「かくかくしかじかだ」
「あ。かくかくしかじか」
かくかくしかじか、というのは御存じのとおり、そのキャラクターのCM
に出てくる言葉なんですが、そういえばこのキャラクターの名前って何だっけ?
かくかくしかじかって名前だったっけ?
帰ってから調べよう、と思ったのですが。
さっきダイハツのページに行ったら、かくかくしかじかは名前でした。
正確には「カクカク・シカジカ」。声優は生瀬勝久さん。今やっている、空港から
バカンスに向かうシリーズの、マイクを向けるレポーター役の女性の声は
東海林のり子さんだそうです。
それにしても言いにくい。
走っている最中に呼吸が乱れそう。
速く走っているグループでは、きっと声に出して名前を呼ばなかったと思う。
ゲイが思う 「女の話は長いだけ?」
ワタクシはゲイで、ノンケの男性に比べれば女性的だと思われがちですが、ところどころ(あ。オレは男なんだ)と思うことがあります。
その1つが車の運転。多くの女性運転手の判断力の遅さ、意思表示の曖昧さにはかなりイラつきます。もっとち機敏に判断しろよ、と思います。
そしてもう一つが「聞いてもらいたいだけの話」
女性同士のあいだでは普通のことなんでしょうが、これはかなりいらつく。
聞いてもらいたいだけの話は、男は他人にしません。
私の調査によれば、聞いてもらいたいだけの話は、オジサンはペットにしています。飼い犬。
携帯電話の待ち受け画面がペットになっているオジサンの、苦しみ・悲しみを受け止めているのは、家族でも同僚でもなく、飼い犬だと思います。
ゲイの中にも、女性的なゲイ・男性的なゲイがいて、それはそのまま「聞いてもらいたいだけの話」に耐えられるかどうかのボーダーに重なるのですが、逆に
ノンケの男性の中にも「聞いてもらいたいだけの話」をする人がいます。
でも
そういうノンケ男は、おそらく簡単に、入口にたどり着けば簡単にゲイになると思います。
ただ
そういうゲイ男は、ゲイから見て魅力がないので、入口を案内することは、決してありません。
あなたのその行動、実は彼から嫌がられてるかも! 男と女の脳の違いから生じる「恋愛NG行動」って?
「いい男がいない」と話す女性がいます。本当にそうなのでしょうか?もし自分が「いい男がいない」と口にし..........≪続きを読む≫
ゲイが思う 「虎土」
運勢を変えたい気持ちはわかるが
いくら何でも「花田虎土」と書いて「はなだまさる」と読ませるのは
ちゃんこの食い過ぎにしてもホドがある。
子どもの名前 あて字はどこまで許される?
■法律の定めはなくても、間違いは間違い 子どもの名前の読み方については二つのことを考えなければなりま..........≪続きを読む≫
ゲイが思う 「内柴は本当に(準)強姦したのか9」
家政婦のミタを一回も見ていないdatteです。寒いですね。
もうすぐクリスマスなのに、まだこの話が続いています。が、今回でひと区切りつきます。本当なら、強姦の話よりもっとくっだらない話を書きたい。
今回は前回お話ししたように、この事件はなぜこのような経過をたどることになったのかという話をします。
私は現場にいたわけでもありませんし、全くの部外者で、報道されていることから想像するしかないのですが、想像するにしてもまったく自由なパーツを自分で作って埋めるのは避けたいと思います。それは妄想だから。妄想は公表しなくていいでしょ。
で、今回の事件の最初のつまずきは、最初の学長の記者会見での「セクハラ」発言だと思っています。
最初にメディアには、この出来事が「セクハラ」として紹介されました。この「セクハラ」は、実際には内柴と学生がヤっちゃっていたことを指すのですが、学長はそのことを明らかにしませんでした。単に「セクハラ」と紹介しただけ。その「セクハラ」に対して内柴は学生との合意うえだと言っている、ということしか明らかになりませんでした。
まず、ここで1つ問題なのは「セックス」は「セクハラ」に含まれるという認識が一般的なのか、ということがあります。
私は「セクハラ」というのは、やった人間、やられた人間の関係性で決まる程度の行為、たとえば「かわいいね」という言葉ですら、言った人間に対して好感を持っていれば「セクハラ」にならず、持っていなければ「セクハラ」になるというレベルの行為で、行為そのものよりも、主観的な関係性で社会的評価が定まる程度のものだと思っています。簡単に言えばお互いがよければ「セクハラ」にはならない、というのが「セクハラ」への一般的認識だと思います。
ですから学長が「セクハラ」という言葉をチョイスし、しかもそれに対して内柴が「合意の上」と言っていると公表したのは、この出来事に対する世間の認識を誤らせることになったと思います。合意があるならセクハラにはならないだろう、という認識を持つ人がいた。そういう意見がネット上で見られた。これは学長には意外だったと思います。学生とヤっているのに許されるのか、と学長は思ったと思います。でも、それは学長の言葉のチョイスが悪い。
もし、最初の内柴の懲戒解雇の記者会見で「内柴が学生と不適切な関係になったので懲戒解雇とした。内柴は合意があったと述べているが、合意があったかどうかわからないものの、合意があったとしても教員として不適切であると判断した。具体的な内容は言えない」と学長が言っていたら、この事件はどうなったでしょうか。
まず内柴が学生とヤっちゃったのかもな、ということを考える人は「セクハラ」という表現の時よりは格段に多いだろうし、「合意があってもヤっちゃマズイだろ、内柴」「辞めさせられてもしょうがないよ」という流れになっていたと思います。学校の処分は適切だということに落ち着いたと思います。その時、はたしてその後の逮捕があったのか。
でも「セクハラ」の内容も、内柴が「合意の上」と言っているとしかわからない世間には、学校の処分が正しかったのかがわからない。そのうえ内柴が自身のブログで、記者会見での学長の言い分に納得できないことがあるようなことを書いてしまった。ここに次のつまずきがある。
この記者会見からしばらくして、内柴は準強姦で逮捕されるのですが、既に書いたように、私は、この被害届は最初の記者会見のあとに出されたのだと思っています。最初の記者会見というか、内柴のブログが公開されたあと。そうでなければ、学長が最初の記者会見で「セクハラ」と具体的な内容をとにかく隠した意味がない。直接「強姦」と言わなくても「犯罪」なり「捜査中」なりいろんな表現で事件性があることを、最初の記者会見で言えたはずです。それがないのは、最初の記者会見の時は、内柴が学生とヤったことは事件になる予定ではなかったのだと思います。
じゃぁ、なぜ事件になったのか。被害届が出されたのか。
内柴のブログだと思います。いろんな「えーーーーっ」がある、まぁいいです、というヤツです。これが逆鱗に触れたのだと思います(←誰の?)。
相手が「合意がある」と言っていて、その行為がセックスのとき、その合意を否定するなら、相手の行為は「強姦」だと言うしかありません。学長の記者会見を見た人間が「セクハラで合意があるのなら内柴が悪いとは限らない」という反応をしたことで、合意がないことを強くアピールせざるを得なくなったのだと思います(←誰が?)。
誰の? 誰が?
わかりません。学長か、被害者か。
内柴のブログを見て激怒するのは学長か、被害者です。学長は自分がバカにされているように思ったかもしれないし、被害者(か、被害者の関係者)も反省が見られない内柴の態度に業を煮やした可能性もある。あんなに「セクハラ」だと隠していた大学が、逮捕後、その強姦はあのセクハラですとあっさり認めてしまった変わり様に学生を庇う姿勢はありません。私は学長主導で被害届を出させたんじゃないか、とも疑いました。両者とも激怒していることももちろんあります。
こうして内柴は逮捕され、今後どうなるかということは前回に書いたとおりです。
もし。
学長の記者会見がマシだったら
内柴のえーーーっもなかっただろうし
こんなに拗れなかったんじゃないかなぁ。
あ。大学がこの事件を知ったのも、被害者からではなくて「被害者の関係者」からだったんだよな。
人を介するたびに話が歪になって原形がわからなくなることはよくあります。
本当は何がおこなわれていたのかということは、最後の最後は内柴と学生にしかわからないことです。私が長々と書いても、それは可能性の1つに過ぎないし、内柴が強姦していたというのも現時点では可能性の1つに過ぎない。でも、何にも検証されないうちに、過去のいろんな表彰を取り消されたりだとか、善悪が断定されているのは、マスヒステリーですよ。異常。
だから、私はこの事件はきちんと刑事裁判にした方がいいと思っています。メディアが煽れば善悪が決まるようになれば、自分を善とするためにメディアを動かす人も出てくるでしょう。
メディアをそこまで信用して大丈夫ですか?
もっと自分の頭で考えてみましょうよ。
ということですかね。私が言いたいことは。
これで、今のところこの事件で書きたいことは終わりです。
今後進展があったらその時に書きます。
長いことお付き合いいただいてありがとうございました。
次は、頼まれて人の顔にオシッコをかけた話でも書きましょうか。
ここはそういうブログですし。
ゲイが思う 「内柴は本当に(準)強姦したのか8」
寒くなりました、もう年末ですし。
ちょっと私のスタンスを確認しておきたいんですが、私はこの事件はきちんと裁判になった方がいいと思っています。刑事裁判で。きちんと。
大学の教員が学生と関係を結んだというのは、オリンピックメダリストかどうかとは関係なく、もう何が何でも不謹慎だと思いますが、それが犯罪になるのかは別問題だと思っています。
でもこの事件は、最初から変。
学長の記者会見も、警察からのリーク情報も、被害者がとる対応も変。
突っ込んで欲しいの? と思うくらい偏っている。
で、その変さを検証できないというか、しないうちに、内柴は極悪人という結果を出す世の中も変。気持ち悪い。
だから私はここに書くし、オープンにしようと思ったんですが。
前回までに書きましたが、被害者とされる学生側のスタンスは「示談に応じろ」だと思います、今でも。そのために内柴を厳しい環境に置いて揺さぶりをかけたい。警視庁の「捜査関係者」からリークされる情報が被害者の言い分だけで、関係者からの情報が全くないのは(被害者の言い分にみんなが同情している、もうここら辺で矛を収めたら?、立件は難しいよ)という被害者を諦めさせるルートを作りたいからだと思います。
本当に内柴を追いつめたいなら、当日の様子を他の学生がこう言っていたという情報もリークされそうですが、それが全くない。私はネットニュースでも見ませんでした。この偏りぶりは相当におかしい。部屋に侵入というのはオートロックではありえない、という突っ込みを待っているような情報が流れるのは、警察が被害者側に立たず、被害者の言い分をそのまま流しているからだと思います。警察も食傷気味なんだと思います。これ以上の進展はないだろうと思います。
今、この事件について報道がまったく途切れてしまっているんですが、今後どうなるかというか、この事件の全体像がわかるのは、この事件が起訴されるかどうかがわかる時だと思います。言い換えれば、身柄拘束の期限。12/6に逮捕されていますから12/29頃かなぁ。検察官が有罪にできる証拠がないなら釈放です。そうでないなら起訴。この事件の嫌疑だけでこれ以上身柄を拘束するのは制度上無理。起訴されたら告訴の取り下げは出来ず、被害者は法廷に引きずり出されることになる。被害者側がコントロールできるタイムリミット。
で、起訴が無理そうだという結論になったら告訴を取り下げないか、という話が検察官から被害者に行くと思います。このままなら、嫌疑不十分で不起訴になるけどそうなると内柴勝利のように見える、それでもいいんですか、という引導が渡される。示談もへったくれもない。今度は内柴よりも被害女性に逆風が吹くことになる。取り下げませんか、という話が出る。そこで、この事件の被害者の全容がわかると思います。
あ。起訴する前提の話がない?
起訴できるのなら、もう起訴してていいんじゃないかなぁ。
学校が調べて2ヶ月。二度目の勾留更新を迎える意味がわからない。もう事実は出つくしているでしょ。
でも、取り調べに時間がかかるというのも、被害者が警視庁に被害届を出した目的なんだと思います。生きてるね。揺さぶり。
次回こそは、なぜこのような経緯をたどったかの話を。
(続く)
ゲイが思う 「内柴は本当に(準)強姦したのか7」
明日はアメバがメンテナンスに入るそうで、ちょっと急ぎ足に書きます。
なぜ被害者は被害届を地元ではなく警視庁に出したのか?
警視庁に被害届を出すことは別に問題はありません。犯罪地が東京ですから警視庁にも管轄がある。でも、この事件の実態を明らかにしようとするなら、関係者のほとんどがいる熊本の警察に届ける方が合理的。何より届けやすいではないか。わざわざ遠くに届けますか?
でも被害届は警視庁に出されます。関係者への取り調べは、警視庁の警察官が熊本に出張して調べているのかなぁ。御苦労様なことです。
なぜ被害者は被害届を地元ではなく警視庁に出したのか?
警視庁に被害届を出すのと、地元熊本に出すのとではどう違うのか。
警視庁に被害届が出されたことで、内柴は警視庁に逮捕され、身柄は東京に拘束されます。このまま進めば、普通、起訴されるのは東京の裁判所ということになります。これが狙いなのか?
たしかに犯罪の内容が内容だから、地元で裁判になるのはイヤだというのは考えられます。でも逆に見知らぬ東京の裁判所で騒がれるというのだって抵抗をおぼえそうな気がします。相手は有名人で、結局この事件は騒がれ(てい)るのだし、自分は被害者というポジションなのだ悪いことをしているわけではない、と思っていれば、被害者にとって、どこで裁判がおこなわれようが大差がないというか、いろんな覚悟は出来ていそうな気がします。裁判になることが前提なら。
別の可能性を考えます。
この事件の性質上、内柴と外部の接触はかなり制限されているはずです。面会とか差入れとかに制限がかかっているはずです。これは東京でも熊本でも同じような措置がとられるだろうと思います。
その制限がかかっている外部との接触の中でやっと認められている外部との接触が、東京で拘束されると、熊本のようにできない、ということが考えられます。内柴の弁護士がどこの弁護士なのかわかりませんが、もし仮に熊本の弁護士だとすると、東京に拘束されればそう簡単に面会に行けなくなるだろうと思います。家族からの差入れだって東京に行かないとできない。
このことが内柴にとってどの程度ダメージになるのか私にはわかりませんが、この程度のぐらいしか違いがないように思います。孤立させて、心理的に追いつめる。揺さぶり、嫌がらせのレベル。示談に応じさせようと考えてのことかもしれませんが、応じるかなぁ、内柴が、これくらいで。
でもその程度のことでもやるのは、被害者側が示談で解決させたいと今も考えているからだと思います。示談で解決というのは、被害者側の、この事件の最初からのスタンス。無論、今もその扉は開いているのですが、ここまで拗れてしまって、今さら示談なんてなるのかなぁ。
と、今日はここまで。
次は、なぜこうなったのか、今後どうなるか、という話を書きます。
(続く)