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だっちょのポルトガル滞在記

2011年9月から12月まで,IAESTEという国際インターンシッププログラムを使ってポルトガルで生活していました.
このブログは,当時書いていた滞在記を書き起こしたものです.

滞在記の「その0」はこちらから: http://ameblo.jp/dattcho47/entry-11250274732.html

※この滞在記は2011年12月21日に書いたものです


帰国してから早いもので3日が経ちました.
それでもまだ東京の生活に慣れません.
慣れないといったら変だけど,やっぱりリスボンとは大きく違うんだなぁと実感しています.
今日はそんな違いについて,簡単に書きたいと思います.

①東京はリスボンに比べると遥かに寒い
もう何回でも言いますが,東京めっちゃ寒いです.
月曜日にポルトガルの格好+α^2くらいの格好で出かけましたが,それでもかなり寒い.
自転車に乗るともう寒くて震えます.
リスボンに比べると空気がかなーりひんやりしています.
ちなみにリスボンの天気は以下の通りです.
http://tenki.jp/world/point-629.html  
湿度の欄に注目してみてください.湿度がやけに高いでしょ?
東京だと,夏は湿潤で冬は乾燥ですが,リスボンはその正反対で夏は乾燥で冬は湿潤なのです.
そのせいか,緯度は仙台くらいなのですが気温は奄美地方と同じくらいです.
気候的なすごしやすさはリスボンの勝ちといったところでしょうか.

②日本のコーヒーはポルトガルのコーヒーに比べかなり薄い
これも何回も言っていますが,日本のコーヒーが水のように感じます.
帰国して最初に飲んだコーヒーがあまりに薄くてビックリ!
後日改めて大学の自販機でブラックコーヒーを買うも,これまた水のような味でした・・・
ポルトガルのコーヒーは量がとても少ない反面,味が濃く深みがあります.
最初飲んだときはビックリしましたが,毎日のように飲んでいたため,今ではすっかり慣れてしまいました.
そしてさらには日本のコーヒーを水のように感じるという・・・
エスプレッソマシンの購入を本気で検討中です←

③左側通行に違和感
当然ながらポルトガルは右側通行です.
最初ポルトガルで道路を渡るときは「右見て左見てもう一度右見る」という習慣がなかなかとれず,何回も右側通行であることを忘れそうになりました.
今では逆に右側通行になれてしまい,たまーに先に右を見てその後左を見てから道を渡るときがあります.
少なくとも車を運転するまでには再度頭の中を切り替えたいですね.

④東京はリスボンにくらべゴミ箱の数が遥かに少ない
正直ここまでゴミ箱の数が少ないとは思いませんでした.
リスボンでは50m間隔でゴミ箱があったり(それでも公園はゴミが散乱しているw),地下鉄のホームにも必ずゴミ箱があったりと,美化には力を入れているようです.
路上に捨てられているゴミも翌朝には綺麗さっぱり片付いています.
リスボンのごみ収集は夜なので,その際に綺麗にしているのかもしれません.
そういえばカラスを一回を見なかったなぁ・・・
日本ではカラスのせいでゴミ箱が少ないのかもしれませんね.

⑤イベントが時間通りに始まる
昨日専攻の就活ガイダンスがあったのですが,時間通りきっかりに始まってちょっとビックリしましたw
ポルトガルでは15分遅れは当たり前.これでも他の国に比べたらかわいいほうなのでしょうか?
自分がプレゼンターだったときに,開始時間にミーティングルームに行ったのですが,誰もいないどころか部屋の鍵すら開いていないということもありましたwww


とりあえずポルトガルと日本,リスボンと東京の違いはこんなところでしょうか.
ほんの一部に過ぎませんが,印象に残ったものをピックアップしました.
こうやって海外での生活を終えて帰ってきて思うことは,やっぱり東京は独特な,変わった街なんだなぁということです.
カルチャーショックを受けているというかなんというか・・・
それでも東京は僕のMy home townには変わりありません.
なんとも思わなくなる前に,とりあえず記憶しておこうと思い筆を取りました.
※この滞在記は2011年12月19日に書いたものです


昨日12月18日の朝に無事日本に帰国しました!
いやぁ東京マジ寒い!
リスボンにいた頃は全くといっていいほど暖房設備を使用しなかったので,この気温はかなり堪えます.
リスボンの気温は10℃~18℃.東京とは10℃近く差があります.
そして周りが日本人だらけですごく違和感!w
自分の家に帰ってきたというよりも,まだ旅の途中なんじゃないかっていう不思議な感覚です.
しばらくしたら「帰ってきたぞー!」っていう感じになるのかな・・・
でもやっぱり自宅,快適でございます.

今回の帰国は本当にドタバタ,というか奇跡の帰国になりました.
今日はそのことについて,寝る前に書こうと思います.

リスボンのフラットを出たのが4時30分ごろ.
その前にフライトをチェックしたのですが,この時点で既に45分の遅れが見込まれ,出発が7:40から8:25に変更になっていました.
最初の目的地であるチューリッヒでの乗換えが通常通りだと90分なので,かなりギリギリです.

家からは大通りまであるいてタクシーで空港へ.
本当はタクシーを呼ぼうと思ったのですが,家の近くの大通りは空港を行き来するタクシーがたくさん走っていることがわかり,呼ばずに道で拾うことにしました.
案の定すぐにゲットし空港へ.

空港に着くと緊急事態!
出発時刻が8:50,つまり遅れの見込みが70分になってやがる・・・
この時点で乗換え時間が20分に.
チューリッヒのMTT(最短乗換え時間)は40分なので,これはかなり厳しい(というか無理).
とにかくチェックインカウンターのお姉ちゃんに事情を話す.

自分「遅れが70分になっているんだけど,この東京便には乗れるの?」
姉①「かなり走らないと厳しいわね.」
自分「もし乗れなかった場合は?」
姉①「トランスファーディスクに行くしかないわ.」

なん・・・だと・・・
まぁそりゃ走らないと厳しいのは百も承知ですわ!
しょうがないので次は搭乗ゲートのお姉ちゃんに聞いてみる.

自分「ゲートっていつ閉まるの?」
姉②「うーんと,出発が13:00だから12:25かな.」
自分「でも今の遅れだとチューリッヒに着くのは12:20だよね?」
姉②「そう.だから走るしかないね.」
自分「待たせることはできないの?」
姉②「航空会社が違うからなんとも(リスボン→チューリッヒはTAP)・・・」
自分「出国審査とかもあるよね?」
姉②「そう,だから走って!ちょうどいいエクササイズじゃない?幸運を祈るよ!」

エクササイズっててめぇwwwwwww
で,なんだかんだで搭乗が始まったのですが,
先頭のちびっ子を連れた集団が,係員と遊んでおり超チンタラと搭乗手続き開始.
ようやく飛行機の麓まで行くバスに乗れたと思ったら,一向に出発しない・・・
しばらくして係員がやってきて事情を説明.
最初ポルトガル語で説明してその後英語だったのですが,ポルトガル語の罵声で聞き取れず・・・
たぶん燃料の注入が終わってないとかそんな話だと思いますが,この期に及んでこれか・・・orz
さすがに温厚なポルトガル人も呆れ顔.
自分のように乗換えをする人もいたようで,皆イライラ.

で,結局出発したのは90分遅れの9:20頃.
一応客室乗務員の兄ちゃんに東京便について聞いてみるも,

兄「ごめん,乗換えについては空港の職員じゃないと詳しくわからないんだ」

と言われる始末.
モニターに出ているチューリッヒ到着時刻は東京便出発4分後の13:04・・・
もうこの時点で代替便かチューリッヒ観光を決めかけていました.
だってどう考えても間にあわないし・・・
あとは何らかの事情で東京便が遅れていることを祈るだけ!

で,運命のチューリッヒで乗り継ぎ用モニターを見ると,なんと!
東京便の出発が45分遅れて13:45になっているではありませんか!!
ということは乗換え時間が約40分.MTTを満たしています.
ここからは出発ゲートまで猛ダッシュ!!
出国審査も大急ぎでパスし(スタンプ押されなかったw),東京便出発ターミナルに行くスカイメトロもタイミングよく乗り継ぎ,運命のゲートへ!
そこには搭乗を待つ,これでもかってくらいの数の日本人が!!!
「やった!間に合った!!」
本当にそう思った瞬間でした.

その後冷静に考えたら,この45分遅れは自分が原因なんじゃないかと思いました.
そして,もしかしたら最後に”リスボン”が幸運をくれたんじゃないかと.
僕はリスボンという都市が大好きですが,離れるときは全然寂しくありませんでした.
なんだろう,また会える気がする友人のような感じというか.
だから最初の2時間の遅れも,もしかしたらリスボンが「もうちょっと留まっていけや」って感じで
引き止めていたのかもしれません.
結果的に,予定よりも90分多くリスボンに留まることができたわけです.
そして定刻より30分遅れて無事東京に到着しました.

さて,研修日記ですがこれで終わりではありません.
まだまだ書いていないことがたくさんあります!特に英語のことかなw
これは後日改めて書こうと思います.
それではあともうしばらく戯言にお付き合いください.
※この滞在記は日本時間2011年12月13日に書いたものです


気づいたら12月1回も日記書いていないんですね.
取り立てて書くこともない,といったら大間違いなんですが・・・

気づいたら帰国まで1週間を切り,farewellムードが漂いつつあります.
11月末のMyonjin,Kimberlyとの別れを皮切りに,12月1日にドイツ人研修生のMarionとAnnaが主催するfarewell party,先日9日金曜日のRachel主催のfarewell飲み,10日のGosiaとKasia主催のpartyなど,もう毎週のようにパーティです.
そして今週水曜日には研究室メンバーとX-mas Dinnerがあり,おそらくそれが最後になるでしょう.
ちなみに10日のパーティはKasiaの家でやった(めちゃくちゃ広い)ので,2回も警察が来て強制解散させられましたwww

最近は本当に,パーティの度に必ず誰かと別れている気がします.
挙げたらキリがありません.
でも,お互い必ず,いつかどこかで会えることを信じて別れています.
だからなんだろう,不思議と悲しさはないというか・・・寂しくはありますけどね.

よくよく考えれば,こうやって色々な国から一つの国,ヨーロッパの西の果てポルトガルに集まり,
旅行に行ったりpartyをしたり仕事をしたり,本当にいろいろなことをしている気がします.
某東大の教授じゃないけど,本当に縁は不思議というか,一期一会というか.
そういう意味で,IAESTEって本当にすごい!って感じます.

そんなわけで,自分の勤務も木曜日には終わり,日曜日の朝には日本に帰国です.
もう正に最後の1週間ってわけです.

・・・なんだかとりとめのない日記になっちゃいました.
とにかく,最後の1週間を満喫します!

浜田省吾/ラストダンス
http://www.youtube.com/watch?v=YWFu4VobxK0
※この滞在記は日本時間2011年11月30日に書いたものです


もう11月も終わりですか.本当に早いものです.
一ヶ月前にはGiannisに会い,ロンドン留学中の後輩に会っていたんですね.
そしてここリスボンでも肌寒さを感じる季節になりました.
それでも東京とかに比べると全然だと思います.
いや,ヒートテックが最強すぎるだけかもしれないwww

僕の研修がそろそろ終わりに近づいているのと同時に,
他の研修生の研修も終わりを迎えています.
彼らも祖国へ帰る時期なんですね.
そんなこんなでちょっぴり寂しくなる季節でもあります.

明日は研修生主催のフェアウェルパーティーがありますが(IAESTE Portugal自身はほとんど何もしてくれませんw),そのパーティーに参加するまえに帰国してしまうコロンビア人研修生のKimberlyのためにささやかな飲み会を開きました.
飲み会って言っても,バーで安ビール(しかしうまいw)を飲むというポルトガルスタイルで,本当に簡単なものです.
彼女,こっちに来た当初は僕よりも英語ができなくてかなり苦戦していましたが,
それでもポルトガルに来た研修生の中で一番若く(なんとまだ19歳!),明るく元気な子でした.
最後のほうには英語もかなり上達していた気がする.
僕自身もかなり親近感が湧いていて(英語ができないからw),グループ旅行に行ったときもよく話していました.
家も近所だったので,飲み会の日も最後まで一緒.
でも別れが悲しいとか,そんなことは全然思わなかったなぁ.
彼女に変なあだ名(スペイン語読み)で呼ばれていたのも本当にいい思い出です.

また,この飲み会に来ていた韓国人研修生Myonjinともお別れでした.
彼はリスボンを流れる大河テージョ川の対岸の町に住んでいて,
3日か4日にマドリードに向けて旅立つそうです.
同じアジア人,そして隣国同士の研修生として,やっぱり彼ともよく話しました.
ただ政治的な議論をすることはなかったです.
お互い政府のことはあまり好きじゃないといいましたが,だからといって国民1人1人を憎むということには繋がらないと改めて実感しました.
最後はお互いの国の言葉で「ありがとう」と言って別れました.そしてまた必ず会おうと.
ポルトガルに来ている外国人研修生の中で,一番近いところに住んでいるわけですからね.
(2012年5月30日注釈: その後今年の2月に早くも会うことができました)

これからも研修生との別れが続きます.
そして最後は僕自身の別れがやってきます.
ツイッターにも書きましたが,何か結果を残さなければという焦りと,別れに対する寂しさと,日本に帰れる安心感と,無事に帰れるかという不安が入り混じった,今までに感じたことのない心境です.
ただ確実に,最後どうしてもやりたいことをFacebookで16日にやります.
完全に二番煎じだけどねw
※この滞在記は日本時間2011年11月17日に書いたものです


つぶやきで北朝鮮戦について触れたので,サッカー観戦記でも書きましょうか.
(2012年5月29日注釈: この時は北朝鮮のブーイングがすごかったということが話題になっていました)
僕はこちらに来てから既に3回サッカー観戦に行っています.
場所はすべてエスタディオ・ダ・ルスです.
ここはユーロ2004の決勝が行われた場所で,開催国のポルトガルがギリシャに負けたことで有名です.
しかもその試合で,ポルトガルの英雄ルイス・フィーゴはバルサのフラッグを投げつけられるという・・・w
(すごくいろいろな背景があるのですが,めんどくさいので細かい部分は省略w)

1回目はこちらに来てすぐの9月14日に行きました.
カードはベンフィカ・リスボンVSマンチェスターUです.
どうしてもこの試合が見たくて,出国前にオンラインでチケットを取ってしまいましたw
でも46€なら安くありませんか?
日本でマンU見ようとしたら絶対もっとしますよ!
で,当日チケットセンターでチケットを受け取ることになっていたので,買い物がてら11時くらいに行ったら
「チケットの受け渡しは試合開始2時間前からだよ」
とポルトガル語(当然わかりませんがフィーリングでw)で言われました.
改めて試合開始前に行くと長蛇の列!しかも全然進まない・・・
結局チケットを受け取れたのは試合開始10分後・・・なんというクソシステム・・・
しかも待ってる間にマンUサポに「スポルティング!(同じくリスボンをホームとするベンフィカのライバルチーム)」と叫ばれる始末www

さてチケットも受け取ったし入場!・・・と思ったらゲートで
「手荷物持ってきちゃだめだよ!」
と起こられる始末.
なんで!?って思ったけど,ここルスは警備がアホみたいに厳しくて,手荷物は預けないといけません.
でもタバコは持ち込みOKで,観客のほとんどがタバコを吸っています←

試合の結果はご存知の通り1-1の引き分けでしたが,両チームともいい試合をしてました.
ベンフィカがゴールを奪った瞬間はとなりの見知らぬおじさんとハイタッチww
そして,マンUがボールを持つたびに大ブーイングwww
もう海外サッカーの雰囲気に酔いしれた1日でした.

2回目は11月2日.この時はFelixと見に行きました.
カードはベンフィカ・リスボンVSFCバーセルです.
1回目のマンUの試合と同じくチャンピオンズリーグのグループリーグです.
この時も入場が遅れ,ベンフィカの先制点を見れませんでした.原因は「傘」.
傘ですら「武器になりかねない」という理由で持込が禁止されています.
しかも傘は預かってくれません.
仕方ないので階段の下に隠しておきましたが,案の定パクられてしまい・・・
試合終了後にショッピングセンターでZARAの傘を買うハメになりました.
肝心の試合も後半は精彩を欠き,追いつかれて結局1-1で引き分け.
アイマールを下げてからキーマンがいなくなり,ズルズルとやられてしまった感じです.
それでも決勝トーナメント進出が決定したので,まぁ良しとしましょう.

3回目はまさに一昨日.ポルトガルVSボスニア・ヘルツェゴビナの試合です.
これはEURO2012のプレーオフで,超真剣勝負.
それもそのはず,1stレグは0-0で引き分けているので,ポルトガルは最低でも勝たなければなりません.
その甲斐あってメンバーも超豪華.
言わずもがなのスーパースター,クリスティアーノ・ロナウドから,マンUのエース,ナニ,若くしてレアルに移籍したファビオ・コエントランなど,一流の選手が勢ぞろい.
しかも試合開始前にはゲストでルイス・フィーゴも来る始末www

そしてボスニア国歌には大ブーイング.
今北朝鮮戦における相手サポーターのブーイングが話題になっていますが,
海外の国際試合では相手の国歌にブーイングするのが当たり前.
はっきりいって北朝鮮だけの問題ではありません.
僕はもちろんブーイングしていませんが,日本が仮にポルトガルで試合をしたらどうなるかなぁと思ってしまいました.
世界で戦うならこれくらい当たり前に思わないと厳しいと思います.

注目の試合は,前半クリスティアーノの目の覚めるような直接フリーキックでポルトガルが先制!
この試合は特別チケットで10€で入場することができたので,もうこれで満腹www
その後ナニもミドルを決めてあっという間に2-0!
さらにクリスティアーノを起点に攻めますが,同時に課題の守備で脆さを露呈し,前半を2-1で折り返します.
しかし真骨頂は後半から.
ボスニアの選手が退場で1人少なくなると,怒涛の攻撃で終わってみれば6-2.
クリスティアーノも2点奪い,攻撃のあらゆる面で貢献するなど大活躍でした.
いやぁ,本当に夢のような時を過ごすことができました.

これからもサッカーを見に行く機会があると思います.
ただこれまでグッズを全く買っていないんですよ.
なので次行くときはグッズでも買おうかな,と・・・