アヴァターと聞くと、キャラクター名や映画のタイトルを思い出す日本人も少なくないと思います。
アヴァターの語源は、サンスクリット語で アヴァターラ「降りてくること、降下」で、
神の化身的意味合いが強いと思います。
私の個人的理解では、アヴァターとは、地球外からの惑星から地球の人類に奉仕するために
まさに他の惑星から、この波動の低い地球に「降りて来られた」、自己犠牲の極みとも言える
存在方と捉えています。
インドではアヴァターが各時代に転生してくると言われており、まさに時代ごとに
神の化身と呼ばれる存在方が「降りて」来られています。
たとえば、
ラーマ、クリシュナ、
ババジ、ラヒリ・マハサヤ、シュリ・ユクテスワ、ヨガナンダ、アーナンダ―・モイエー・マ―、
ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカナンダ、シルディのサイババ、サイババ
ラマナ・マハリシ、プレマナンダ(獄中のアヴァター)などの方々です。
本当にインドはアヴァターが降り立つ頻度が高いですね。
勿論世界じゅうには、数は少ないですが、有名、無名のアヴァター方が降臨されてきました。
そして今、肉体をもって地上を歩かれておられるアヴァターに
南インド・マイソールのシュリ・ガナパティ・サッチダーナンダ・スワミジがおられます。
もともと、非常に信頼を寄せている情報で、南インドの火の中からシヴァリンガムを物質化するアヴァターとして
シュリ・スワミジのことは存じておりました。その時は日本に一切のシュリ・スワミジの情報がありませんでした。
そのため情報を探して、買って手元に来たのがインテグラルヨーガのサッチダーナンダ氏の本でした。
その後Youtubeで恐らくアヴァターのシュリ・スワミジではないか?と思われる映像を見つけて、
そして英語の公式サイトに辿り着いた経緯がありました。そしてアシュラムに直接電話をして渡印しました。
私は、アヴァターという存在、またほかにも人間の輪廻転生を通じ覚者になられた存在方に、
いわば、エゴの全くない、完璧な存在方に非常に関心を持ってきており、
たびたびその教えや生き様、背景などを学んできました。
その教えの中心には、「愛」、「英知」、「ダルマ」、「すべては一つ」、「この世は幻想である」、
「真我実現、神を悟ることが人生の目的」
などがあり、すべてのアヴァター方の霊的教えの本質は同じものである、という結論にいたりました。
つまり、霊的教えの根源は同じ源からきているとも言えると思います。
そのため、一人の人格を「唯一の神」とするのは、同等の存在方を否定することになりますし、
人間存在を神とすることは、限定と無限とを等しくすることになってしまい矛盾を生みます。
シュリ・スワミジの教えでは、
神には形がなく、そのため、転生をしてきたとしても
そのうちその姿は消えていくのだということです。
またアヴァターの特徴としては、これは持論ですが、
途轍もない影響力を各時代に残してこられた、というものです。
それは人類の向上と、進化のために、またダルマの再確立のために
犠牲を伴いながら働かれたアヴァター方の力の凄まじさであり、、
人間として感謝申し上げる以外何ものでもございません。
また、ほかの特徴としては、その存在の美しさです。
笑顔の美しさ、微笑の美しさ、瞑想をされているときの美しさ、
たたずまいの美しさ。
エゴが無いことが、その美しさに関係あるように思いますね。
顔の形や、髪の色や、背格好のバランスと本当の美しさとは、あまり関係がないように思います。
実際に近くで過ごさせていただいている存在はシュリ・スワミジお一人ですが、
ほかのアヴァター方の映像や写真を拝見する限り、美を感じます。
そして、見落としてはならない点は、アヴァターが肉体存在として見せてくださっている教え、
行動、人格、姿勢を手本として見習いながら、その本質は私たちの本質と違いはなく、
ヨーガを通じて、その本質を生きることが可能であるということです。
自分で書いていて、なるほど、と思ってしまいました。笑
自分だと思ってきたものを、捨てて、
玉ねぎを剥いていった先に何が残るか、、、ですね。
観察者の視点、出来事に巻き込まれていない、また参加しない、ただ目撃している意識。
OM