暗いトンネルの先に見えたものは 最終話 | 脱!マイナス思考。~私の母はパチンコ依存症~

暗いトンネルの先に見えたものは 最終話

暗いトンネルの先に見えたものは 9 からの続きです。





「もしもし。」



「お菓子・・・ありがとうね。」





ぷちっと何かが切れた気がした。




「お菓子ありがとうだって?

そんなことより言わなきゃいけないことがあるだろうがっ!!

嘘つき!嘘つき!嘘つき嘘つき!!

あんたさ、私のこと騙して楽しい?おもしろい?

ねぇ・・・おもしろいのかって聞いてんだよ!」




自分でも驚くくらいの大声。受話器を持つ手も震えている。

今まで押さえ込まれていた感情がマグマのように一気に噴出し

私は嗚咽をあげながら叫んだ。




「・・・・・ごめんね。でも信じて。

借金をしたことは悪いと思っているけど、パチンコじゃないの。

本当よ、これだけは信じて・・・・・。」


「信じろ、信じろ、信じろ、信じろって・・・・・・・よくもまあ簡単に言えるわ!

結局借金増やしてるじゃないか!

今までの苦労を全部水の泡にして・・・・・。

何が『お母さん、あんたの泣き顔を見たくないんだよ』だ!


「本当だよ。パチンコだけはやってないから。

信じて・・・お願い・・・。」


「信じて裏切られることの辛さ、知らないでしょ?

私の病気の原因なんだか分かる?ストレスが原因なんだって。

あんたのせいで病気になったって親戚中が思ってるわ。

あんたのせいで病気になったんだわ・・・・。」


「それは悪いと思ってる。でも今回はパチンコじゃないから。

ね、安心して?」


「じゃあ何で借金なんかしたのよ?」


「人にお金を貸したのよ。」


「はあ?そんな話が通るとでも思ってるの?

人に散々お金を借りてきたあんたが、貸すなんてありえないでしょ。

バカにするのもいい加減にしてよ。」


「・・・・何を言っても信じてくれないんだね。」


「得意の開き直り?いつもそう。都合が悪くなったら逆切れ。

ねえ・・・もうこういうのうんざりなんだよね。」




側で黙って聞いていた夫がいない。

窓の外へ目をやると、ものすごい勢いで車が走っていくのが見えた。




「お姉ちゃん・・・本当よ。信じて・・・・・。」




聞いたらまた・・・信じてしまう自分がいるかも知れない。

お金を出して解決しようとする自分がいるかも知れない。

母の声が遠くなってくる。それは精一杯の防衛本能。


電話越しにチャイムが聞こえた。




「あら?誰かしらこんな時間に。」


「○○さんよ、きっと。

もう私、話すことないから・・・・。」


「ええ?ちょ・・・ちょっと待って、ゆず!」


「じゃ・・・・・さよなら。」




走馬灯のように駆け巡る。


通帳から勝手にお金が引き出され、

消費者金融に借金をし、妹の貯金を0にし、

結婚直前になって闇金への借金が発覚し・・・・


消費者金融からの借り入れが出来ないようにかけずり回り・・・

親戚に頭を下げ、妹と一緒に家出をし・・・

闇金への対策に追われ、彼の両親へ詫びに行き・・・・



この間、5年だ。



5年という月日をかけて残ったもの、それは

不健康になった体。

傷つきボロボロになってしまった心。


なのにどうしてだろう。

「なんとかしなければ」という気持ちが心の隅に残っているのは。

母を殺してしまいたい気持ちも嘘ではないのに。


自分で自分が分からなくなる―



「ゆず、ゆず。」


「あ、おかえり・・・。」






夫は私を抱きしめながらこう言った。





「もうお母さんの・・・言うことは信じちゃダメだ。」


「・・・何を話したの?」


「パチンコを止めていた期間はほぼ無いよ。俺、問い詰めたんだ。

俺達が結婚してからも行ってるって。」




「・・・・・・私が入院していた時も?」


「ああ。」


「・・・・・・・・。」





後は言葉にならなかった。

数分前の最後の電話でも母は嘘をついていたのだ。

「お願い、お願い。信じて!」と・・・・。




暗いトンネルの先に見えたものは、光ではなく真っ暗な闇。

進み続けても光は、見えてこなかった―




引越をした。

母の知らない場所へと。


電話番号を変えた。

母の知らない番号になった。


私は再び母の前から姿を消した。


着信で生存確認が出来るからと

携帯電話の番号だけは変えなかった。


「実家」の文字が携帯画面に映し出されると、

体が硬直し心臓の鼓動が激しくなる。


こんな状態になってしまった私がそれでも番号を変えなかったのは

せめてもの親孝行。


最後の・・・・・親孝行。



ちょっとしたきっかけから、想いを綴ることにした。





私の母は俗に言うパチンコ依存症。

もうパチンコにはまってから5年以上は経っている。
今、彼女は1人暮らしだ。
明るくて元気でやさしくて、友達みたいになんでも話せる母は

私の自慢でもあった―







書き終えた時、何か変わっているだろうか。


それは私にも分からない。




―2004年11月―



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