ふくしま共同診療所 12.1開院 | 脱原発の日のブログ

脱原発の日のブログ

12月8日は1995年、もんじゅが事故を起こして止まった日。この時、核燃料サイクルと全ての原発を白紙から見直すべきだった。そんな想いでつながる市民の情報共有ブログです。内部被ばくを最低限に抑え原発のない未来をつくろう。(脱原発の日実行委員会 Since 2010年10月)

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<この診療所は、福島医科大・山下俊一の息のかかった診療所ではありません。山下俊一が取り仕切る自治体診療所からは独立した、自前の診療所です。妨害を受けるかもしれませんが
保険適用にて、
甲状腺のエコー・血液検査、
放射性物質尿検査等を行ないます。>
と、スタッフの方から直接お聞きしました。
(2012.11.23 NagiWind)

がん医療に生涯をかけて
がんの患者さんと共に歩んできた医師のブログ
ふくしま共同診療所 院長 松江寛人
http://cancercons01.blog129.fc2.com/
福島県の甲状腺検査はおかしい
福島原発事故による放射線被曝で惹き起されるであろう健康障害、特にがんの発生が問題になっています。チェルノブイリでは子供の甲状腺がんが多かったので、福島でもこのことが心配されて甲状腺の検査が実施されています。昨年は約3万8千人の子供に超音波検査が行われ、がんは発見されませんでしたが、のう胞と結節が約36%見つかりました。今年は同様の病変が約44%も見つかりました。一般に行われてがん検診では異常が発見される率は10~20%ですから40%前後の発見率は著しく高いことになります。これらの病変は放射線被曝が原因と考えるのが自然だと思いますが、検診の指導者である山下医師は関係ないと言い切っています。それのみならず次の検査は2年後ということになっています。そのため異常と言われた子供の親が不安になるのは当然です。通常検診で異常が発見された場合は半年以内に次の検査を行いますが、なぜ2年後なのでしょうか。
今年は2次検査が行われた38人のうち1人が甲状腺がんと診断されたと報道されました。ところが福島県の検討委員会では放射線被曝と関係ないと発表しました。放射線被曝と発がんの関係を証明するのは困難ですが、がんが発見されたばかりの段階で関係ないと決めつけることは、事実を明らかにしようとする姿勢が全くなく、原発事故との因果関係を隠ぺいしようとしていると言わざるを得ません。
福島県の健康管理調査にもとずく検査はどこかおかしい。
2012-10-05

福島診療所建設委員会
http://www.clinic-fukushima.jp/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88-%E5%81%A5%E5%BA%B7%E7%9B%B8%E8%AB%87%E4%BC%9A/%E8%A6%8B%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E3%81%A8%E9%96%8B%E9%99%A2%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%83%AC%E3%82%BB%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3/



「生活のための医療をとりもどすために8・11福島シンポジウム」 
5名のパネリストからの発言のほか、会場から切実な発言
『福島診療所あるべき姿、目指す方向性』など・・共有 引用

■橋本光一さん(国鉄労働組合郡山工場支部書記長)
 「被ばく労働に悩む福島の労働者のつながれる場所に」
 約650人が働く検修職場で働いています。3・11以降、現場の私たちも会社に対して敷地内の放射線量の測定をやれと要求したが、「政府が安全だと言っているから、測定の必要はなし」と言い続けたが、1カ月後に、低そうなところばかり測って、数値も公表せずに「安全です」。さらに産業医に講演させて「放射線でやられるより、心配してストレスでやられて死ぬ可能性の方が高い」と。
 工場の中の汚泥を測れと求めた。
 自分たちで線量計を買って、工場の中を測った。線量を測った結果を機関紙で出したら「会社の機密事項を公開してはならない」。汚泥は7ミリシーベルトもあった。
 組合として申し入れを行い、線量の測定と除染、高線量の場所では作業させるなと要求してきた。
 団交で会社側は「20ミリシーベルトに抑えるというのが政府の基準。20キロ圏外は放射線量を管理する必要はない。国が放射線量を管理しているので、会社として独自に計測するつもりはない。年間20ミリシーベルトを超える場合は、国の責任でやるべきものであって、JRがやるものではない」という態度に終始している。
 会社は労働者の命や健康のことなど何も考えていない。そういう本質がよくわかる。
 原発の収束作業を強いている国とまったく変わらない本質。
 こうした閉塞状況を突き破って、動労水戸は被曝労働を許さずにストライキで闘っている。
 労働組合として、被曝労働に対しては電車を止めてでも迫っていくべき。現場の闘いとして被曝労働をやらせない。労働組合が職場で闘うことが、市民のみなさんと反原発運動とつながった時に、もっと大きい闘いができると思っている。3・11もそうやってかちとった2万人だった。
 1年半たち、問題は深刻になるばかり。新幹線の検修工場では、放射能汚染物質が大量に放置されている。新幹線の中にたまったほこりや砂を集めて、産廃業者に引き取ってもらっていたが、線量を測ったら基準値以上のものがいっぱいあり、工場の敷地内にためている。たまるばかりでどうしようもない。
 うちの組合事務所の雨どいでは28・44ミリシーベルト。原発事故の直後は100ミリシーベルトを超えていた。
 私たち労働組合も、私たちの見方になってくれる医者、そして病院が本当に必要なんです。本当に欲しいと思っている。万が一、組合の仲間に病気の方が出たら、相談に行けるような病院が欲しい。
 それはわれわれだけじゃない。どこの労働者も同じ。特に今、原発の収束作業をしている原発労働者は大変な状況に置かれている。線量計に鉛をかぶせていたと報道された。しかし反対する労働組合もないし、家族もいて、放射線量が高いからといって仕事を辞めるわけにいかない。我が身を削っても働かなければならない。でも本当は原発労働者だってなんとかしたいと思っている。そういう人たちが相談に来られる診療所を。
 個人的な思い。工場の検査修繕作業は、ほこりがすごい。そこらへんの放射能をかき集めてきたものが入ってきて、そのほこりであふれているような職場だから、みんな、「俺らは長生きしないだろうな」と思っている。だけど、そういう自分の体のことだけ毎日考えてもいられない。健康で長生きするのが一番いいんだろうけど、志のためには命を張ってという人も世の中にはいますし、そういう人たちがもし病気になったら、病院を訪れて、あなたの病気の原因は放射能だ。一緒に東電や国と闘っていこうと言ってくれるような先生と診療所だったらいいなと思っています。

■椎名千恵子さん(未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動)
 「みんなで力をあわせて生き抜いていくためのより所として」
労働者が被曝労働の現場から立ち上がっている。これが今の官邸前で行われている国民のうねりに合体した時に、またもう一ついくと思う。こうした労働者の現場を意外と知らない。すでに労働者がいるということを伝えていって、次のうねりにしていきたいと思いました。
 松江先生が「県民の多くが放射線管理区域の中で生活している。X線技師は午前中に50人以上の検査をすると、午後にはふらふらになって出てくる」と。私たちは実はそういうところに生活している。
 山下氏が「笑っていれば大丈夫」と言っている。県民健康管理調査の報告会があったが、「福島はきわめて安全であるということを証明するために調査する」と断言していた。
 具体的に、ミネラルウォーターで粉ミルクを溶いているお母さんには、個別に電話で「その必要はない」と指導している。
 チェルノブイリの後、ドイツの医者たちは子どもたちの治療のためのプロジェクトを立ち上げた、私たちは調査対象とされている。
 診療所を立ち上げることで、妨害が待っているはず。命の側に立った者として、同じスクラムを組んで、診療所をスタートさせたい。
 治療だけではない。不安な市民や子どもたちの思い。体への向き合い方もあるし、これからどんどん症状が出てくるだろう。教育現場への不安も出てくるだろう。そういうことを一緒に引き受けて。
 人間らしい人間が育っていくこと。
 つながっていると実感することで、エネルギーになる。姿も見えない巨大な敵に対して、きちんと向き合っていく。一人じゃないよと。会うたびに何かがつかめる。困難な事態の中から一つひとつつかみ取って、学び取って、手探りしていく。それは必ず明日へ向かうエネルギーになる。「私の中にみなさんの命が輝いている。みなさんの中に私の命が輝いている」――これがともに生きているという実感。向き合っている中にある。
 この場から、参加しているみなさんと、診療所建設へ向かっていきたい。
 この夏、北海道で40人を受け入れた保養プログラムでは、30回も救急車を呼ぶ事態となった。子どもたちには具体的に症状が出ている。赤ちゃんのうんちが出ない。マイコプラズマ肺炎、RSウイルス感染症、呼吸器疾患。「渡利の人と一緒に洗濯機を使いたくない」。育児放棄。兄弟同士の虐待。母親の余裕のなさゆえ。
 診療所もカウンセリングも含めて、やれるところから具体的にやり始めていきたい。

■佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表)
 広島の被爆者は。「30年ぐらいやればいいかな」と決めた。「短いでしょう。私たちを見てください」
 私は今年、広島・長崎に行って、初めて知ったことがあった。「被爆者」と認定されていない方たちを「被爆体験者」と呼んでいる。そうすると福島の20ミリシーベルト以下の地域に住んでいる人たちは被曝者にはなれない。手帳はもらえない。医療は無料にならない。ということが行われるとをあらためて感じた。闘う決意を固くした。

■橋本俊彦さん(鍼灸師)
 「医療を民衆にとりもどす共同の場に」
 いろんな人の症状を聞いているが、医療機関はその話を全然聞いてくれないという。今の福島に必要なこと。
医療機関任せではない、自身の持っている命の力でなんとか健康を保っていかなければいかない。生き抜いていかなければならない。
 健康相談をずっとやってきた。3・11以降、これは放射能の影響かも知れないという症例に日常的に出会います。
 自然医学、東洋医学は、症状に対してアプローチはいくらでもできる。体のバランスを取るということには長けているので、そういうことをどんどんやっている。
 健康相談を各地で行っている。仮設住宅回りも始めた。自然医学的な手当をしている。
 何が必要か。話を聞いてくれる寄る辺となる診療所。一方で自分たちの命は自分たちで守ろうじゃないかという手法。具体的な方法をこれから私は広げていきたい。

■小林恒司さん(心療内科医)
 「ふくしまにおける診療所づくりの課題」
多くの人が「本当は避難した方がいいんだろうな」「今後、何かがあったら後悔するんだろうな」との思いを抱えながら暮らしている。
 生命の存在価値の希薄化を感じる。
 エートスのお母さんの論理。「10ベクレル以下のものなら受け入れる」とお母さんが判断したら、それを自分の子どもに強制する。それは子どもを使った人体実験にほかならない。
 福島における診療所は、生命の価値を呼び覚ますために、共同してつくっていくことこそ大切。
 参加性。福島の市民の方たちは放射能のことを勉強して、危機感を持ち、でも思考停止になりながら日常性に埋没していく現実。危機意識を持ち、こうすべきかなと思ってもそれを実現できないと、意欲が低下して意気消沈してしまう。心が真実だと思ったことから目を背ければ、意気消沈してしまう。
 今の会社、問題だよなと思いながら、身の保身を考えて何もしない人は、意気消沈していく。
 意気消沈していくような流れをくい止めるために、参加性を考えていかなければならない。
 保養に行く、移住に向かって準備する、保養や移住のNPOに参加する、勉強会に参加する、診療所の運動に市民が参加する。そういうことを通し自己決定を促進していくことが、診療所の役割でもある。
 診療所がよって立つべきスピリット。福島という自体に対して本当にフィットすることを、純粋に追求するものでありたい。被災者のために、被曝者のためにと銘打っていながら、結局は自己愛的な自己実現にとらわれているような組織なり個人が散見される。襟を正さなければならない。「いいことやっているぞ。正しいことをやれている」と思ってしまう時こそ危ない。
 「自他不二」。純粋に課題の中に入っていけるかどうか。私の中にみなさんの生命が輝いている、みなさんの中に私の生命が輝いている。そういう関係性が広がっていって、その関係性の中にみんながつつまれていったら、社会は今までと違うものを持っているのではないか。そういう文化を生み出していく診療所をつくりたい。

■マーティン・ドナートさん(ドイツ・ゴアレーベン核廃棄物処分場建設反対同盟委員長)
 「フクシマとつながりたい 全世界の各施設の即時停止にむけて」
 ドイツでも政府は原子力産業の方を向いている。科学者は「核施設や原発のため、白血病が多発する」と発表しているが・・
 ウランを掘り出すところから労働者に重大な健康被害を起こしているが、ウラン採掘会社はその被害を認めない。
 昨日、飯舘村や南相馬市を訪問し、放射線量も測ってきた。
集団疎開させる以外にない場所であり、特に子どもたちの健康被害を憂慮せざるを得ない。
 子どもたちの命を守り、子どもたちの命の未来を指し示すためには、独立した診療所が決定的に重要だと思っている。私たちの思いを形に表すカンパを持ってきたので、佐藤幸子さんに渡します。

会場から
■杉井さん
 行政が20なのに、医者が100ミリシーベルトと言う。避難しなきゃいけないような状態を訴えると同時に、避難できない人たちをどうするかという問題を、真剣になって考えなきゃならない事態に突入している。必ず被害は出ます。それをいかに重層的に厚くていねいに長期にわたって把握していくことが絶対に必要だと思っています。
 福島の医療従事者の決起が核心です。この現実を医療関係者の良心が許すわけがない。必ず参加してくる医療従事者が出てくると思っている。みなさんと共同の闘いとしていきたい。まず建設し、維持し、発展していく、長期にわたる強靱な医療機関をつくっていきたい。
 共同の闘いとして、福島の県民、医療に関係する人たち、診療する人たちの共同の闘いとして診療をやる。
 要請はいくらでも来ているから、できるところから部分的にでも始めていく。内科、心療内科、小児科。科を越えてもやらなきゃいけない。未曽有の被害が出る。一般的な医療常識だけではけっしてやりきれないから、僕ら自身も、ともに学んでいかなきゃいけない。
 医者も努力をしますが、みなさんも一緒に努力をして、共同の闘いとして診療所をつくってほしい。

■伊達市・あずまさん
 仕事が福島市内にあり、いるしかないというだけでいるだけ。
 自宅も一番低いところが0・25、高いところは0・68ある。屋外でそれだけあったって、避難した方がいいんじゃないかというようなところに住み続けている。 福島県民は確実に被曝している。
 県外では、原発事故のことがどんどん報じられなくなっている。除染も進んでいない。低くなってもいないのに、行事だけが再開されている。鼓笛隊、学校行事、運動会、プールも再開された。
 除染しても放射能は消えてなくならない。移動しているだけ。
 幼稚園のそばの駐車場はアスファルトで3ミリシーベルト近くまで上がった。福島の子どもたちをめぐる状況はかえって悪くなっている。除染されていないのに、外に出る機会だけが増えている。
 ちょっとした症状でもちゃんと見てくれて、会話できて、集まった人たちが情報交換できたりする場が必要。なんでこんなふうに原発がつくられてきたのか、一緒に考えていけるような場にしていきたい。

■小児科医・小松さん
 1985年、再処理工場建設に反対して闘う農民に呼応して、全国の医師が立ち上がり、危険性を訴えて、工場建設を差し止めたという闘いの歴史があると聞いた。そのドイツの闘いの歴史に学ぶ必要がある。医師は放射能の危険性を十分把握している。福島の医師も当然、十分把握している。残念ながら地元の先生がなかなか出てこないのは残念。医師会というレベルでは言論統制、ある程度の箝口令がしかれている感じなので、医師会ルートで突き崩そうと思っても難しい。心を痛めている医師一人ひとりに訴えていく。診療所が拠点となって、医師・医療スタッフだけでなく、さまざまなメンバーが手を取り合い、連帯・連携して広がっていかなければならないと思う。

■精神科医・吉本さん
 医者が診察室にいて、あなたがたが狭い待合室からやってきて、先生と話して、長くて5分、10分ぐらいでさようなら。それでまた入れ替わっていく。そんな医療はやめましょう。こんなにたくさんの人たちがいる。みんなで知恵を出し合い、知識を出し合い、話し合う。
 まずあなたがたがこうやって集まって、いろいろ話し合って、こんな医療をしたい、俺が生きるためにはこういうことをしたいということを、日常的に話していて、そこに医療が関与していく。そういう進め方が一番いい。
 ぶらぶら病。原因は何もわからない。でも本当に何もできない人たちができた。差別され攻撃された時代があった。放射能の被害であることは間違いないけど、科学的原因がないから知らないよという、そんな態度ではいけない。それを受け止められるものを、診療所の中で育てなくてはいけない。
 3月、相談会をやった。相談会に来るのも大変。老人が「僕はなんともないけど、どれくらい生きられるかわからないので、相談に来ました」。自分の生活を制限している。孫は外に出さない。これ食べていいのか。1本の実のなる木を描いてくださいと言うと、本当に細い幹の小さな木を左端に描く。不安を持っている。自信がない状態。不安で、弱気の自分。福島で今生きている方々は、そういう日常の中で、必死になって健康なふりをして生きているだけ。
 もう一つ。「やっと東京に来て深呼吸ができた」。「そうだ。僕も深呼吸している」。 体の被害だけじゃない。
 生存と生活のための医療をあなたがたが求めている。それを僕らの立場から、お互いに掘り出しあって、勉強しあって、手を取り合って、生きるため、生き延びるための医療、医療を支えるみなさんと私たちのスクラムをつくらなくちゃいけない。

■福島市在住 Tさん
 声をあげていかないと命は守れないことをこの1年半で痛感してきた。福島は国策で原爆を落とされたのと同じ。原発は電気を起こすためのものではない。原発は禁止するしかない。
 診療所ができる。『ちゃんと見てもらえる』命に添ったお医者さんに会えるということで、『すごくうれしく』思いました。

■ケアスティン・ルーデックさん(ゴアレーベン核廃棄物処分場建設反対同盟前副委員長)
 私は6人の子どもの母親。ドイツに帰ったら各地で講演旅行して、福島で見た現実を、診療所建設の必要性を訴え、カンパも集めていきたい。みなさんの状況を聞いて、警告もしたい。
 昨日は飯舘村、南相馬市に行った。数値がきわめて高い。100ミリシーベルトのところもあった。チェルノブイリの経験、劣化ウラン弾が使われたイラク戦争の経験からして、がんは避けられないし、先天性障害を持って生まれてくる子どももたくさん見てきた。福島の事故を元に戻すことはできない。ノーモアフクシマ、こういうことを絶対に繰り返さないことが大事。健康被害については、やれることはすべてやらなければならない。
 昨日の記者会見でも言ったが、東電から経営権を取り上げなければならない。今はそれだけでは不十分だと思っている。政府が政府としてもう機能していないんだから、彼らから権力を取り戻さなければならない。全世界の原発を今すぐただちに全面的に止めることを訴えたい。みなさんの「再稼働反対」の闘いを全面的に支持します。

(facebookより)