超人列伝:南方熊楠 第三幕 昭和天皇への御進講 | 真の国益を実現するブログ

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南方熊楠は天才であり、一方で「奇人」といわれるところもあり、その噂は先帝陛下(昭和天皇)にも聞えられていたようです。時代が下ってしまいますが、地元和歌山県田辺での研究時代の、先帝陛下へ御進講したエピソードです。

大正15年、摂政宮殿下時代の先帝陛下は、熊楠の粘菌標本を御覧になりたいということで、90点の標本が献進されました。

昭和4年には、和歌山県田辺市にあった南方熊楠の自宅に陛下の密使が訪れました。服部広太郎博士です。陛下への御進講を受けるか尋ねられ、熊楠は感激して受けることにします。

南方熊楠は、世界的な雑誌「ネイチャー」などに多数の論文を寄稿していましたが、学位はなく、研究も組織に属さないものでした。いづれの権威にも属さなかった上に、「奇人」としても有名であった熊楠ですから、もし不敬なことがあったら・・・と危惧する声もありましたが、御進講は実現することになります。

陛下の御召艦が田辺湾に寄港されました。御召艦にて、御進講が始まります。

この時・・・田辺の珍しい植物などを献上することになりますが、通常は桐の箱に入れて献上するところを、熊楠は「キャラメル箱」に入れて献上します。

これには、現場にいた人は凍りついたらしいですが、陛下はお気になされなかったようです。

昭和37年5月、南紀行幸をなされた時、熊楠を思い出して(熊楠は昭和16年に亡くなっています)、お歌を詠まれました。

  雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ


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