今回は、過日ご紹介した著書『「衝動」に支配される世界』からの第二弾です。
現在の経済社会が個人の欲求を素早く、効率的に、かつ個人に合わせたやり方で満たすようになったことで、特に、個々人の精神面に如何様な影響をおよぼしているかを取り上げます。
抜粋です。
「ニコラス・カー(『ネット・バカ(青土社、2010年)』の著者)によると、問題はユーザーの好みにどんどん合わせようとするデジタル環境に潜んでいるという。オンライン環境には無限の機会が提供されている。クリックすれば、いつでも何か新しいものが見られる。文書や写真、その他のデジタルな情報だ。
この「新しさ」(および、それに付随する神経伝達物質)は、そのデジタルの情報そのものと同じくらい重要になる。カーは次のように記す。デジタル環境は「私たちを実験用のネズミに変える。ソーシャルな、あるいは知的な栄養が詰まった小さな餌を手に入れるために、常にレバー押し続けるネズミである。」
「結局、より多くの情報は消費するものの、その処理はより表面的になる。さらに、研究によると、ルーティンになっている行為は次第に脳の構造を変化させるので、この「大量に情報は発見するがあまり理解はしない」という行動は習慣となる。そして、デジタルの世界以外での情報処理の仕方も変わってくるのである。」
「脳科学者のジョーダン・グラフマンは、カーに次のように言った。「複数の仕事を同時に行うようになるに連れ、より思考が浅くなっていく。問題についてあまり考えられず、答えを出せなくなっていく」。さらに、おそらくは自分の利益を「適切に」理解できなくなり、その一部を犠牲にすべきときも分からなくなっていく。」
(昨今、アメリカ人が思想等同質な仲間だけでグループを作る傾向に対して)
「しかし、これは危険な習慣だ。いったん違いを許容する努力をやめ、自分たちとは異なる人々との間に距離を置き始めると、両者の分断は固定され始める。サスティーンとビショップによると、似たような思考の人たちのコミュニティは、集団心理により考え方が極端になり、異なる意見に寛容ではなくなっていくという。その理由は、似たような思考の人々のグループにいると、自分の見解に自信が持てるようになるからだ。」
(SNS等デジタルによるコミュニケーション能力の拡大について)
「たとえば、研究によると、オンラインでの怒りの言葉に素早く反応すると、それはエスカレートして、オフラインでの関係を破壊しかねないという。「そうした重要な会話はソーシャルメディアで行うべきでないと誰もが分かっている。しかし、自分の感情をいますぐに、便利な手法を使って解決したいという衝動があるようだ」と、バイタルスマート共同設立者のジョセフ・グレニーは言う。」
「オンラインでのコミュニケーションが完全に友好的だったとしても、頻繁に連絡が取れる容易さが、本当に求めているつながりを壊してしまう可能性もある。デジタルでの交流を数十年研究してきた社会学者で臨床心理学者のシェリー・タークルによると、いまではいつでも他者とコンタクトを取ることが可能になったので、私たちはそれを過剰に行いがちで、たとえわずかな空白が生じても孤独を感じ、忘れられたと感じるという。デジタル時代以前の人々は、誰かから数時間や数日間、あるいは何週間も連絡がなくても、気掛かりだとは思わなかった。しかし、デジタル時代の人々は、すぐに返事が来ないと落ち着かず、不安になる。」
(公共善なぞ眼中になく、投資等での一攫千金を理想とする若者の増加について)
「ある意味で、自己愛的な人格は、インパルス・ソサエティへの理にかなった反応だと考えられる。また、長期的な取り組みや他者への配慮に報いない世界への、合理的な反応でもある。」
「完璧な消費社会を築きたいと考えた場合、何が必要でしょうか。不安で尊大さを合わせ持った人格です。最終的に行き着くのはそれです。謙虚さでお金を稼いだ人は、誰もいません。」
著者は、このようなインパルス・ソサエティを抑止するものとして、伝統ある文化、旧来からのコミュニティの存在を上げています。そして、これらが、インパルス・ソサエティで希薄となった、逆境や困難、人間関係の気まずさ、不快な出会いや予期しない考え方との遭遇機会を提供し、人は限度や自己のコントロール、忍耐や根気、長期的な関わりの必要性を理解してきたのだと。
この著書はアメリカの状況を中心に記されているのですが、我が国も同様だと思います。
100%同意するわけでもありませんし、伝統ある文化や旧来からのコミュニティなぞ、取り戻すことはほぼ不可能ですが、このような警鐘は真に受け止めて、発信していく必要はあると考えます。