【古事記】第三十一回 天若日子2 | 真の国益を実現するブログ

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※岩波文庫「古事記」を参考に書いています。


前回は「【古事記】第三十回 天若日子1」でした。


●天若日子2

□原文


 故、高木神、取其矢見者、血箸其矢羽。於是高木神、告下之此矢者、所賜天若日子之矢、(上)即示諸神等詔者、或天若日子、不誤命、爲射惡神之矢之至者、不中天若日子。或有耶心者、天若日子、於此矢麻賀禮。【此三字以音】云而、取其矢、自其矢穴衝返下者、中下天若日子寢朝床之高胸坂上以死。【此還矢之本也】亦其雉不還。故於今諺曰雉之頓使本是也。

故、天若日子之妻、下照比賣之哭聲、與風響到天。於是在天、天若日子之父、天津國玉神、及其妻子聞而、降來哭悲、乃於其處作喪屋而、河雁爲岐佐理持、【自岐下三字以音】鷺爲掃持、翠鳥爲御食人、雀爲碓女、雉爲哭女、如此行定而、日八日夜八夜遊也。此時阿遲志貴高日子根神【自阿下四字以音】到而、弔天若日子之喪時、自天降到、天若日子之父、亦其妻、皆哭云、我子者不死有祁理。【此二字以音下效此】我君者不死坐祁理云、取懸手足而哭悲也。其過所以者、此二柱神之容姿、甚能相似。故是以過也。於是阿遲志貴高日子根神、大怒曰、我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人云而、拔下所御佩之十掬劔、(上) 切伏其喪屋、以足蹶離遣。此者在美濃國藍見河之河上、喪山之者也。其持所切大刀名、謂大量、亦名謂神度劔。【度字以音】故、阿治志貴高日子根神者、忿而飛去之時、其伊呂妹高比賣命、思顯其御名。故、歌曰、
 
  阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦尾曾也。 
 
此歌者 夷振也。



◆訓み下し文

故、高木神、其の矢を取りて見したまへば、血、其の矢の羽に著(つ)けり。是に高木神、「此の矢は、天若日子に賜へりし矢ぞ。」と告(の)りたまひて、即ち諸の神等に示(み)せて詔りたまひけらく、「或(も)し天若日子、命(みこと)を誤(あやま)たず、悪しき神を射つる矢の至(きた)りしならば、天若日子に中(あた)らざれ。或し邪(きたな)き心有らば、天若日子此の矢に麻賀礼(まがれ)。」と云ひて、其の矢を取りて、其の矢の穴より衝(つ)き返し下(くだ)したまへば、天若日子が朝床(あさとこ)に寝(いね)し高胸坂(たかむなさか)に中りて死にき。亦其の雉還らざりき。故今に諺に、「雉の頓使(ひたづかひ)」と曰(いふ)ふ本是なり。
故、天若日子の妻、下照比売の哭く聲、風の與(むた)響きて天(あめ)に到りき。是に天在(あめなる)る天若日子の父、天津国玉神及(また)其の妻子(めこ)聞きて、降(くだ)り来て哭き悲しみて、乃ち其処(そこ)に喪屋(もや)を作りて、河鴈(かはがり)を岐佐理持(きさりもち)と為(し)、鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)と為、翠鳥(そにどり)を御食人(みけびと)と為、雀を碓女(うすめ)とし、雉を哭女(なきめ)とし、如此(かく)行ひ定めて、日八日夜八夜(ひやかよやを)を遊びき。

此の時、阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこねの)神到(き)て、天若日子の喪を弔(とぶら)ひたまふ時に、天より降り到(き)つる天若日子の父、亦其の妻、皆哭きて云ひけらく、「我が子は死なずて有り祁理(けり)。我が君は死なずて坐(ま)し祁理。」と云ひて、手足に取り懸(かか)りて哭き悲しみき。其の過(あやま)ちし所以は、此の二柱の神の容姿(かたち)、甚能(いとよ)く相似たり。故是を以ちて過ちき。是に阿遅志貴高日子根神大(いた)く怒りて曰(い)ひけらく、「我は愛(うるは)しき友なりこそ弔い来つれ。何とかも吾(あ)を穢(きたな)き死人(しにびと)に比ぶる。」と云ひて、御佩(はか)せる十掬劍(とつかのつるぎ)を抜きて、其の喪屋を切り伏せ、足以ちて蹶(く)ゑ離ち遣(や)りき。此は美濃国の藍見(あゐみ)河の河上の喪山ぞ。其の持ちて切れる大刀の名は、大量(おほはかり)と謂ひ、亦の名は神度劍(かむどのつるぎ)と謂ふ。故、阿遅志貴高日子根神は、忿(いか)りて飛び去りし時、其の伊呂妹(いろも)、高比売命、其の御名(みな)を顕(あらは)さむと思ひき。故、歌ひしく、

   天(あめ)なるや 弟棚機(おとたなばた)の 項(うな)がせる 玉の御統(みすまる) 御統に 穴玉はや み谷 二(ふた)渡らす 阿遅志貴高日子根神ぞ

とうたひき。此の歌は夷振(ひなぶり)なり。



・麻賀礼―「禍(まが)れ」で禍あれの意味。
 
・朝床―朝寝ている床。
 
・高胸坂―胸のこと。
 
・「雉の頓使(ひたつかひ)」―行ったきりの使い。「梨のつぶて」と同義。
 
・風の與―風と共に。
 
・喪屋―屍を安置する家。
 
・河鴈を岐佐理持ちし―雁を葬送の時死者の食物を頭にのせていくものとし。
 
・掃持―葬送の時箒を持って歩く者。
 
・翠鳥を御食人とし―かわせみを死者に食事を供える者とし。

・愛しき友―親友。
 
・蹶ゑ離ち遣りき―蹴とばした。
 
・美濃国の藍見河の河上―長良川の上流。
 
・大量―名義未詳。
 
・神度劍―名義未詳。

・夷振―この歌の名称。

■現代語訳


 高木神は其の矢を取ってご覧になると、血が矢についていた。そして高木神は、「此の矢は天若日子に賜わった矢だ。」と仰せになると、すぐに神々に見せて「もし天若日子が我が命を違えずに悪しき神を射った矢が来たのならば、天若日子に当たるな。もし反逆の心があるのなら、天若日子、此の矢で禍あれ。」と仰せになると、其の矢を取って、其の矢の来た穴から突き返し下ろすと、天若日子は朝床で寝ているまま胸に当たって死んでしまった。
雉は帰ってこなかった。それが今の諺、「雉の頓使」のはじめである。
 
 天若日子の妻、下照比売の哭く声が風と共に響いて天まで聞こえた。これを天にいる天若日子の父天津国玉神や其の妻子が聞いて、天から降り来てまた哭き悲しんで、すぐ天若日子の死んだところに喪屋を作って、河雁を持傾頭者にし、鷺を箒持ちとし、翡翠を死者に食事を供えるものとし、雀を米つき女とし、雉を泣き女とするというように役割を決めて、八日八夜にわたって歌舞を行なました。
 
 その時、阿遅志貴高日子根神が来て、天若日子の喪を弔うと、天より降りきていた天若日子の父や天若日子の妻が皆泣いて、「我が子は死なないでいてくれました。君は死なずに生きていらっしゃいました。」と言い、手足に取りついて感激して泣きました。

 間違えた理由は、此の二人の神がとてもよく似ていたからであります。阿遅志貴高日子根神は酷く怒って「私は親友だからこそ弔いに来たのだ。どうして私を穢れた死人と比べるのか。」と言い、帯びていた十掬劍を抜いて、喪屋を斬り伏せ、足で蹴散らしました。そこは美濃国の藍見河の河上の喪山です。其の持って切った大刀の名は、大量と言い、別名神度劍と言います。
 そして阿遅志貴高日子根神は怒って飛び去ったが、その妹である高比売命は兄の御名を現し知らせようと思って、

天上にいらっしゃる うら若い機織り女の 首にかけている 玉をつないだ首飾り その首飾りの穴玉が照り輝くように 谷二つにもわたって輝いているのが 阿遅志貴高日子根神です

と歌った。此の歌は夷振と言います。




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