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単なる記事の紹介って感じなりますが。。。
昨日、地元の日前神宮が秀吉の紀州征伐でボロボロにされて、江戸になって再興したが、当時の面積の五分の一になってしまったっていうお話を書きました。
昨日ちょうど、FBのTLに『寺と僧侶が「完全消滅」した』という記事がながれてきたので、なにかな?と思ってみてみると明治の廃仏毀釈でした。
どういう話かというと(上のURL先みれば早いのですが)
記事中の文章を引用すると
鹿児島県史によると、県内には江戸末期まで寺院が1066カ寺あり、僧侶が2964人いた。ところが1874年(明治7年)には双方ともにゼロになった。にわかには信じ難いことだ。廃仏毀釈が終わり、1876年(明治9年)に鹿児島県に「信教の自由令」が出されるまで、廃仏毀釈は続いた。
という話ですね。
明治維新の暗部ですね。
記事によると、神仏習合という形で神道と仏教は共存共栄の道をたどってきたが、幕末になると諸外国からの開国要求が激しさを増し、尊王攘夷論が生まれ、そうした中、天皇を中心とした中央集権国家の樹立を理想とした江戸末期の国学者・平田篤胤の思想が盛り上がりを見せ、日本は「神の国」であるという国学思想が武士らに浸透し、神道と仏教を切り分ける思想へと発展していき、1868年(慶応4年)、新政府によって出された神仏判然令(神仏分離令)が決定的となり、破壊行為が広がったそうです。
どの時代にも暗部はあります。
サヨクは1945年で戦前と戦後に分け戦後はすばらしい・戦前はダメという。
一方、ウヨク(自称保守の人も)はサヨクの真逆を言ったりします。
切り分けること自体変な話ですが、戦前にも戦後にも悪いところとよいところがあります。
当たり前の話ですが。
某保守系メディアの絶望社長が、農協改革の話題の際、
「農協は戦後レジームの一つなので、アベドリルでの破壊も仕方ないのであります。」
って感じのことを言ってました。
農協に関しては衝動記さんのところでまとめられています。
瑞穂の国の資本主義の認識←これです。
この記事では戦後レジームという認識を否定していただいています。
仮に戦後レジームの一つだとしてもなんでもかんでも破壊すればいいって話ではないです。自称保守なら破壊行為にNO!って言ってもらいたいですね。