長野県松本市のシンボルとして名高い松本城です。現存十二天主の一つです。
しかしこの松本城、明治維新後に天守が競売にかけられ、一時は解体の危機が訪れたことがあります。なんとか、地元の有力者(市川量造)の尽力によって買いもどされて難を逃れます。市川量造は、地元ばかりでなく東京や大阪にも足を運び、人々に広く募金を呼びかけました。
神社合祀の記事でも書いたように、明治維新後の日本は「合理化・カネ儲け」主義が大きくなっていますね。
その悪玉ともいえるのが、某国(亡国?)総理大臣なのですが・・・。
その後も、この松本城は天守が傾く危機を迎えますが、有力者の支援でなんとか保存・修理がなされます。
戦前・戦後ではそれぞれ法律が異なりますが、国宝に指定されています。1950年代には復元工事が行われました。
・・・伝統や文化において大事なことは、「創る」ではなく、再生や修理・保守・保存なのだと思います。
・・・なお、長野県は時折「信州」と呼ばれることがあります。律令制時代の国の別名です。松本市は、長野市とライバルのようなところがあり、そのあたり微妙なところを刺激しないための配慮として「信州」という言葉が使われているのかもしれません。