ニーチェは「遠人」を愛せよ、と言いました。
新しい価値の創造なのか、古くからの価値を再発見して継承するのか?とにかく価値を後世に残して、遠人に死後も語りかけることこそが、超人の条件ではあるまいか?と思います。
完全に超人である必要はないと思います。部分的にも超人への橋を渡ろうとするならば。
末人として「お金だけが欲しいのです!」と言うならば、そうはっきり言えばよろしいのです。某女性評論家は「私の本はマーケティングです」と正直に言っているだけマシです。
某リフレ評論家は、どうなのでしょうか?
ツァラトゥストラの文章を引用します。
いっさいの書かれたもののうち、私はただ、血で書かれたもののみを愛する。血をもって書け。そうすれば君は、血が精神であることを知るだろう。他人の血を理解するなどは、簡単に出来ることではない。私は読書する怠け者を憎む。読書とはどういうものかを知っている者は、読者のためにはもはやなにごともしないであろう。もう一世紀こういう読者の時代がつづけば・・・精神そのものが悪臭を放つようになるだろう。
エセ保守の改革狂信者である安倍晋三は、ネット馬鹿保守の英雄だそうです。その大きいマーケットを狙った某作家は、現実世界での苦闘を、苦闘の末のため息や血液を、そして魂を、表現しているか?
後世に何かを残そうと、価値を産もうと、遠人へ語りかけようとしているのか?
もし、そうではなく、ただのおカネ儲けが目的ならば、その商売保守は末人(畜群)と変わらないことになるでしょう。
また、私自身、多読で知識を身につけようとしてきた態度を改めていかねばならないものと、思っています。簡単には変えられないのでしょうが。
