今や新自由主義者の教祖とも言えるフリードリヒ・ハイエクを経済学者として有名にした著作「隷従への道」は、国家が経済に介入することをナチズムに結びつけて批判したものである。
この「隷従への道」を読んだ1940年代の英国の有名な作家であるジョージ・オーウェルはある程度ハイエクの主張を肯定した後、こう述べている。
「ハイエク教授が(中略)理解しておらず、また認めないであろうことは、多数の国民から見れば、『自由』競争への回帰は責任の所在がより不明確であるために、恐らく国家による独裁よりも悪質な独裁を招くことだ。競争に伴う問題は、誰かがその競争に勝つことである。ハイエク教授は、自由な資本主義が必然的に独占に結びつくことを否定しているが、実際に行きつく先は独占であり、圧倒的多数の国民は不況と失業よりも国家による管理のほうをはるかに望むようになる」
この批評は実に的を得ており、現代の日本に通じるものがあるのではないか。
小泉政権時代、小泉首相は竹中平蔵氏や経済財政諮問会議、規制改革会議の経済学者・大企業の重役らと組んで、規制緩和による競争を誘発あるいは激化させる政策を次々に推し進めていった。
結果、競争が進むことで体力のある大企業はその恩恵を受けながら、体力のない中小企業は恩恵を受けられなかったり、逆に競争の激化によって、競争に勝てずに打撃を受けた企業も数多い。
また、バブル崩壊以降のデフレ下で競争が進むということは、企業が競争に勝つために賃金を抑制したり、非正規雇用を増やしたりして人件費を抑える。
よって、大企業へ株式などで投資している投資家やその重役は競争で勝った恩恵を受けても、基本的にほとんどの労働者の賃金は上昇しなかったり、競争激化で非正規雇用に至っては雇用自体が危うくなった。
そして、そういった余計な競争が生んだ結果について、競争を推し進めていった経済学者や企業の重役は「自己責任」で片付け、富を増やした彼らはさらに政府が無視できないようにその存在を大きくし、引き続き政府の経済政策に関与することで、自分たちに都合のいい政策を進めていく。
ジョージ・オーウェルが鋭くついたのは、まさにその責任の所在が曖昧になるということだ。
言い方を変えれば、選挙で選ばれた政治家や憲法(占領憲法ではあるが)で国民への奉仕者と位置付けられた官僚とは違い、彼らはあくまで国民の中の有識者あるいはその国民に過ぎないから、同じように責任をとる必要はないといっていい。
そんな新自由主義者や、責任が曖昧なその立場を彼らが悪用することで、まさに誰も逆らえない「独裁」の状態が生まれてしまうのである。
現在の安倍政権下に至っては、経済財政諮問会議や規制改革会議を復活させ、産業競争力会議という新たな会議をつくることでそういった新自由主義者たちの政府内での勢力をあえて強めてしまっており、国民に選ばれた数多い自民党議員よりも、彼らのほうの意見が優先されているといった有り様だ。
さらに、そんな流れは新たな段階に移りつつある。
例えば、安倍政権が進めるTPP交渉が妥結すれば、農産品関税が一部守られようと、あらゆる非関税障壁の撤廃で外国企業が日本に進出したり、移民に準じる動きが想定される。
それらはまた競争を激化させて、格差を拡大させるし、TPPで確実に盛り込まれるISDS条項によって
一々外資企業が公式に内政干渉をする危険性が高い(実際に米国企業がこれを結んだ相手国で、国の法規制や政策に干渉したり、賠償金を得ているケースが続出している)
また、同じく安倍政権が進めている国家戦略特区は競争激化と、外資企業を誘致するために
外資企業に勤める人だけでなく、その家族にも日本に長期間住んでもらうことも目的とした規制緩和政策であり、外国人が優遇される都市ができることで、かつて支那にあった租界のようなものが生まれたり、移民政策のきっかけとなる可能性をはらむ。
要は、この2つの政策は今までの国内の新自由主義者による「独裁」を通り越して、国外の外資企業までをその「独裁」に引き入れる結果もしくは少なくともきっかけになるということだ。
さらに、この両方が結び付けば、その「独裁」が発展的なものになるのは間違いない。
今、まさに「自由な競争」の名の下に、新自由主義者たちが自らの利益獲得を目的として、その実国民の自由と安寧を奪う「独裁」が現在進行形で進んでいるのを打開するためには、かつてジョン・メイナード・ケインズが古典派経済学者らと戦い、これを一度は殲滅したように、志ある国民が戦うしかない。
現代日本のマスメディアも大企業の1つだったり、スポンサーが大企業ばかりで左だろうが、右だろうが、新自由主義者の暴走を称賛しているという、ケインズがマスメディアを利用したときとは違って厳しい状況ではある。
しかし、金儲けだけが得意かつそれだけが目的な「私人」が国家や国家を築き上げてきた歴史を背負うはずはなく、国民の生命・財産、領土、歴史的連続性を守るためには、金儲けにならないこともできる公的な国家が、適切に国の舵取りをできなくなることだけは避けなければならない。
私も微力かつ駄文しか記せないが、私なりに戦っていきたいと決意を表明し、
来年に向けて気持ちを新たにしたい。
