戦前と戦後の祝祭日① | 真の国益を実現するブログ

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以前にも書いたように、祝日は単なる休日ではありません。現在の祝日は占領下で決められたもので、祝日には意味があり、皇室、日本の歴史・伝統・文化に基づいたものでした。

戦後に日本を占領したGHQは、国民の一体感がアメリカの占領政策にとって邪魔となり、またいつの日か再び日本がアメリカに牙をむくことを恐れ、『神道指令』を出し、伝統的宗教観で連帯していた日本の近代国家観を徹底的に破壊しました。

この影響で、国の成り立ちや歳時、皇室祭祀などの重要な祝祭日が廃止され、あるいは無味乾燥で意味不明な休日に作り変えられました。GHQの悪行の一つであります。

まず国民の祝日に関する法律の第一条には次のように書かれています。

第一条  自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

と書かれています。

赤字の部分、占領憲法の前文にちょっと似ているような気がします。

それでは祝祭日を見ていきましょう。



一月一日

元日:年のはじめを祝う。

四方拝(節):元日における宮廷行事の一つで、天皇が元旦の早朝に、天地四方を拝する行事。平安時代初期に日本の宮中に取り入れられた。平安時代には、宮中だけでなく、貴族や庶民の間でも行われ、豊作と無病息災を祈っていたが次第に宮中だけの行事となった。明治以降は、皇室祭祀令により規制され、皇室祭祀令が廃止された、戦後においても、それに準じて行われている。また、戦前は国の行事として行われて、『四方節』と呼ばれ、祝祭日の中の四大節の一つとされていたが、戦後は、天皇家の私的な行事として、行われている。


一月三日
元始祭:天皇が宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)においてみずから主宰する「親祭」であり、皇位の元始を祝ぐ儀式である。
(「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、1874年(明治7年)から1948年(昭和23年)まで同名の祝祭日(休日)であった。)


一月五日

新年宴会:宮中において新年の到来を祝う宴会。かつての祝祭日(休日)のひとつでもある。

一月一五日

成人の日:現在は1月第2月曜日。1948年公布・施行の祝日法によって制定された。制定から1999年までは毎年1月15日だった。成人の日を1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによるといわれている。

元服の儀:元服の儀:日本の祭礼儀式のうち、成人になったことを示すために行われる儀式のこと。単に元服とも言う。冠婚葬祭のうち「冠」に該当する。かつては男子の行事だった。戦後は「成人の日」にその意義が受け継がれている。)


二月一一日

建国記念の日:建国をしのび、国を愛する心を養う。

紀元節:誰にでも誕生日があるように、国にも誕生日があり、日本国の誕生日は、日本書紀による『神武天皇即位の日』として、“辛酉(かのととり)年春正月庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)”とあり、旧暦の1月1日で、新暦(太陽暦)に換算すると、紀元前660年2月11日となる。新暦として、“太陽暦”を採用した明治政府は1872(明治5)年、2月11日を『紀元節』として制定した。1914(大正3)年からは、全国の神社で、紀元節を祝う祭りが行われ、民間でも、この日を『建国祭』と称して、祭典を行っていた。戦後の1948(昭和23)年以降廃止となったが、“建国をしのび、国を愛する心を養う日”として、1966(昭和41)年に『建国記念の日』として、再び制定された。
※『建国記念日』ではなく、『建国記念日』なのは、“建国された”という事そのものを記念する日であるという考え。(社会党などの妨害による