ドトールラバーズという本を読んで以来、せっせとドトール通いにいそしむ日々。
感化されやすいなーと思いつつも、なるほどの使い勝手なのだった。
気取らない普通の喫茶店って、探そうと思うと難しいのに、見落としていただけだったかーとしみじみ。
大きな街のドトールは混んでしまって息苦しいけど、私鉄沿線の店なら割と空いていて、ぼーっとするには最適な場所だなーと思う。
いつかドトールでモーニングを。
そんな些細な目標を抱きつつ、今日もご馳走さまでした。
自分の前に入店した女性が利用時間の欄に「0.5」と記入していたのを見て、かなり悔しかった。
自分もそうしたいと思っていたのに、なぜだか悪いような気がして、
ついつい「1」という数字を惰性のように書いてしまった後、その数字に気づいたのだった。
きっと今回も40分過ぎくらいになれば、
もう充分という気持ちになり、そそくさと上着を羽織っているのだろう。
その40分過ぎという時間だって、本当は遅すぎるくらいなのに。
出来ることなら30分きっかり、もしくは25分ほどで切り上げたいところなのに。
それができないのは、1人カラオケが今ほどありふれていない時代に染み付いてしまった癖なのだと思う。
今ほど市民権を得ていない時代に受付を済ませる時の緊張感や、どこか後ろめたい気持ち。
そういう気持ちがなんとなく「1」という数字に現れている気がしてならない。
自分もそうしたいと思っていたのに、なぜだか悪いような気がして、
ついつい「1」という数字を惰性のように書いてしまった後、その数字に気づいたのだった。
きっと今回も40分過ぎくらいになれば、
もう充分という気持ちになり、そそくさと上着を羽織っているのだろう。
その40分過ぎという時間だって、本当は遅すぎるくらいなのに。
出来ることなら30分きっかり、もしくは25分ほどで切り上げたいところなのに。
それができないのは、1人カラオケが今ほどありふれていない時代に染み付いてしまった癖なのだと思う。
今ほど市民権を得ていない時代に受付を済ませる時の緊張感や、どこか後ろめたい気持ち。
そういう気持ちがなんとなく「1」という数字に現れている気がしてならない。

