記紀神話を考える ⑥ 天照大御神を神々のトップに据え、その末裔である天皇の支配の正当性を示す | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

あっしは今、仏教、そして日本思想史が専門の末木文美士センセの『日本宗教史』(岩波書店・新書)を読んでおりまして、日本古代における宗教とはどのようなものであったのかを知ろうとしております。

 

 

言うまでもなく、日本に仏教が伝わる前には神道と現在我々が呼んでいるものがあったとされ、いわゆる八百万の神々がその舞台にいたとされております。

 

 

しかし、それらの神々の多くはあくまで記紀神話に登場する神々であり、その記紀神話が大和朝廷によって自分達に都合のいいように創作されたものだとするならば、それらの神々も自然発生的な(?)神であるというよりは、大和朝廷によって作り出されたり、元々あった、それこそ自然をシンボル化したような神を、あるいは天皇以外の豪族が祀っていた神々を、これまた朝廷に都合のいいように改ざん、脚色されたものであるように思います。

 

 

先回、太陽信仰は「日神(ひのかみ)」として日本各地にあり、それを畿内の伊勢で祀られていた日神に統合して、これを天照大御神にしたのではないかと書きましたが、そしてその太陽神を祖先神として祀る天皇家こそが日本という国の統治者の資格を有するということを示そうとしたように思います。

 

 

日本の八百万の神の中でも、きわめて古くから信仰されていた神々には大国主八幡神、住吉三神などがおりまして、これらの神々は記紀神話には登場しないか、登場してもあまり重要視されてはおらず、これらを祀る神社は、天皇家の祖先神を祀る伊勢神宮を頂点としたヒエラルキー(ピラミッド型階層構造)の中に組み込まれてゆきます。

 

 

 

 

 

日本各地にいた豪族のトップに立つ天皇(神)

 

 

 

 

つまり、かつての日本には様々な豪族がおりまして、それぞれその地を支配し、それぞれ「クニ」を作っており、彼らは自分達の神々を祀っていたと考えられます。そういった豪族を、後に天皇(※ 言うなれば王)という地位を作り出してそのトップに立つ豪族(※ 渡来系ともされます)が次々にその統治下に組み込んでゆき、日本という大きなクニを作り、様々な神々もまた正史とされる記紀神話の中に組み込んでいったように思われます。

 

 

豊穣祈願など、かつては各地の豪族はそれぞれ独自に行っていたと思われますが、そしてその首長はシャーマン(神官)的な役割を持っていたと考えられ、そのシャーマンのトップに立ち、それこそ豊穣祈願だけではなく、国家安泰まで祈願していたように思います。これは祭政一致を意味しております。

 

 

律令制下、天皇はトップに立つ神官として祭祀をおこない、全国各地の由緒ある神社から召集された祝部(はふりべ ー 神職)に幣帛(みてぐら)を班給し、彼らはこれを持って国元へ帰り、その地の神社にて豊穣祈願なら豊穣祈願を行ったとされます。

 

 

現在でも天皇は新嘗祭(収穫感謝祭)を皇居内にあります、宮中三殿と呼ばれる、まずもって一般人なんぞは参拝できない特別な神社にてシャーマンとして祭祀を行っております。

 

 

 

皇居内にある宮中三殿 (※ 三島由紀夫は特別に拝観を許されたとか)

 

 

 

まあ、言うなれば天皇は日本で最上位におります神主ということにもなりますかねえ。

 

 

して形式的なものであれ、そのような祭政一致のシステムが現在まで継承されているというのは、ある意味ではすごいことであります。

 

 

 

 

最近、米不足なんてことが言われておりますが、このような写真を見て、

 

 

 

稲刈りをする今上天皇 この稲穂は新嘗祭に捧げられます

 

 

 

うーむ。最近は、小米不足、いや皇室も財政難で皇居内で自給自足体制に入ったのか

 

 

 

 

なーんて思う方は大バカ野郎なのであります。

 

今日、我々がおいしいお米を食べられるというのも、畏れ多くも天皇陛下が、このように豊饒祈願を行ってくださったからなのであります。