「君が代」を考える ① ー そのルーツは九州にあった? 他にも恋の歌だとか、笑える珍学説も | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

君が代」であります。

 

 

日本の国歌であります。式典、祭典、入学式に卒業式にあっては斉唱しないと非国民にされます。ついでに祝日には国旗を掲揚し、皇居に向かって最敬礼しないと同じく非国民です。もっと言えば、教育勅語を暗唱できなくても同じです。もっともっと言えば歴代天皇のお名前を全て覚えていないといけません。

 

 

 

 

 

 

 

ただし終戦までの話ですけど。

 

 

さて、たまたま、記紀神話に登場する海の神ともされる綿津見神(海神 ー わたつみのかみ)について調べておりましたら興味深い話がありました。

 

 

福岡県にこの綿津見神(海神)を祀る神社の総本社とも言うべき志賀海神社というものがあります。

 

 

 

 

 

志賀海神社

 

 

 

博多湾の北部に位置し、海の中道と呼ばれる砂洲と繋がった志賀島にあります。

 

 

江戸時代(天明年)、「漢委奴国王印」と彫られた金印が発見された島ですよ。

 

 

 

 

あっしが北九州に鉄道旅をしていた時、JR香椎線と呼ばれるローカル線で、終点の西戸崎駅まで行きましたが、この先に島があります。海がきれいであったことを覚えております。

 

 

 

 

香椎駅で売っている、九州を代表する駅弁 かしわ飯 (大好きです!)

 

 

 

 

歴史的には、この一帯は遠く朝鮮や中国などの大陸への玄関であったともされます。遣隋使遣唐使も、この辺りから舟に乗ったことと思いますし、『日本書紀』にあっては神功皇后三韓征伐(新羅、百済、高句麗)のためにここから出征したとあります。

 

 

 

なかなか歴史のロマンを感じさせる所なのであります。

 

 

さてさて、その志賀島にあります志賀海神社ですが、旧官幣小社でありますから、規模は小さくても、極めて由緒ある神社なのであります。ナメてもらっては困るのであります。

 

 

この地には古くは安曇(阿曇)族という、海洋民族がいたとされまして、綿津見神は、この氏族の祖神(氏神)であったのではないかと推定されております。

 

 

ついでながら、記紀神話には海の神として他にも住吉三神、宗像三神、(大)綿津見神の娘である豊玉毘売命(とよたまびめにみこと)、玉依毘売命(たまよりびめにみこと)、さらには伊邪那岐・伊邪那美の最初の子でありながら、不具の子として海に流された水蛭子神(後には恵比寿神となる)もおります。

 

 

 

この志賀海神社に特殊祭事に4月と11月に行われる山誉祭(やまほめさい)という、大漁・豊作を祈るものがりまして、そこで奉納される神楽があります。

 

 

 

さあ、この神楽の歌詞に注目しましょう。

 

 

君が代(だい)は 千代に八千代に

 

さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

 

 

 

まさに、現在、我々が知るところの国歌「君が代」であります。

 

神楽はさらに続き、

 

 

あれはや あれこそは 我君のみふねかや

 

 

 

以下、まだまだ続きますが省略します。

 

 

さて、ではいったい、このような九州の地の神社の神楽の歌の歌詞が、広く知られるようになったのか。

 

これは平安時代前期、醍醐天皇が『万葉集』には選ばれなかった古い歌を編纂させた『古今和歌集』に載っているからだとされます。

 

その343番に「読み人知らず」という、つまり誰が詠んだのかわからないものの中にあります。

 

 

 

九州の志賀海神社の神楽の歌詞を、木地師(きじし ー 木工職人。全国を渡り歩いた)が伝えたのだともされます。

 

 

 

 

して、今は国歌となっております「君が代」について、ネットでいろいろと調べておりましたら、いろいろとその意味を述べたものがありまして、中には「名も知れない女性の、男性に向けてのラブレターだった」なんてのもありましたねえ。

 

 

あっしの高校時代の古典の教師は、授業で生徒がトンチンカンなことを言うと「新学説だな。学会で発表しなきゃいけない」なんていやらしい皮肉をかましてましたが、まさに「新学説」ではないかと思いす。

 

 

 

なーんて思っていたら、さらに、その上を行く、いっそ「珍学説」もありました。

 

 

それによれば、この歌詞の「きみ」 の「」は伊邪那岐で、「」は伊邪那美なのだそうで、この二人(※ 神様の場合、その数える単位は「」ではなく「」を使います。正しくは「二柱」でしょう)を足して「男と女」という意味なのだとか。

 

 

二人の神様は不完全なので、こどもをなして完全な大人に成ろうとし、こうして生まれたのが日本人だ、と。

 

 

 

伊邪那岐が、自分の身体には余計な部分があって、対する伊邪那美には足りない部分があるから、合体すればお互いに完全になるだろう、なんていう、俗にいう「凸凹」論をまくしたててますが、それを言っているのか。

 

 

 

 

さらに、伊邪那岐と伊邪那美の両者の合体によって誕生したのは天皇の遠い祖先であって、一般民衆はなんだかよくわからんうちに雑草や苔のように自然発生していたらしいんですけどねえ。

 

 

 

また「こけむす」の、「むす」は造化三神のうち、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かむむすひのかみ)の「産巣(むすひ)」(生成する)という意味だ、というのは、その通りでしょう。

 

 

 

ただ、どう考えても、九州の神社の神楽歌と、記紀神話でいう造化三神は結び付きません。

 

そもそも、この三神は、『古事記』を編纂するにあたり、新たに作り出された神であるというのは通説です。

 

 

つまり「むすひ(生成する)」という古語が既にあって用いられており、これを神格化したものが、この二柱の神ではないかと思われます。

 

して、三神のうち、一番最初の神である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、大宇宙そのものの神格化でしょう。

 

 

いずれにせよ、「君が代」と記紀神話とには、直接の関係はないように思います。

 

どこからこんな説を見つけてきたんでしょう。