あやしい宗教学 日蓮・法華宗系新興宗教 南無妙法蓮華経で理想的仏国ユートピアの構築? 世界征服? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

日本の新宗教のうち、圧倒的な強さを誇っているのが日蓮系神道系の教団だとされます。

 

 

神道系では天理教大本教から派生した成長の家、世界救世教、世界真光文明教団があり、日蓮系では創価学会、霊友会、立正佼成会などがあります。

 

幕末から明治にかけて、さらには戦後になって出現し、その勢力を大きく拡大してゆきます。

 

 

一方にあって、既存宗教はと言いますと、仏教は江戸時代に定着した檀家制度により、いわゆる「葬式仏教」化し、衆生を救うなんていうこととはかけ離れてしまっておりました。

 

あえて言えば、現生よりも死後の救済に力を入れていたというべきか。これはこれで衆生を救う、とも言えますが。

 

 

 

さて、そんな中、特に日蓮宗にあっては、既成教団の体質を批判し、本来の日蓮に回帰すべきとする新たな動きが出てきます、

 

それには、なんといってもこの日蓮宗において在家(※ 出家せず、世俗にあって仏道に帰依する人)の存在が大きいことがったとされます。他の宗派では僧侶になるには受戒が不可欠ですが、日蓮宗では特にそういうことを行わないとされます。ゆえに在家と僧侶に区別はないという考えが生まれます。

 

これは浄土真宗にも言えることです。

 

 

こと、日蓮宗にあっては在家信者による法華溝が江戸時代あたりから幾つも作られていたとされます。というのは、共通の信仰を持つ人々の集まりであり、他にも念仏溝や、伊勢神宮に参拝するための伊勢溝、他にも月待溝といいまして、十五夜、二十三夜、といった特定の月齢の世に集まる、民間信仰の溝があったとされます。

 

 

 

 

 

女性だけのものもあり、これなど、いっそサバト(魔女集会)を思わせますねえ。

 

 

信仰と親睦、娯楽といったものも兼ね合わせた集会ではなかったかと思います。

 

 

 

さて、そんな日蓮宗の溝の中から、有名なものでは田中智学が創始した国柱会がでてきます。田中は、一時、日蓮宗の僧侶でしたが、還俗しております。この「国柱」とは、日蓮の『開目抄』における「我、日本の柱とならむ!」という、気宇壮大な決意表明に倣ったものでしょう。

 

柱ったって、ただの柱ではなく、恐らくは「大黒柱」だと思います。

 

 

この法華信仰、いっそ日蓮その人に対する信仰も加えて、これを「日蓮主義」というのだそうです。

 

 

これに対し、例えば空海主義とか、法然主義、親鸞主義、道元主義なんてものは聞きませんねえ。

 

やはり、日蓮という方には強烈な個性と、常人にはないカリスマ性があったのでしょう。

 

 

この国柱会の主張や、日蓮主義に共鳴し、これに加わったのが、前にも書きましたが詩人で童話作家でもあった宮沢賢治、満州事変の首謀者であった石原莞爾、他にも評論家の高山樗牛、日本医師会の会長を務めた武見太郎など、そうそうたるメンバーがいたようです。

 

他にも、坪内逍遥、北原白秋、中里介山なども影響を受けたのだとか。

 

(※ この辺の事情は、島田裕己『新宗教戦後史』朝日新聞社を参考にしております)

 

 

この田中が掲げたのが、あの有名な「八紘一宇」というスローガンであります。

 

 

 

 

 

なお、この言葉は後に当時の軍部に取り入れられて名前が知られるようになりますが、田中自身の考えていたその意味は、『法華経』の思想にのっとり、世界を理想的な仏教ユートピアにするとものというものであったようです。

 

 

これは、キリスト教が、その思想において、この世界に神の国を実現する、という考え方にも似ていますねえ。

 

 

もっとも、この八紘一宇は、日本がアジアに侵略してゆくことの正当性を示すものになっていったようですが。

 

 

なお、日蓮主義とはいえ、田中は天皇こそが、その先頭に立って日本国、そして日本国民を率いてゆくべきだと考えていたようで、本門戒壇を国が作り、これを国立戒壇とし、そこに天皇においでいただく、なんてことまで考えていたようです。

 

 

当時、少なからぬ新宗教が、その宗旨を変更させられたり、場合によっては弾圧されたりもしていましたが、この点においては田中の主張は、時代の流れにうまく乗っていたといえるかもしれません。

 

 

なお、石原も、田中の説く八紘一宇の思想に影響を受け、彼独自の戦争観を構築していったとされます。

 

あえていえば、自身が持っていた思想を、日蓮主義で補強したといえるかもしれません。

 

 

さて、これとは別に、既存宗教である日蓮宗の一つの宗派である日蓮正宗と深く関わりながら、新たな立場を模索していたのが創価学会の前身となる創価教育学会の創立者牧口常三郎であります。

 

 

牧口は、小学校の教員や、校長などの経験のある教育者でしたが、日蓮正宗との関わりの中で、個人の幸福の実現に関心を寄せ、日蓮の仏法を信じれば現生利益がもたらされ、背けば罰が下されると説き始めたとされます。

 

 

いかにして、どうすれば、というよりも、まず信仰ありき、というスタンス。そして、信じればご利益、信じなければ罰、という主張はきわめてシンプルなものでしょう。

 

 

まあ、キリスト教なんかでも似たようなことを説いていますが。

 

 

しかし、この牧口、当時、各家庭に配られていた、畏れ多くも皇祖である天照大御神を祀る伊勢神宮の大麻(神宮大麻)を拝むことを拒否し、これを燃やさせた、のだとか。

 

 

 

 

 

これは、日蓮正宗の、きわめて他宗に対する排他的姿勢に影響を受けたものとされますが、牧口はこれにより、治安維持法違反と、当時、泣く子も黙ると言われた(?)不敬罪にて投獄され、彼は獄中で亡くなっております。

 

 

なお、彼は日蓮の『立正安国論』を引き合いに出し、「天皇をはじめ、日本国民のすべて『法華経』に帰依すれば、世界に平和が訪れ、人々は皆幸福になれるのだ」なんて主張したとされます。

 

 

これまた、単純明快な論理ですねえ。

 

 

もし、本当にそうなるなら、これはもう、神の国日本から、仏教国、法華経の国日本にならなくてはいけないということになるでしょう。

 

 

まあ、仏教伝来以降、日本はずっと仏教国(※ 仏教が国教)であったわけですが、明治になっていきなり神の国になりましたからねえ。牧口は、結果としてこれを批判することになったということになります。

 

 

なお、敗戦となり、それまでの神国という国教的な考えはなくなりましたが、神道、神道系新宗教、そして日蓮系新宗教と、いずれも、その目指しているのは、ユートピアとしての「神の国」もしくは「仏の国」でしょう。

 

もちろん、キリスト教もずっと、神道のいう「神の国」とはまた異なる神の支配によるユートピアを目指しております。

 

 

しかし、カール・ブッセの詩ではないですが、幸せと同じく、そんなユートピアなんてものがあるのか、実現可能なのか?

 

 

あると信じれば救われるし、ないと思うなら救われない?

 

 

 

 

 

いっそ、満期の期日が記入してない約束手形をもらったようなものかも。

 

 

で、いつ満期になるんですか?

 

と尋ねると「神(仏)のみぞ知る」なんてねえ。

 

 

 

ナメとんのか?

 

 

ってもんでしょう。