時代の変わり目、歴史の転換期、あるいは混乱期、不世出のカリスマ的リーダー、あるいは後にその宗教の教祖とも言われるような方が登場するようです。
釈迦が入滅、つまり死して後、当初こそはその教えが正しく行き渡っておりますが、次第に仏法がすたれてゆき世の中が乱れてゆくという末法思想が、当時の日本を支配していたとされます。
まず、正法の時代と言いまして、釈迦の説いたことが正しく伝わるのでありますが、次に像法という時代に入りますと、修行はなされるも悟りを得る人はいないとされ、末法の時代ともなりますと、ただ教えのみがある、というのであります。
法然や親鸞などが、そんな末法の時代に恐れをなし絶望した人々に、来世こそに救いがあると極楽浄土を説いておりました。
この世で結ばれぬ縁ならば、いっそあの世で 『曽根崎心中』
これに対し、日蓮はあくまで現世にあってこそ衆生を救うべきだと立ち上がったとされます。
我、日本の柱とならむ
我、日本の眼目とならむ
我、日本の大船とならむ
とは、何度かの法難(迫害)の一つである佐渡への流罪の中にあって、彼の燃えるような思いを示したという『開目抄』の中にある言葉だとか。称してこれを「三大誓願」というそうです。
立ち上がれ、ビッグXならぬ、日蓮
かつて郷里である宮崎県知事に立候補した東国原英夫は「宮崎をなんとかしなくてはいかん」と言っていたとされますが、日蓮はそれよりもスケールが大きく「日本という国をなんとかしなくてはいかん」ということであったのでしょう。
日本の柱(※ 大黒柱?)になり、日本の目になり、日本の大船になろうという気概には、そんな日蓮の気持ちが強くあふれております。
まあ、世の中には「私に任せなさい。大船に乗ったつもりでいなさい」なんて大言壮語する方もままおりますが、その大船がそれこそタイタニック号ということだってあるのではないのか?
沈没したタイタニック号
映画『ポセイドンアドベンチャー』の中では、たまたま乗船していたキリスト教の神父が「我に従うのは、神に従うのと同じ」なんて乗客の一部を率いて、神の救いの手を信じ、結局はそのまま天に(?)召されて行きましたけどねえ。
前にも書きましたが、あっしがかつて属していた会社の取引先の担当者は納期の期限厳守を言うと「大丈夫です。大船に乗ったつもりでいてください」なんて毎回いうのですが・・・、これが大嘘!
あっしは、この担当者を口先だけのタイタニック野郎、って言ってました。
さて、13世紀の初め、ユーラシア大陸の北方の草原にあって、蒙古(モンゴル)の皇帝フビライの命を受けた使者が太宰府に到着し、国書を託します。それはすぐにも鎌倉幕府に届けられ、さらには朝廷にも奏上されます。
言うことを聞かないと攻めて行くよ
なーんて威嚇、いっそ恫喝的なその内容に、鎌倉幕府も、朝廷も「いっそ、見なかった、いや、知らなかったこといにしょう」なんて無視してしまいます。しかし、再度の使者が来るに及んで、さすがに心配になったのか、朝廷は全国の大社、大寺に「敵国降伏」の祈祷を命じたと言います。
ついでながらの話ですが、第二次世界大戦が舞台の映画を見ておりましたら、ドイツの教会のこれまた神父が、会衆に向かい「皆さん、ドイツの勝利を神に祈りましょう」なんてシーンがありました。
して、思うに、これは敵対するイギリスやフランスのキリスト教会でも同じようなミサが行われていたはずで、結果的には神はドイツの人々の願いは聞いてくれませんでしたねえ。
して、この末法と言われていた時代、飢饉や疫病、地震、洪水なども起こり、これこそは世の終わりなのか、なんてことも言われていたようです。
まあ、こんなもなー後付け解釈でして、いつの時代にあってもこういった天災はあったように思います。宗教者の中には、こういうものを「神の怒り」だとか「信仰が足りないせい」なんて脅かす方もいるようですが。
この時代、天災だけではなく、新興の武士層が各地で小競り合いを起こし「悪党」と呼ばれる集団が跋扈し、巷にはねずみ男を筆頭に魑魅魍魎がうろつきまわるという、それこそ「この世の終わりか?」という様相を呈していたともされます。
まあ、それがゆえに浄土信仰、念仏も広まったのでしょう。
しかし、これは、つまるところ現実逃避ではなかったのか。
して、こういう時代だからこそ、救世主とも言うべきカリスマ的リーダーの出現が望まれるもの。
カリスマ的リーダー、とは言い難い日本の総理?
かつて、ユダヤ民族もまた自分達を救ってくれるはずの救世主(メシア)を希求していたとされます。
そんなユダヤ社会にはイエスが登場し、日本においては日蓮が声をあげたのであります。
俺様の言った通りではないか!
この日蓮、蒙古からの恫喝的な国書を携えてやってきた時よりも8年も前に、その著である『立正安国論』にて、異国からの脅威を予言していたのであります。
文応元年(1260年)、日蓮は時の最高権力者である鎌倉幕府の北条時頼に、これを提出します。これを「勘文(かんもん)」といい、言うなれば朝廷や幕府に対しての上申書であります。
その内容は単純明快でして、日蓮が最重要視している法華経を信じることなく、ということは自分の言うことを聞かず、浄土宗のような邪宗を信じていると悪鬼による災難が起こり、さらには天災も生じ世の中は大変なことになる、と。
日蓮に無間地獄に落ちるとされた法然
さらには、国内には内乱が起こり、異国からは侵略されるようになる、というのであります。
この「立正」とは「正法」つまり法華経を立てる、重んじるということで、それにより「国(※ 国家というよりは、世の中)」が安泰するとしております。
非常にわかりやすいですねえ。
キリスト教、というよりはキリスト教系新興宗教とも言うべきエホバの証人が「信じないものは地獄に落ちるよ」なんて言っているのと全く同じでしょう。
悪徳商法の一つに、ありもしないことをでっちあげて(※ 屋根が傷んでいる、床下に白アリがいる、など)その必要もないのに改築や駆除をさせ、高額な料金を請求するものがあり、これを「不安商法」なんて言いますが、宗教の場合は「不安宗教」とでも言うべきか。
オウム真理教もそうだったようですが、創価学会どでも脱会すると「地獄に落ちる」なんて言っているのだとか。
ちなみに、あっしが洗礼を受ける寸前で脱会、というか転んだ(?)キリスト教・日本聖公会(※ 英国国教会)なんぞですと、
いいんですよ。その気になったら、また、いつでもいらっしゃい
いつでも門は開いていますよ
ですからねえ。
「来るもの拒まず、去る者追わず」ですよ。
んで、つい、その気になって裏門(?)から、少しのぞき込んだりもしてますが。
さてさて、蒙古は1274年には文永の役、1281年には弘安の役として二度も、当時の世界においては最大規模の艦隊で日本に攻め込んできたのであります。
して、いずれも神風が吹き、これを撤退させたのだということが、後世にまことしやかに伝えられ、これがゆえに「やはり日本は神の国」、「いざとなれば神の加護がある」なんてことが言われました。
しかし、この神風なるものは、現代ではいずれも暴風雨、さらには台風であったともされ、また、意外にも日本軍の抵抗が強かったともされます。つまり、単に神風が吹いたからこそ勝った、ということでもないようであります。
さて、次回は、このカリスマ的リーダーか、いっそパラノイアか、という日蓮さんの生涯にスポットを当ててみたいと思います。