パチスロで生計を繋いでいた後半(秋頃)不倫の相手だった彼女からTELが有りました。「もう一度、やり直したい」と…。僕は失望やら反省やら喪失感で凄く苦しんで、すっかり冷めていましたので全然嬉しく有りませんでした。
会って事情を聞いたらフラレタから戻りたい、やり直したいと言ってます。
僕はその時、ファミレスで怒りを抑えて コーヒーを飲むのがやっとでした…(-.-;)
で、僕の気持ちの中ではセフレ扱いと位置付けてまた会う事にしました。
もぅ、彼女を信用出来なかったからです。
さて僕は、元妻といい彼女といい人間不信は募るばかりでした。
ましてや僕の両親も変な夫婦でした。
父親は僕が中2の頃から平日は帰宅しなくなりました。高2の頃からは週末の土•日or日しか帰らなくなりました。
その父親がこのスロットで稼げる事を話したら「自分もヤリたい!出る台を教えて欲しい!」と言い出して、金曜日の夜には帰宅する様になりました(゚o゚;(笑)
父親にも結局なんだかんだ、30~40万位はプレゼントしたと思います。
たぶん?弟も300万位は稼げたかな~?
ちなみに弟もコレが始まりでパチプロ人生です。いまだに…。筋金入りです(~。~;)!
まぁ~この世の中、良い事はそぅそぅ続きません…(>_<)
この、稼げるスロットはホールから撤去されてしまいました(泣)
当時はまだバブル景気の後半で、求人誌は有料(¥300~¥500)だったけど1冊の厚みが3~5cmは有ったかな…(^◇^;)
勿論、今みたいなダミー求人は無いから数社受ければ大概どこかに就職できた時代でした。
で、受かったのが某大手AVメーカーでした(^。^;) まっ正直、興味深々で面接を受けたワケで~。
さっそく、見習い期間が始まりました。
所在地は中目黒(当時)なんだかゴチャゴチャした街でした。店は沢山あったけど今みたいにオシャレな店は少なかったな~(^.^;
で、僕の最初の仕事は…。
撮影現場から上がって来た未修正の素材ビデオにモザイクを掛ける場所を見つけてメモをしていく作業でした~(@_@)!
編集用のビデオには画面の端にキャラ(時•分•秒)が入っていて、それを使ってモザイクの時間範囲を指定して行きます。
この作業は時間が押してる時は昼飯や夕飯を食べながらヤル事もあって、♂♀丸見えは辛かったな~(-。-;)オエッ~!
で、当時は調布市に有る東京現像所へ持ち込んでモザイク掛けをしていました。
今は、きっとパソコンを使って自社でモザイク掛けをするのかなー?
それから他には制作部の先輩に同行してパッケージの撮影現場へ行き現場の進行を教わりました。
数人の先輩の現場へ同行したけどプロデューサーとは言っても皆、下手に接していて女優さんやカメラマンさんに凄く気を使ってましたね~。
女優さんはイヤだけど肌になってんだっ!カメラマンさんは撮ってやってんだっ!みたいな横柄な人が多かったな~(-_-#)比較的にヘアメイク兼衣装さんは良い人が多かったかな~?
それから苦手だったのが、新人モデルさんへの面接ぅ~(*_*;
質問のフォーマットが有ってソレに沿って色々と聞いて行くんだけれど…。
「身分証は免許証?パスポート?」「親バレ•彼バレは大丈夫?」「動機は?」「初体験はいつ?」「性感帯はどこ?」「好きな体位•苦手な体位は?」「フェラ好き?」「NGなプレーは有る?」「アナルは?スカトロは?」「3Pとか乱交は大丈夫?」などなど日常会話なら超セクハラになる質問を談笑を交えながら淡々とこなしていく。
聞いてる僕が恥ずかしくなって苦手だったな~(*/ω\*)
あと、モザイクの審査を受けに行く仕事。
そぅ「ビデ倫」へ審査を受けに行く!たしか地下鉄で「三越前」で下車して徒歩だったなー。今思えばだけど、これがまたテキトウ?曖昧な?審査だったよー(^。^;)確か1作品の審査料金が1回¥5000-で、初めて受ける作品はモザイクになんの落ち度が無くても審査委員が難癖付けて不合格になってたな~(^.^;なぜか?2~3回受けると合格♪みたいな…(^_^;悪どい組織だったなー!元警察や元映画会社の天下り先だったみたいです?!
見習い期間が終わり、いよいよ作品を僕が担当する事に!!
女優さんは新人のムチムチ巨乳!一色麗矢チャン♪
監督はその昔、富田靖子のデビュー作「パンツの穴」の○岡さん!
さっそく、パケ撮影へ♬
モチロン僕1人ではまだムリで一番頼りない先輩が同行してくれました…(・_・;)トホホホ
つづく。
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