人前で話すことが苦手ってね | 伊達ヒューゴブログ

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人前で話しをすることは苦手ですか?

 

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ここ数日、大雨のニュースが伝えられているよね。仙台はそれほどでもないけれど、九州、特に宮崎や鹿児島が気になるよね。

 

そんな梅雨の晴れ間を縫って、今日は中学校に行って講演をして来たのね。

 

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中学校や高校に、講演や講座で伺う機会があるんだけどね、ぼくはその度に、生徒のみなさんに質問することがあるのね。何かというと、それは、「あなたは人前で話しをすることが苦手ですか」っていうことね。

 

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これを一番先に聞いてみて、講演や講座の話す内容や体験していただくものを変えたりするわけ。たとえばさ、これを聞いてみて、「人前で話しをすることが苦手です~」って手を挙げてくれる生徒さんが多い時にはね、講演や講座中に、生徒のみなさんがざわつくってことが多いような気がするのね。もちろん、ぼくの話が生徒のみなさんにとってはさ、それほどおもしろくなかったり、聞きたいような内容ではなかったりするんだろうけどね。

 

それで反対に、あまり手が挙がらないような学校だとね、比較的穏やかだったり、静かだったりするわけね。これって面白いもんでだいたい当たるのね、予測が立つの。これは、いったい何なのだろう?っていつも思っちゃうのね。

 

だからさ、このことからひとつふたつ、ちょっとした仮説をつくってみたりするのね。

 

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たとえば、どういうものがあるのかって考えるとさ、

 

「人前で話しをすることが苦手なの」って聞いてさ、「そうです、そうです」って言って、手を挙げてくれる生徒さんが多い学校って、比較的、講演や講座の時にね、ざわついたり、さわがしかったりするのね。

 

反対に、あまり手が挙がらない生徒さんが多い学校はね、講演や講座の時は、比較的、静かだったりするのね。

 

でね、ざわつくを⇒講演者の話を聞いていない、静まっているを⇒講演者の話を聞いているって仮定してさ、こんな感じのものをつくってみるわけ。

 

人前で話しをすることが苦手な生徒が多い ⇒ ざわつく ⇒ 話を聞いていない

人前で話しをすることが苦にならない生徒が多い ⇒静か ⇒ 話を聞いている

 

でさ、これを逆から考えてみたのね。

 

話を聞いていない ⇒ ざわつく ⇒ 人前で話しをすることが苦手

話を聞いている  ⇒ 静か   ⇒ 人前で話しをすることが苦にならない

 

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でここからさ、話しをすることが苦手な方ってね、大人も含めて、話しが苦手だから、話しが出来るように話し方のスキルや会話の組み立てとか、発音発生の仕方とか、スキル的なものを習ったり、人前に立った時には、あがらないようにメンタルトレーニングを学んだりするじゃない。

 

でもね、もしも、話しを静かに聞いている生徒さんほど、人前で話しをすることが苦にならないのであれば、もしも、周りの人とざわついて、相手の話しを聞けない生徒さんほど、人前で話しをすることが苦手なのであればさ、問題は、話し方やメンタルスキルの身につけることではなくて、人の話をうまく聞けるようになれば、人前で話しをすることが苦にならなくなるのではないかって思うのね。

 

なんだかよくわからなくなってきたけどね、言いたいことはね、“人の話を聞ける人ほど、人前で話すことは苦にならない”っていうこと。反対から言い直せば、"人前で話すことが苦にならなくなるには、人の話を聞く"っていうことね。だからさ、人前で話しが上手に、あるいは自然に出来るようになりたいのであれば、話し方のいろはを学ぶよりも、“聞き方のいろはを学んだ方が、話し方が上達するんじゃない”ってことなのね。

 

ほら、話し上手は聞き上手って言うでしょ。

 

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それともうひとつはね、ぼくは講演会や講座の時には、学校の生徒さんにもいろいろとお手伝いをお願いするのね。その時々で、やっていただくことは変わるんだけど、生徒さんにも何かを発表していただくことがるのね。その時にさ、スラスラと自分の思ったことや感じたことをお話しできる生徒さんてさ、確かにそういう話す能力をお持ちだと思うのね。



だけど一方でね、そういう能力に長けていなくても、話しをすることが出来る生徒さんもいるわけなのね。そういう時って、決まって、他の生徒さんが静まってさ、その発表者の話を聞こうとみなさんしているわけ。つまり、とっても静かで、聞く耳を立てて、聞こうとする態度がぼくにも伝わって来ちゃうような空間ていうか“場”が出来ているのね。

 

なにがいいたいのかって言うとね、「人前で話しをすることが苦手です」っていう人はさ、小中高校含めてさ、あなたが話しをしようと発表する時に、話を聞くはずの人たちがさ、しっかりとあなたの話しを聞こうという態度が取れていなかったんじゃないかなっていうことね。


 

教室がざわついていたり、発表するあなたに無関心だったり、あなたを見ずに、隣や周りの誰かと喋っている。そのことを無自覚にやっているから、そういうことをしている自分がそこにいるっていることにすら全然気が付いていない。そんなざわついている場所でさ、先生がいくら「さあ、元気に発表しよう」って言ったところでさ、発表する人あなたはさ、全然発表する気にすらならないじゃない。

 

そういう話を聞けない人を対象者にして話しをするってさ、とっても気分が萎えちゃうじゃない。おまけに、聞き手がざわついて、あなたの話しを聞こうとしていないのにもかかわらず、あなたは、「これは、自分の話しがつまらないから、みんな聞いてくれないんだ」とか、「ざわついているのは、自分に話しをする能力がないからだ」って、勝手に自分のせいなんだって思い込んじゃってさ、次の機会からは、もう人前で話しをしなくなっちゃうんじゃないかなって思うのね。

 

だからさ、人前で話すことが苦手っていう人はさ、自分が話しをする時にさ、自分の話しを黙って聞いてもらえていなかった、あるいは、騒がしくて、発表どころではなかった、っていう体験をしているんじゃないのかなって思うのね。


だってさ、自分が話しをしている時に、目の前の人が、隣り近所の人と雑談をしているって、ちょっとしたショックを受けるよね。それは、大人でもそうなんだから、子どもや、その過程にある思春期のただ中にある生徒さんならなおさらだよね。

 


話をすることが苦手ってね、実は自分の能力の問題ではなくて、話をする時の環境がよくなかったってこともあるんじゃないかなってことね。

 

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だからね、ぼくは、堂々と人前で自分の考えや思っていることを意見として伝えられるような人をつくろうとするならね、まずは、その人の話しを聞くっていうところから始めたらどうかなって思うのね。

 

自分の話しをさ、黙って聞き届けてもらえるってね、とっても嬉しい体験なんだよね。これはさ、ぼくも経験済だから、そうしたらいいのにな~っても思うわけね。


なにより人前でお話しが出来て、その話を聞き届けてもらえたっていう体験はさ、その人にとって、最高の自信になるんだからね。


変な話し、今のこどもたちは自分に自信がない、肯定できていないから、「こどもたちの自己肯定感を育てよう~」とか、「そのためには〇〇ることから始めましょう~」っていうことなんか一切いらなくなるくらいなんたんからさ。

 

大学を含め、学校の先生ってさ、良しあしは横に置いといて、この黙って自分の話しをたとえ生徒であっても、聞き届けてもらっているっていう体験をしているからさ、どんなにブラックって言われてもさ、やみつきになってしまう職業だと思うのね。

 

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もういくつかあるんだけれど、このあたりでまとめると、

 

話すことは聞くことだし、聞くことって話すことだよねってことね。話し上手は聞き上手っていう通り、聞き上手になることは、実は、話し上手になる一番の近道だし、聞くっていうことはさ、技術よりも自分自身の態度のことであるから、「自分はいつもどのような態度を取っているのだろう」って、自分自身をモニタリングしていることにもなるし、何よりも心の成長になるんだよね。

 

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心が成長するとさ、いろんないいことがあるんだけと、その一つに、他者の評価が気にならなくなるっていうのがあるのね。


けれども、人前で話しをすることが苦手な人ってさ、他人さまの評価をとても気にするじゃない。“自分の話しはどうなのかな”ってさ。するとどうなるかって言うと、評価されるくらいなら、だったら、“もう人前で話すことはや~めよ”って、なるじゃない。

 

なのでやっぱりさ、相手の話しを聞くってことから始めてさ、誰かに自分の話を聞き届けてもらってさ、心を成長させることが大切なんじゃないかなって思っちゃうのね。だからさ、今日からちょっとだけ、相手の話に耳を傾けてみるってどうかしらね。

  


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それを続けているとね、不思議なことに、今度はさ、「あなたの話しを聞かせてください」って、きっと言われ始めるからね。これがさ、あなたが好きだな~って思っている人から、そんな言葉をかけられたらさ、なんだか最高だと思わない。



もしもそう思うんだったらさ、まずは、相手の話しをしっかりと聞くことから始めてみてね。

 

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