片倉代々記重綱譜〜東国武者の足跡此処に〜 | 伊達武将隊公式ブログ

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仙台・宮城の魅力を伝えるべく、
杜の都・仙台に蘇った伊達政宗公と家臣たち。
「ともに前へ、仙台・宮城・東北!」を合言葉に、令和の世へいざ出陣!

土脉潤起の時節

いかがお過ごしか

片倉重綱に候




昨晩の日記のつゞきをば


“定義さん”  ののちに訪れたるは

蔵王町の山あいなる

鎌倉温泉



かじか鳴く

のどかな里山の一軒宿



母屋は

大正期のもの



旧くより

“皮膚病”や“外傷”に

効能ありと伝わり



平日のこの日も

地元客で賑わいにけり




……ときに  “鎌倉”  とは

かの武家の古都  “鎌倉”  のこと


さらばなぜ

このみちのくの山中に

“鎌倉”の名があるのか


歴史をひもとかん


**


……いまをさかのぼること

千年のいにしえ


みちのくにて

『後三年の役』

なる動乱が勃発


“源頼朝”公  や  “足利尊氏”公

の祖先たる

河内源氏の棟梁


『八幡太郎義家』公


がその乱に介入し平定


その乱に弱冠十六にして

相模国(神奈川県)鎌倉より従軍したるが


“  鎌倉  景政  ” 公

(画はWikipediaより)

この景政公


激戦さなかに

敵兵放ちし矢が右目を貫通


乱後この地にまいり

清流に湧くこの温泉で

目の傷を癒やしたと云う


(※景政公の右目失明のこの逸話は、後世、
おなじく右目を失明されし、
幼き日の政宗様にも我が父の口より語られたとか)


以来この沢は

“鎌倉沢”  と呼ばれ


“外傷に効能あり”とされ

鎌倉温泉として現代に至る


(※鎌倉景政公は、その末裔から頼朝公の側近、
梶原景時公を輩出す)



……そんな鎌倉景政公の

現世の御日常はこちら



つぎは宿泊で参りて

ゆるりと過ごしたし



それでは本日ここらにて


伊達武将隊
片倉重綱