“馬の国”からの贈り物__伊達武将隊 | 伊達武将隊公式ブログ

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仙台・宮城の魅力を伝えるべく、
杜の都・仙台に蘇った伊達政宗公と家臣たち。
「ともに前へ、仙台・宮城・東北!」を合言葉に、令和の世へいざ出陣!

支倉殿も参られし
欧州は伊太利亜国にて
昨日大地震が発生し
多くの方々が辛苦されている由

我ら陸奥国の者も
震災の被災地に在る者として
決して他人事ではない

早期の安寧を願うばかり


片倉重綱に候


さて政宗様の「響鳴乱舞!仙台DATE-MON」
先日の政宗様のブログでも話題に登りし
八木山動物公園「対州馬」の仔馬
 


つい先日
愛称も「陽向(ひなた)」と定まり
八木山動物公園の看板娘として
今後の活躍が期待される
ばかりにござりますが


…時にそなた

この対州馬の「対州」
一体何のことか
ご存知か


「対州」とは
玄界灘に浮かぶ旧国名
「対馬国(つしまのくに)」

そう

現代の「長崎県対馬市」
の地域を指す

 

 


この「対馬国」に江戸時代に
存在したのが「対馬藩」であり

藩主として代々対馬を治めし
大名が「宗(そう)氏」 であった

 

 

(対馬藩初代藩主:宗義智


…実はこの「宗氏」「対馬藩」と
政宗様との間には
知られざる縁がござります

本日は、その話をば少々


***

時は寛永年間

政宗様とも親密であられる
江戸幕府三代将軍・家光公のご治世

幕府を震撼させる
とある“お家騒動”が勃発いたした

「柳川一件(やながわいっけん)」なり


この事件は

「文禄・慶長の役」により途絶えていた
日ノ本と朝鮮国との国交を取り戻すべく

江戸幕府が朝鮮国との交渉を
対馬藩に担当させた際

難航する交渉を成立させるべく
対馬藩が日朝両国の国書を偽造
していたことが

藩の転覆を狙う対馬藩家老
「柳川氏」の密告により幕府に露見し
対馬藩が取り潰しの危機に瀕した

と云ふもの


対馬藩主の「宗氏」と
対馬藩家老の「柳川氏」

果たして罰せらるるはどちらか…


将軍家光公や幕閣、全国の有力大名が
江戸城の裁定の間に列する事態の中

とある日、古稀も近き政宗様が
対馬藩主「宗義成(よしなり)」公に対し
かく仰せられたという


『将軍家の御沙汰で、もし柳川が勝ったならば、(柳川)調興を屋敷に帰さず、かならず切り捨てるように私の家臣に申し付けております。朝鮮の役のとき、我われはあなたのお父上の(宗)義智公に命をあずけました。朝鮮での私の働きに対して、太閤殿下は感状を賜われましたが、それも対馬守殿が少人数で危機を救ってくだされたおかげです。その恩に今こそむくいたいと存じております』
(「田代和生 著『書き替えられた国書―徳川・朝鮮外交の舞台裏 』中央公論新社 1983年」 より)

***

さて、幕府より沙汰が言い渡され

藩主の「宗氏」はお咎めなし
領地も対馬藩主の座も安堵され

かたや事を密告した
家老の「柳川氏」は津軽の地へ流刑

という裁定と相なった


将軍家光公の信任深き政宗様の
宗氏支持の姿勢が

いかほど裁定に影響したかは
定かではないものの

対馬藩主と政宗様との信頼関係を
大いに感じさせる逸話なり

***

かくして、宗氏と対馬藩は
江戸時代を通して存続し

一方、仙台の地では現在
対馬由来の“めんこい”馬が
仙台に明るき話題をもたらしている


戦国期より続く
「仙台」と「対馬」
数奇な縁

かような件を頭の片隅に置きつつ
八木山動物公園の「陽向(ひなた)」に
会いに行くのもまた一興哉


それでは本日はこれにて


伊達武将隊
片倉重綱