こんにちは

元小学校教師の中楯浩太です。(※中楯浩太のプロフィールは、こちらです!



移住してからというもの、あっても使わなくなったものがいくつもあって、驚いています。

 

 

その代表!

 

《テレビ》

 

幼い頃から、テレビっ子の私。

 

それが今では、ほとんど見ない生活に。

 

理由は、なんてことはなくて、「見ないのが普通だから…」

 

生活環境の変化は面白い。

 

唯一、息子たちと見ているのは、日曜日の朝放送している『ワンピース』くらい。

 

我が道を行く感じで大好きだった「テレビ東京」も、こちらでは見られず、ほんの少し悲しい。


でも、テレビがついていない分、ゆったりとした豊かな時間が過ごせている気がするなぁ。

 

 

《自転車》

 

クルマ社会だとは話では聞いていたけれど、ここまでとは!

 

それでも、東京にいたころのように、自転車に乗ってみた。

 

 

3分もしないうちに息が切れた。

 

標高800m、起伏が激しく、楽しくない・・・。

 

冬になると道路も凍結するらしい。

 

当分、乗らなくなりそうだなぁ。

 

 

《Suica(スイカ)》

 

もうこれは、全く使わない。

 

東京にいたころ、なけなしのお金で結構な大金をチャージしたのに・・・。

 

どこで使えるのか教えてぇ~

 

 

その他にも、固定電話、コンタクトレンズ、コンビニ、自動販売機、バス、電車・・・ほぼ使わなくなりました。

 

こうして、環境の変化とともに、ライフスタイルって変わっていくんだなぁ、としみじみ。

 

 

 

さて、使わなくなったと言えば、

 

スマホの通話機能もほとんど使っていません。

 

 

先日、そんなスマホの電話が、突然けたたましく鳴り響きました。

 

取り込み中で、出られなかったのですが、その音が

 

ただ事でない!

 

何かを知らせようとしていることは、直感で分かりました。

 

その音から興奮のようなものが伝わってきたからです。

 

 

時間を置かずに、すぐにかけ直しました。

 

するとやはり、相手の方もすぐに電話に出ます。

 

 

 

「どうした、どうした?」

 

「さっき、研究授業が終わったんですっっ!」

 

声が上ずって、興奮したような息遣いが聞こえてきます。

 

「そうかぁ、それは、お疲れ様だったね。どうだったの?」

 

「もう、ワクワクしてます。すごいよかったです。」

 

やはり、喜びの電話でした。

 

「それは、よかったねぇ。やったじゃん。」

 

どうやら、その日に行われた研究授業で、何か確かな手ごたえがあったようなのです!

 

お互いの喜びのやりとりが止まりません。


 

 

 

それというのも、私が受けた電話の相手は、数か月前から継続的に、コーチングをしていた先生だったからです。

 

 

※ご本人から了承を得られたので、紹介させていただいています。

 

4月当初。

 

東京の市部から区部への初異動。

 

異動をして職場環境が変わることは、どんなベテランでも、なかなか負担が大きいですよね。

 

まだ20代の彼は、初めての経験。

 

しかも、東京の区部と市部とでは、様子が全く異なります。

 

彼は、その環境の変化に戸惑っていました。

 

最初のコーチングでは、思いがたまりにたまっていたようで、せきを切ったように言葉と感情があふれだしました。

 

本当に苦しかったようです。

 

地域の環境が違うと、子どもの様子、保護者の対応、職場の雰囲気がこうも違うものかと、戸惑いを隠し切れませんでした。

 

それが、負担となり体に異変として表れていたころ、

 

 

ちょうど1回目のセッションだったのです。

 

このタイミングで話が聴けて本当によかったと、今でも思います。

 

彼の抱える苦悩は、あまりに大きく、それをすべて待っ正面から受け止めることは、得策ではないと思いました。

 

彼は、「もっと職員室で気軽に子どもの話がしたいんだけどなぁ・・・」という願いをもっていました。

 

というのは、職員室では、授業の進度をそろえることや事務連絡的なやり取りはあっても、

 

授業の内容や子どもが学ぶ様子などは、一切話題に上がらないのだそうです。

 

 

 

一緒に考えながら、次のような解決策を見出しました。

 

「職員室から離れて、休み時間はしっかり休む。」

 

「そして、職場の先生とのんびり語り合う。」

 

たったこれだけです。

 

 

でも、その時の彼にとっては、何よりも大切なことだったのかもしれません。

 

 

 


以前、パーソルグループのオンラインセミナーに参加した際、

 

「はたらく人の幸せの7因子/不幸せの7因子」が報告されていました。

 

【はたらく人の幸せの7因子】

 

 

自己成長(新たな学び)

 

リフレッシュ(ほっと一息)

 

チームワーク(ともに歩む)

 

他者承認(見てもらえている)

 

他者貢献(誰かのため)

 

自己裁量(マイペース)

 

役割認識(自分ゴト)

 

 

 

【はたらく人の不幸せ7因子】

 

 

自己抑圧(自分なんて)

 

理不尽(ハラスメント)

 

協働不全(職場バラバラ)

 

不快空間(環境イヤイヤ)

 

評価不満(報われない)

 

疎外感(ひとりぼっち)

 

オーバーワーク(ヘトヘト)

 

あなたの職場・あなたの働き方はいかがですか?

 

きっと、彼にとっては、疎外感(ひとりぼっち)不快空間(環境イヤイヤ)を感じていて、

 

まずは、リフレッシュ(ほっと一息)を求めていたのかもしれません。

 

 

 

この先生の小さな小さな一歩が、その後、どのような展開を見せるのかは、また次回ご紹介します。

 

 

 

※そう言えば、使わなくなったもの、まだありました・・・教師時代の「大きな声」💦

 

先生という仕事は、本当にエネルギーを使いますよね。

 

放課後、子どもが帰ると、どっと疲れが出て、眠たくなったものです。

 


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こんにちは

元小学校教師の中楯浩太です。(※中楯浩太のプロフィールは、こちらです!




先日、妻の実家に帰ると、義母がなにやら熱心にテレビを見てます。

 

(何を見ているのかなぁ~?)

 

テレビをのぞいていて見ると・・・将棋!?

 

 

(へぇ~興味あるんだぁ~?)

 

すると、何やらつぶやき始めます。

 

「あらぁ~!藤井さんもう勝ちそうじゃない!」

 

(えっ!画面をパッと見るだけで分かっちゃうの?すごい!)

 

そして画面に示された「数字」を読んでいます。

 

それが、驚いたのなんのって!時代がここまで進んでいるとは!

 

まさに、AIの進化です。

 

なんと!! テレビ画面上に、次の一手は、何通りのパターンが考えられて、その中から最善の手がどれなのかを予想し、具体的に選択肢で示されるのです。

 

試合の途中でしたが、その時は30億通りあると示されてます💦

 

しかもしかも、挙句の果てには、現在の状況では、どちらがどれくらいの勝率なのか数字がはっきりと示されているではありませんか!

 

しかも一手打つごとに、その勝率が変化するんです。

 

(『Yahoo!ニュース』より)

 

その時、藤井さんの勝率予想は90%が表示されていました。

 

時代は、ここまで進んでいたのかぁ~。

 

AIおそるべし!

 

藤井聡太さんおそるべし!

 

それをちゃっかり使いこなす義母恐るべし!

 

 

 

さて、私がここで注目したいのは、藤井さんのインタビュー。

 

次のように質問されます。

 

「記録や数字、段位とか、勝負の世界に生きるものであったら、誰もが追い求めるのに、藤井さんはあまり興味を示されないかと思います。それはどうしてでしょう?」

 

なんて答えると思いますか?

 

 

 

 

 

結果ばかり求めていると、

 

それが出ないときに、

 

モチベーションを維持するのが難しくなってしまう。

 

内容を重視して、

 

一局指すごとに新しい発見をして改善するというのが、

 

モチベーションにつながると思ってます。

 

さすが、藤井さん!すでに人生の大先輩の風格が漂ってます💦

 

 

 

よく、プロの世界では、「結果がすべて」という言い方をしますよね。

 

それだけ、過酷な世界なのでしょう。

 

 

 

ただ、教育現場では「結果より過程」が大切にされます。

 

つまり、藤井さんの言う「内容」ですね。

 

このことについて最近、特に思うことがあります。

 

 


教師2年目、初めての高学年を担任した時のことです。

 

私もやはり、「結果よりも過程が大切」という価値観を前面に押し出していました。

 

「どんどん失敗をしようね!」という意味を込めていたつもりです。


口数は少ないけれど、いつも真面目に一生懸命頑張る女の子がいました。

 

定期的に実施している漢字のミニテストに向けても、

 

コツコツと練習に取り組むので、毎回満点です。

 

「毎回満点を取るなんて、すごいね。」と声をかけると、はにかんでいます。

 

その時は、(きっと褒められて、照れくさいんだろうな)と思っていました。

 

相変わらず、その子は頑張り続けました。

 

その学期の終わりに、振り返りを書きました。

 

すると、彼女はこう書いてきたのです。

 

「先生は、いつも結果よりも過程が大切だと言っていました。

 

でも、漢字のミニテストでは、合格点や満点を取ること褒めていました。

 

なんだかんだ言っても、結局は「過程よりも結果」なんだと思いました。

 

先生は、言っていることとやっていることが違います」と💦

 

鋭い・・・厳しい・・・さすが、高学年女子!

 

冷や汗しか出ません💦

 

彼女は、自分は満点を取り続けていたとしても、大人の矛盾に納得がいかなかったのでしょう。

 

でもこれは、私にとって、とても大切なメッセージでした。

 

 

 

ここで、あなたと一緒に考えたいことがあります。

 

「結果よりも過程」の「過程」について。

 

例えば、この子は漢字の練習をしているとします。

 

 

数日後のミニテストの結果は、満点だったとしましょう。

 

あなたなら、どう声をかけますか?

 

 

 

 

 

 

「すごい!満点だったんだね、やったね~。」

 

「さすが、〇〇ちゃん。できるって信じてたよ。」

 

「よくがんばったね。次もがんばってね。」

 

どの言葉もマイナスな言葉ではないですよね。

 

でも、なんかモヤモヤしませんか?

 

 

 

「過程が大切」って、私たち大人は頭では分かっているし、言葉では簡単に言えちゃうんですよね。

 

でも、「結果」は見えやすいのに対して、「過程」は見えにくい

 

上の写真の子どもの様子を見ていても、そこにどんな「過程」があったのかなんて、よく分かりませんよね?

 

 

 

「見えにくいこと」については、「言いにくい」から、

 

ついつい「見えやすくて、言いやすい」ことばかりに着目して、声をかけてしまいがち。

 

すると、当時の私のように「そんなつもりはなくても・・・」という言葉が出てきちゃいます。

 

つまり、教師は、どんなまなざし、どんな解像度で、「その子の過程」をとらえることができるのか。

 

それが、問われているのかもしれません。

 

それによって、かけてあげられる言葉も全然違ってくるんだろうなぁと思っています。

 

あえて、特別な声はかけない…という選択肢ももちろんありますよね。

 

 

 

そんな時こそ、「非認知能力」という眼鏡を当時からもっていたらなぁなんて思うんです。

 

 

以前も『非認知能力って知ってますか?』のテーマでも触れました。

 

岡山大学の中山芳一先生が、いくつもの「非認知能力」を、大きく次の3つに整理してくださいました。

 

「自分と向き合う力」

 

「自分を高める力」

 

「人とつながる力」

 

もし、私が「自分と向き合う力」の眼鏡をもっていたら

 

例えば、先ほどの子どもが・・・

 

◆とても見たいテレビ番組があったのに、この時間内に練習を済ませておきたい」という気持ちで取り組んでいたとしたら・・・

 

➔「自分をよくコントロールできているね(=自制心)」と声をかけられるかもしれません。

 

 

◆前回、納得がいくような結果ではなく、とても落ち込んで、やる気をなくしていたのに、気持ちを切り替えて取り組んでいたとしたら・・・

 

➔「あれだけ落ち込んでいたのに、自分で気持ちを切り替えて、またチャレンジしようとしているんだね(=レジリエンス・回復力)」と声をかけられるかもしれません。

 

 

 

もし、私が「自分を高める力」の眼鏡をもっていたら

 

◆何度もノートに漢字の練習をしています。

 

よく見ると、まだ習っていない漢字まで調べて書いているとしたら・・・

 

➔「テストに出る漢字だけじゃなくて、他の漢字にも興味をもって、自分で調べているんだね。

 

そんな難しい漢字、先生も書けないよ(=向上心)」

 

と声をかけられるかもしれません。

 

 

 

もし、私が「他者とつながる力」の眼鏡をもっていたら

 

◆漢字を全て練習するのではなく、ポイントに注意しながら、いくつかの文字を選んで練習している場面を見て。

 

「どうしてそういう取り組み方しているの?」と聞くと、「漢字が得意な友達が、この漢字は間違えやすいよって教えてくれたんだ」と答えたとしたら・・・

 

➔「得意な友達から、効果的な学び方を教えてもらったんだね。

 

すてきな友達がいて、ありがたいね。(=コミュニケーション力)」と

 

声をかけられるかもしれません。

 

 

いかがですか?

 

これは、ほんの一例ですが、以前の私のように、「結果よりも過程」を言葉だけで終わらせないために、

 

「過程」を見る眼鏡として、「非認知能力」は生かせまんか?

 

 

 

※それにしても、先ほどの藤井聡太さんの発言。「非認知能力」の宝庫。そんな目で、もう一度読んでみてくださいね。

 

 


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こんにちは

元小学校教師の中楯浩太です。(※中楯浩太のプロフィールは、こちらです!



先日、ワクワクすることがありました💖

 

それが、これです!

 



分かりますか?

 

待ちに待っていた《ウッドデッキ》が設置されたのです。

 

工事に来てくださった方が、とってもさわやかで、ニッコニコしてます。

 

感謝の思いを伝えたくて、話しかけます。

 

「本当にありがとうございます。すごく楽しみにしてたんです。」

 

「いえいえ、こちらこそ」

 

そして、あまりに手際がよいので、

 

「この作業に何日くらいかかるんですか?」と聞くと

 

「今日できますよ」

 

「えっ~~~~~~~!?たったの1日でできちゃうんですかぁ?」

 

「そうですね。もうかなりやらせてもらってるんで」そして、ここでさわやかにニコッと。

 

ステキすぎる💖

 

 

 

そこで思わずいろんなことを聴きたくなってしまうのが、昔からの私の性格。

 

「どの作業が一番大変なんですか?」と聞くと

 

「そうですね。やっぱり、土台の部分ですね」

 

「どうして、土台が大変なんですか?」

 

「機械を使って、正確に、少しも曲がらないように計算して設置するんですよ。土台がしっかりしてないと、今取り付けてるところも曲がってしまいますからね。」

工事の方のさわやかさと手際のよさ、そして念願のウッドデッキに幸せを感じました。

 



さてさて、このやりとりでも(やっぱりそうだよねぇ~)と、妙に納得したことがありました。

 

それは「土台」

 

何事においても「土台は大切」とは言いますが、やはりウッドデッキでも土台づくりが最重要なんだなぁ。

 

 

 

では、教育にとって、土台とは?

 

胎教だったりするのかなぁ?

 

生まれたときの親子関係かなぁ?

 

幼少期の遊びかなぁ?

 

学校での友達関係かなぁ?

 

小学校での教科学習かなぁ?

 

義務教育の全てかなぁ?

 

な~んて考えていくと、そのどれもが次につながる土台のように思えてきますね。

 

教育の世界では、《基礎基本》という言葉でよく言われますよね。

 

昔、まだ教師駆け出しだった頃、私の教室に尊敬する大先輩がやって来て話してくれたことがありました。

 

「いいかい、小学校は英語で何て言うか知ってる?

 

elementary schoolっていうんだよ。

 

つまり、《基本》ということ。

 

だから、小学校では徹底的に基本を大切にするんだよ」と。

 

なるほど、と思ったものです。

 

 

 

ただ、これについて今は、とっても思うことがあるんです。

 

それは、

 

「土台は大事。

 

だから、徹底的にたたき込む。

 

意味なんて分からなくてもいいから、

 

いつか分かるときが来るから、

 

とにかく幼いうちに身に付けさせておくべきだ。」

 

という考え方です。

 

若い頃は、きっとそうなんだろうと信じて、土台だと思う学びを徹底してきたものです。

 

詩の暗唱、音読、百ます計算、漢字、挨拶、遊び 等々

 

宿題も、(子どもたちの土台づくりのためになる!)と信じて、それはそれはたくさん出していました・・・。

 

 

身に付けるのが得意な子は、少しずつでもできるようになると、達成感があるので、さらにやる気が加速します。


ただ、なかなか身に付かない子どもたちは、

 

人と比べ、やる気と自信をなくし、どれだけ苦しく、悲しい思いをしたことか。

 

また、この過程で、本来子どもたちがもっている「心がワクワクするような楽しい学び」の世界から、

 

どれだけ遠ざけられてしまったことか。

 

気が付くと、「心がワクワクするような楽しいことが学び」なのではなく、

 

「意味は分からなくても徹底的に反復練習で覚え、身に付けることが勉強」なんだと、思わされていきます。

 

「ワクワクの学び」から、「イヤイヤな勉強」へ

 

 

そんな日本の教育の在り方に対して、京都芸術大学の副学長の本間正人さんは、次のように提唱しています。

 

「勉強は辛い」から「学びは楽しい」へ

 

「最終学歴」から「最新学習歴」へ

 

「教育学」から「学習学」へ

 

土台は確かに大切。

 

だからこそ、その段階から「ワクワクする学び」になるように挑戦する、多くの先生たちを支えていきたいと思ってます。

 

 

 

もう1つは、教育の土台の前に、もっと大切な土台があるんじゃないかな?って

 

ず~~~っと思ってて。

 

それは、「人としての土台」

 

そのことについては、私がコーチングの師として仰いでいる野口嘉則さんの書いた、大好きな一冊『「これでいい」と心から思える生き方』の冒頭に、次のように書いてあります。

 

私はかつて、心から満足できる人生を実現すべく、

 

さまざまな自己啓発書を読み漁って行動に移しましたが、

 

それでも自分に自信が持てず、行動は空回りするばかりでした。

 

 

やがて私は大切なことに気づきました。

 

立派な建物を建てるためには、

 

まず基礎工事をしっかりやる必要があるように、

 

心から満足できる人生を実現するためには、

 

まず自分という人間の土台を確立する必要があったのです。

 

 

自分という人間の土台を確立すれば、本来の力を発揮できます。

 

そのための生き方を本書でお伝えします。

 

では、「自分という人間の土台」って何なんだ?

 

詳しいことは、是非本を読んでほしいと思いますが、

 

あえて一言でいうならば、

 

「どんな自分であっても、自分は自分で大丈夫」

 

と自然と思える心の状態のことだと、私は解釈しています。

 

 

「意味は分からなくても徹底的に反復練習で覚え、身に付ける勉強」を繰り返していて、

 

「自分という人間の土台」が確立するようには、私には残念ながら思えませんでした。

 

むしろ、「自分は自分で大丈夫」という心の働きにふたをして、心の奥底に沈み込ませてしまっていたような気さえします。

 

 

 

あなたの「自分の土台」(=どんな自分であっても、自分は大丈夫)は、いまどんな状態ですか?

 

私の場合も、数年かけて少しずつ、つくられてきた確かな実感があります。

 

 

「自己受容」、「自己肯定感」などと言ってもいいのかもしれません。

 

現場でがんばる先生たちが、「子どもの土台づくり」を支えられるように、

 

私は、「現場の先生たちの土台づくり」を支えたいと考え、コーチングを続けています。

 

先生たちが「自分軸をもって、自分らしく生きられる」ように

 

これからも、まずは先生と一緒に、「土台づくり」の歩みを進めていきたいと思っています。

 

 

 

※あいにくの梅雨空ですが、出来上がったウッドデッキで寝転がりながら、はやく子どもたちと星空を眺めたいなぁ~と夢見てます。

 

 


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こんにちは 

 

元小学校教師の中楯浩太です。(※中楯浩太のプロフィールは、こちらです!

 

 

 

先日、移住後初めて東京に行きました。

 

先生たちを支えるためにも、(学校現場を外の視点から見てみたい)と思い、教師仲間に声をかけてみました。

 

すると、緊急事態宣言解除後ということもあり、いくつかの学校が快く受け入れてくださいました。

 

 

久々の学校、朝の通勤ラッシュ、しかも部外者としての訪問。

 

(学校って、こんなに緊張する場所だったんだなぁ・・・見えない壁を感じる・・・)初めて味わう感覚です。

 

 

 

緊張の中、校長室に挨拶をしに行くと

 

 

「朝ごはんは食べた?」と校長先生に聞かれ、

 

「いえ、まだ食べてません」と答えると、

 

「じゃあ、まあ座ってよ。ドーナツがあるから、ゆっくり食べてから校内をまわろうか」と、声をかけてくれました。

 

なんと!!

 

 

机の上に、コーヒーとドーナツ

 

しかも!! 

 

元同僚の副校長先生が、(きっと朝ご飯を食べてこないだろうから)と、前日の夜遅くに帰宅した後、わざわざ作って持ってきてくれたのだそうです。

 

人の温かさとドーナツの美味しさが、身に染みわたったのでした。
 

 

 

さて、ドーナツと言えば、「学びのドーナツ論」って知っていますか?

 

佐伯胖さんの『「学ぶ」ということの意味』で紹介されていた内容は、とても興味深いのです。

 

下のドーナツのような二重円。

 

 

あくまでも、私なりの解釈ですが、簡単に言うと、中心の「I」は子どもの世界、「YOU」は教師の世界、「THEY」は実社会ととらえられます。

 

子どもは「学び」を通して、世界をどんどん広げていくことを表しています。

 

内側の円=「第一接面」は、子どもと教師との間をつなぎ、「学び」のきっかけとなる「交流」や「教材」を表しています。

 

 

私たち教師は、「学び」にとって、その「第一接面」の大切さを実感しているので、

 

「温かいかかわりで信頼関係を築きたい」

 

「安心して居心地のよい学級経営をしたい」

 

「知的好奇心をくすぐって、子どもが食いつくような教材を用意したい」

 

「互いの考えを交わしながら、学びが深まるような授業を展開したい」

 

と願って、一生懸命頑張っているのだと思います。

 

 

ただ、ここで、佐伯さんは、「第一接面」ばかりを重視しすぎてませんか?と、興味深い示唆を与えてくれます。

 

 

第一接面ばかりを重視すると、ただ「先生と私」との親密さ、あるいは「私たち」の仲間意識の高揚ばかりに気を取られて、「さらに外側(THEY)へ向かう目」が育たなくなる。

 

と言うのです。

 

 

 

「親密になって、仲間意識が高まる」、これの何が問題なのでしょうか?

 

さらにこう続きます。

 

少し長いのですが、引用しますね。

 

その結果、教室内だけで通用する言葉やルールができあがり、結果的には、一見「仲のよい」「まとまりのよい」「生き生きとした」教室にはなるが、実は心の深いところでは閉鎖的で排他的な集団ができあがってしまい、新参者の参入を嫌う。お互いに所属意識は強くなるが、本当の自分はむしろ抑圧されて(ほとんど意識にさえのぼらない)、「相手に合わせる」「集団に合わせる」行為が優先し、自分の独自のこだわりや、腑に落ちないことの表明などができなくなる。人々は親しげにふるまいながらも、「こんなことを言うとヘンに思われないか」という恐れを心の底に抱いており、いつも周りに気を配るようになる。

 

読んでみていかがですか?

 

思い当たる節はありますか?

 

私は、とても考えさせられました。

 

 

担任の授業ではないときに、子どもの学ぶ姿が全然違っていたり・・・

 

担任が出張で学校を離れると、必ずと言っていいほど何か問題が起こったり・・・

 

クラス替えをすると、「前の方がよかった」と、新しい担任やクラスになかなかなじめなかったり・・・

 

小学校を卒業した進学先で、環境の変化への適応が難しかったり・・・

 

担任の色にただ染めてしまっているだけなのに、それをいいクラスだと思い込んでしまっていたのかもしれない・・・

 

 

これまでの自分の教師としての在り方を見つめ直すきっかけになりました。

 

 

私たちは無意識のうちに、いわゆる「いいクラス」を目指し、「いい先生」になろうとします。

 

これは、決して悪いことだとは思いません。

 

ただ、この「第一接面」ばかり重視すると、このような結果を招くことは、本当によくあることだなぁと実感しています。

 

 

では、どうとらえたらよいのでしょうか?

 

そこで、登場するのが外側の円=「第二接面」です。

 

もう一つ「外の世界(THEY)と対峙していく、つまり第二接面での交流を行き先として常に意識し、見つめていながら、互いが安心してうちとけるのが理想である。つまり、みんなが「お互い」を見つめ合うのではなく、「外」をともに見つめるという関係で、はじめて本来のYOU的世界(※自分事の世界)がつくりだされるのだ。 ※私の解釈です。

(略)

教師自身が常に学び続けており、現実の文化的実践に深く関与していて、それらの価値・意義・大切さを子どもたちにかいま見させる力量を身に付けているか。

 

 

私なりに、次のように解釈しています。

 

 

子どもとの温かなかかわりの中から生まれる楽しい学びはとても大切。

 

ただ、それがクラス内、学校内だけに閉じられた学びではいけないよ。

 

教師自身が、外の世界とつながりながら学び続けること。

 

 

子どもがその世界に憧れ、素晴らしさを味わえるようなきっかけづくりを、教師は楽しみながらしていこう。

 

という、メッセージだと思って受け止めています。

 

 

 

※冒頭に登場した元同僚は、プロ並みの「料理作り」という世界をもっていて、「ドーナツ」を通して、私にその世界の魅力を味わわせてくれたのかもしれませんね。本当に、ごちそうさまでした。

 

 

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こんにちは

元小学校教師の中楯浩太です。(※中楯浩太のプロフィールは、こちらです!

 

 

先日、子どもたちを車で学校に送るとき、定番の遊びをしました。

 

ナンバープレートの数字を足したり、引いたり、かけたり、割ったりして「10」にする遊びです。

 

よく電車の切符に書いてある4ケタの数字でやったりしませんでしたか?

 

 

ルールもシンプルだし、スッキリして楽しいですよね。

 

 

ただ、ひとつ「あれっ?」と思うことがあって・・・。

 

それは、実際に数字を見ながら考えると割と簡単に10を作れるんですが、その車が見えなくなって頭の中だけで、計算するとなると・・・。

 

さっきまで、あれほど簡単だったのに、割と難しくなって、なかなか10が作れなくなってしまって。

 

「見えると見えない」でこんなに違うの💦

 

 

さて、「見える・見えない」と言えば、教育の世界にも、昔からこんな言葉があります。

 

「見える学力と見えない学力」

 

私がこの言葉に最初に触れたのは、教師駆け出しの20年ほど前。

 

 

当時、基礎学力を身に付けさせるにはどうしたらよいのだろうという問題意識がありました。

 

そんな中で、手にした一冊が岸本裕史さんの『見える学力、見えない学力』

 

「先行体験」「言語環境」「遊び」「しつけ」が、そのキーワードでした。

 

その時は、(目には見えないけど、基礎学力を支える「見えない学力」なんていうとらえ方があるんだなぁ)と興味をもったものです。

 

 

数年経つと、私の関心が、基礎学力以上に「その子らしい学び」や「チームによるクリエイティブな学び」に移りました。

 

面白いもので、関心というアンテナが張ると、情報は次々飛び込んでくるものです。

 

そんな中で、手にした一冊が木村泰子さんの『10年後の子どもに必要な「見えない学力」の育て方』でした。

 

ここでのとらえ方は、先ほどとは異なります。

見える学力は点数で分かる学力ですが、テストで100点をとっても、それだけでは「多様性」「共生」「想定外」の社会は生きていけません。

 

(略)

 

そこで学力をごまかさないで、「見える学力」と「見えない学力」に分けたんです。

 

と、正解などない10年後の世界で生きて働く力として、「見えない学力」を位置付けます。

 

そして、小学校の先生たちが、徹底的に語り合った末、集約されたのが次の4つの力だったのです。

 

「人を大切にする力」

「自分の考えをもつ力」

「自分を表現する力」

「チャレンジする力」

(略)

この見えない学力は、子ども同士の関係の中でしか育ちません。

 

どうですか?ドキリとしませんか?

 

私たち大人たちが、子どもだった頃・・・

 

「自分を大切にする力」なんて、社会全体で気にもしていなかったような。

 

では、私の教師時代はどうだったんだろう?

 

子どもが「自分のことを大切にする力」を育めるような環境は、整えてあげられてはいない気がします。

 

その結果なのかは分かりませんし、そんなに単純なものではないとは思います。

 

でも、ここまで「自己肯定感」が低い国民になってしまったことと、無関係ではないような気がしてなりません。

 

 

私たちは、「見える方が分かりやすい」から、ついつい「見える方ばかり」に意識が向きがちですよね。

 

テストの点数が高い、授業中よく発言する、運動が得意など・・・

 

そしてそれは、見えやすいから、すぐに比較と評価の材料になってしまいます。

 

 

 

もしもこれが、「自分を大切にする力」とは反対に、自信を失うきっかけをつくってしまっているのだとしたら・・・

 

 

その子らしい学びって何だろう?

 

その子らしく育つって何だろう?

 

 

目に見えない学力にも、目を向けていきたいなぁと思っています。

 

 

※移住してから、隣のお宅の愛犬とお散歩をさせてもらうようになりました。

 

親ではない大人に大切にされ、飼ったことのない動物と触れ合い、地域の畑を借りた菜園を散歩し、いったいどんな「見えない学力」がつくんだろうな?と感謝の気持ちでいっぱいです💖

 

 

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