※2024年1月6日訪問※
二本松城を見学し、城跡の南西部に新たに建てられた【にほんまつ城報館】に向かって歩いていると、広大な芝生の平場に案内板を発見![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
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藩校「敬学舘」
藩校とは各藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校である。
二本松藩においても、9代藩主丹羽長富の代の文化14年(1817)、藩校敬学館が城の正面のこの地に整備された。
素読や儒学、礼法などを教える文学校と馬術、槍術、剣術などを取り扱う武術校をまとめたもので、慶応4年(1868)の戊辰戦争で焼失するまでは、二本松少年隊として出陣した少年たちもここで勉学に励んだと思われる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240127/21/date-kyo0625/16/6f/j/o1080081015394393136.jpg?caw=800)
調査の結果、灯明具が大量に出土する東西に長い建造物、いわゆる“校舎“が発見された。
さらに箕輪門前の通路幅が9間(約16.2m)であることが確認され城跡正面にふさわしい空間が確保されていたことがわかった。
現在ここで使われた教科書1474冊が残されており、市の有形文化財に指定されている。
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という事で、今回の二本松城跡散策はここまでとなります![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
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初めて二本松城を訪れた際には、山頂の乙森跡から本丸の高石垣~日影の井戸~蔵屋敷跡~三ノ丸跡~箕輪門~旧二本松藩戒石銘碑~大手門跡と城の中心部を見て回り、今回は本町谷御庭跡~洗心亭~本宮舘跡~搦手門跡~新城舘跡~堀切~空堀~土塁~煙硝蔵跡~松森館跡~城内路~元坂御殿跡~大手道~遠裡門跡と、二本松城の西側と北側の遺構を散策する事が出来ました![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
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山頂部・山麓部合わせて、非常に広大な面積を誇る二本松城🏯
奥州屈指の交通の要所として、各時代毎に重要視されていた事が良くわかりますね✨