※2024年1月6日訪問※
新城舘跡から搦手門跡を経由して本丸へと登って行きます
途中に見えてくる巨大な石碑は【奥州探題畠山氏居城 霞ヶ城址碑】です
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天正14年(1586年)、伊達政宗によって畠山氏は二本松城を追われ、蘆名義広を頼った畠山義綱でしたが、その蘆名義広も政宗に滅ぼされ、義広と共に佐竹氏を頼るも常陸国江戸崎で義広に殺害され、二本松氏の嫡流は滅亡。
義綱の弟・義孝が二本松氏を称し、慶安元年(1648年)に徳川氏譜代の岡崎藩主水野忠善に仕えると、二本松氏はこれ以後水野家の重臣となり、岡崎・唐津・浜松・山形と水野家の転封に従い、今日まで家名を伝えています✨
◆陸奥国・二本松城(霞ヶ城) 堀切/国指定史跡◆に続く