▲陸奥国・巨邦山大隣寺(二本松市) 二本松藩主丹羽氏墓所(初代・光重)/二本松市指定史跡▲ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2024年1月6日訪問※


二本松藩初代藩主【丹羽光重の墓所】です音譜


【初代 光重公】

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丹羽 光重(にわ みつしげ)は、江戸時代前期の大名。

陸奥国白河藩の第2代藩主。後に陸奥二本松藩初代藩主。官位は従四位下・左京大夫、侍従。

元和7年12月28日(1622年2月8日)、丹羽長重の三男として誕生。幼名は宮松丸。

2人の異母兄が共に夭逝したため、寛永5年(1628年)に嫡子となる。

寛永11年(1634年)12月19日、3代将軍・徳川家光より偏諱を賜って光重と名乗る。また、従五位下左京亮に叙任する。

寛永14年(1637年)4月、父・長重の死去により白河藩主となる。

寛永19年12月晦日、従四位下に昇進する。 

寛永20年(1643年)7月4日、陸奥安達郡、安積郡へ移封されて、二本松に居城を構え、二本松藩初代藩主となる。また、陸奥国田村郡の幕領1万5360石を預けられる。

正保元年(1644年)4月10日、初めて二本松へお国入りする許可を得る。

国替えに伴い藩の諸制度を定め、城郭や道路・城下町の大規模な整備事業を行った。

光重は文化人としても知られ、茶道を石州流の片桐貞昌に学んで奥義を極めたり、絵画を狩野益信や狩野常信に学んで狩野派画風の作品を描いたり、また華道や書道にも造詣が深かった。

他にも高野山や萬福寺の僧侶を招請し、後者に「烈祖図」や「十六羅漢図」を寄進する(共に現存)など、仏教や学問の普及に努めた。

万治元年(1658年)閏12月27日、侍従に任官する。

延宝6年(1678年)8月6日、預かっていた陸奥田村郡の幕領を返還する。

延宝7年4月7日、嫡子・長次に家督を譲って隠居した。隠居後は玉峰と称した。

元禄14年(1701年)4月11日に死去した。享年80。




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