▲陸奥国・萬年山長楽寺 仙台藩烏天狗組之碑・浅草屋宇一郎之碑▲ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2024年1月5日訪問※


山門のすぐ側には、【仙台藩烏天狗組之碑・浅草屋宇一郎之碑】が建てられていました音譜


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烏天狗組は正式名称を《衝撃隊》と言い、仙台藩士・細谷十太夫によって結成された義勇軍。 

衝撃隊の隊旗には「一羽の烏(からす)」が染めぬかれ、また、その隊士の装束も黒一色という異様ないでたちであったことから、彼らは通称「からす組」と呼ばれるようになったと伝えられています。

また、実際に隊長の細谷はからすを好み、一羽のからすを飼っていたとも伝えられています。 

戊辰戦争における大激戦地区としても名高い「白河口の攻防戦」において、新政府軍に敗れたからす組の残党が各地で強奪を行なった後、福島城下に乱入し放火するという騒ぎを起こしています。 

元来からす組とは、各地の目明しや博徒といった、つまりどちらかと言うと、町のあぶれ者を中心に組織された部隊であったので、こういったことが生じたのでしょう。

そのため、福島城下では、町民や村民達が団結して自衛のために立ち上がり、暴徒と化したからす組と戦っていおり、この戦闘でからす組の四人が討ち取られ、その他の者は福島城下から逃亡したと書かれており、長楽寺に建立されている「仙台藩烏天狗組之碑」は、この時の戦死者の霊を弔ったものなのです。 

浅草屋宇一郎は衝撃隊の配下として働いており、新政府の奥羽鎮撫総督府参謀・世良修蔵の暗殺にも関わっていたようです。

後に世良を暗殺したことを後悔し、世良の位牌を大切にしていたとも伝わっています。


長楽寺は世良が処刑された阿武隈川沿いにあり、処刑された世良を弔ったとも伝わっていて、戊辰戦争150年の節目となる2018年に約50年ぶりに慰霊の法要が行われたそうです。

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