※2023年1月12日訪問※
巽櫓に接続する土塀ですが、調査の結果、建て替え時期によって違う新旧の【塀礎石】が見つかっているようです✨
新しい塀礎石は、巽櫓接続する形で、やや斜めに建てられている事が、案内板の絵からもわかります✨
一方古い塀礎石は、石垣に沿って、二ノ丸土塁の角部分を廻るように建てられています
下の画像の塀礎石が古い塀礎石で、巽櫓の外側を囲うように築かれています
巽櫓跡を過ぎて、二ノ丸の東側の土塁上を歩いて行きます
こちらには【塀】に関する案内板が設置されていまきしたので、確認して行きましょう✨
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塀
本丸や二ノ丸の土塁には塀が建てられており、塀を支える基礎石(礎石)は現在も残されております。
発掘調査により、周囲から瓦が出土しましたので、塀は瓦葺きであったことがわかりました。
江戸時代後期の寛永年間(1789~1801)に、土塀を透塀に建て替えたという記録があります。
土塀は土を積み上げて造るのに対して、透塀は格子のように木材を組み立てて建てられた塀と考えられます。
◆出羽国・山形城(霞城) 首洗い石鉢・イチイの巨樹/国指定史跡◆に続く