◆陸奥国・中新田所(中新田城)/加美町指定史跡◆ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2022年6月10日訪問※



宮城県加美町中新田の【中新田所(中新田城)】を訪れましたニコニコ音譜



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大崎氏の始祖、斯波家兼公は足利氏の一門である。

1354年(文和3年)、新田義貞討伐の軍功により奥州管領に任命され、奥州に下向。

余年前に奥州深題に任命されます。

当地の伝承では、中新田城は家兼が奥州入りして間もなく築かれたとされていますが、最近の研究では 15 世紀初めの応永年間以降に築かれたと推定されています。


本城は、東西約 320m、南北約 250mの大きさで、方形の堀を二重に回らせた、いわゆる「回字式城郭」と呼ばれる形状をしています。内堀の中は 100m四方の方形を呈し、発掘調査では多くの柱穴、溝、土坑、井戸などが発見されています。


戦国時代末期、天正 16 年(1588)の大崎合戦では、中新田城の城代南條下総が伊達軍を打ち破りました。

しかし、天正 18 年(1590)の奥州仕置によって、伊達政宗と蒲生氏郷に大崎領占領のため中新田城は接収されました。

その後に大崎・葛西一揆が起こり、その結果翌年にはさらに第二次の仕置が実施されて、厳しい検地と城郭の破壊が行われたので、おそらくこの時点で中新田城は姿を消すことになったと考えられます。

かつて城内には長福寺という大崎氏の祈願寺がありましたが、大崎氏滅亡とともに廃寺となりました。

慶長 16 年(1611)に寺を再興するため、仙台の真言宗龍宝寺実済法印は城跡に八幡山長興寺を中興開山し、現在に至っています。

尚、この附近を称して『御仮屋』と呼ぶのは、1638年(寛永15年)、仙台藩二代藩主・伊達忠宗が領内巡察の際、ここに仮屋を設けたことによります。

その後は、仙台藩の『所』拝領として機能したと思われます。

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