※2021年10月23日訪問※
仙台藩3代藩主伊達綱宗の生母・【貝姫(得生院)の墓所】です



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貝姫(寛永元年(1624年) - 寛永19年2月15日(1642年3月15日))は、仙台藩第2代藩主伊達忠宗の側室。
寛永元年(1624年)、櫛笥隆致の次女として生まれる。
寛永16年(1639年)、仙台藩伊達家では京都留守主居佐藤市兵衛に命じ、忠宗の側室を選定させた。
市兵衛は京都の商人象牙屋茂兵衛に周旋させたところ、素性を秘して貝姫を紹介し、同年6月3日茂兵衛の証文で仙台に下ったという。
寛永17年(1640年)8月8日、巳之助丸(のちの伊達綱宗)を仙台城二の丸で産む。
寛永19年(1642年)2月15日歿す。享年19。
得生院と法諡し、仙台市の善導寺に葬られた。
死去に際し自分の素性を侍婢に告げていたため、櫛笥隆致の次女であったことが判明したという。
姉の櫛笥隆子は宮中に入って後水尾天皇の側室となり、9人の子をもうけた。
そのうちの一人の花町宮良仁親王は、111代の後西天皇となった。
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善導寺さんの敷地の南西角部に建てられている案内板には『境内には得生院殿の墓があり』と説明が記されていました



境内にお邪魔し、本堂の脇に続く小道を進んでいくと、一基の墓石が見えてきます




墓所についての案内板などは見受けられませんでしたが、墓石に刻まれた得生院の文字から推測して、この墓所が貝姫(得生院)の物と思われます




今回の善導寺さん訪問に際し、貝姫(得生院)の墓所がこちらに建てられている事を初めて知り、素性を隠して仙台に下り、綱宗を生んだ後わずか19歳で亡くなったと伝わる貝姫(得生院)の、その壮絶な人生を思い、墓石に手を合わせました

▲陸奥国・得生山善導寺 刀工本郷国包各代の墓所/仙台市指定史跡▲に続く