※2021年8月30日訪問※
仙台市若林区南小泉の【伊達家別荘『小泉屋敷』跡】を訪れました



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『小泉』の名前の由来は、清水と関係があると言われている。
南小泉地域には昔から豊富で良質な清水が湧き出ていたと伝えられ、これらを中心にして、古代以来大きな集落があったと思われる。
どんな日照りでも良質の清水が湧き出て住民の生活を潤していたので、地域の人々はこの地を小泉と称して明治時代まで及んだ。
元禄5年(1692)、四代藩主綱村によって、この地に『別荘』の造営が開始された。
この別荘は文政9年(1826)の絵図が発掘調査によって4つのブロックより構成されている事がわかっている。
北西部は池庭と御殿空間となっている。
絵図には『御殿跡』となっているが、すでに御殿はなく特徴を知ることはできない。
池の南側は土塁によって区画され、南東部(籾蔵)の目隠しを兼ねて多数の樹木が植えられている。
池は調査の結果長軸100mを越す大規模なもので、池泉回遊式の大規模庭園跡とみてよい。
南西部は『籾備蔵』と呼ばれる蔵屋敷で、絵図は籾倉が5棟とその中央に荷解き用とみられる建物がみえる。
調査ではこの蔵屋敷を区画すると考えられる溝跡より多量の炭化籾や焼けた壁土が出土した。
火事により被災したものと思われる。この火事は明治10年3月の河原町大火によるものと推定されている。
北東部は空堀で囲まれた『御鳥屋』と呼ばれる屋敷地であるが、中央の鳥小屋、その周地に畑地が作られていた。
それ以前は仙台藩家臣鹿又家の屋敷があったとみられる。
調査では水堀を埋め立て空堀に改造されていた事が確認された。
改造時期は出土遺物から判断して18世紀前半ないし中頃とみられる。
南東部は広い空間となっており、中央に庭木と畑、北西は栗木林、南西部には土塁や現在では少林神社と呼ばれている『大杉大明神』神社、南部は水田が描かれ、北辺部には『御蔵守御貸長屋』『御屋敷役御貸長屋』という2棟の建物が描かれている。
その後、明治期には伊達家経営の農園『養種園』の一部が置かれ、仙台市の所有となり市民に親しまれた。
現在では若林区文化センターが建設され、若林区の文化発祥の地となっている。
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