※2012年5月16日訪問※
※2020年10月1日再訪問※
上杉家を支えた、【直江兼続夫妻の墓所】です
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
寛永14年(1637年)、絶家となっていた重臣直江氏の菩提寺であった徳昌寺と林泉寺が僧録の地位をめぐって争った結果、徳昌寺は廃絶となり住職は与板(現在の、新潟県長岡市)に追放された。
徳昌寺の寺域は林泉寺に併合され、米沢藩は徳昌寺にあった直江兼続夫妻の墓を林泉寺が管理することと決めた。
このため、林泉寺は兼続夫妻の墓を林泉寺内に改葬した。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
直江兼続公は上杉景勝公に仕えた上杉家きっての名将
天下人秀吉も兼続の才能を認めており、上杉家を会津若松120万石に加増した際には兼続公に米沢30万石を与えるように命じたと言われています
幼少から景勝公に仕えた兼続公は、謙信公の遺訓とも言える「義」の精神を貫き、米沢移転後は徳川家の重臣である本多家から養子を迎えるなど、上杉家の存続を第一に考えます
関ケ原の戦いに敗れた上杉家
120万石の領地が4分の1に減らされた際に家臣団をほとんどリストラしなかったのも、上杉家を慕って残ってくれた《義》の志に報いた結果なのかもしれません
上杉家最大の功労者として景勝公は兼続公に5万石の領地を与えますが、この内4万石は同僚に分割し、1万石の半分は家臣に分け与えていたと言われています
そして最終的には知行の返上を申し立てます
【高禄である直江家の地行を返上する事で、少しでも米沢藩の財政を助ける為】という考えから、意図的に直江家を断絶させたとも言われています
直江兼続夫妻は、当初直江家の菩提寺である徳昌寺に埋葬されましたが、徳昌寺と林泉寺の間で争いが有り、敗れた徳昌寺は越後に逃れたと伝わります
その後、夫妻の墓石は東源寺に移され、更に現在の林泉寺に移されました
向かって左側が直江兼続の墓石
向かって右側が、妻・お船の方の墓石です
この時代、夫婦のお墓が隣同士、しかも同じ大きさの墓石というのは非常に珍しいですね
直江兼続公は、2009年のNHKの大河ドラマ《天地人》の主人公に選ばれ、俳優の妻夫木聡さんが聡明な兼続公を好演し、《愛》の前立の兜と共に、一躍全国区になりましたね
▲出羽国・春日山林泉寺 甘糟景継・鐵泰忠墓所/山形県指定史跡▲に続く