※2020年7月11日訪問※
海岸線に近いこの宮城野蒲生地区は、2011年3月11日の東日本大震災による津波によって甚大な被害を受けました
御覧の用に、まだまだ工事・造成中の様子が見受けられますね
建物などはほとんど無い平地の中に、ポツンと小さな鳥居が見えてきました
こちらは【大和神社】という神社で、この辺りに【蒲生在所(和田織部屋敷跡)】が建てられていたようです
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大和神社
寛文13年(1673)蒲生領主和田織部房長は舟入堀の工事完成を期に,多賀城紅葉山の館より家従30人と共に当地に移住。
館内に氏神として京都伏見稲荷神社の分霊を勧請し祀った。
和田氏は大和(奈良県)の出身なので大和神社と称した。
明治になり和田新田地域の鎮守の神として寄進された。
和田新田と和田氏
和田新田は2代藩主忠宗公の時代(寛永年間)藩の出入司をしていた初代和田因幡為頼が開墾した土地であり、城下町のような侍屋敷だった。
和田氏は1800石の領主で,為頼は東部海岸に松の植林をした。
2代織部房長は藩命により,宮城郡大代村(多賀城)から蒲生村までの御舟入堀や七北田川の付け替え,御船引堀の掘削工事を立案,寛文13年(1673)完成させた。
11代織部為泰は仙台藩の最後の国老として藩内の戊辰の役の戦後処理に当たった後,密告されて切腹した。
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