※2012年5月16日訪問※
※2020年6月3日再訪問※
歴代藩主の廟所に詣でた後は、いよいよこの方の廟所にお参りします
『不識院』すなわち『上杉謙信』の廟所です
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戦国武将の中でも聖将として名高い上杉謙信は、その死後も上杉家の精神的支えとして大切に祀られてきた。
遺骸は甲冑を身に纏った姿で甕に納められ、甕には漆を流し込んで固めてあるという。
上杉景勝が越後から会津に移動の際も、春日山城不識庵より謙信の霊柩を移動させ、その周囲にある一片の土も運ばせたと伝えられる。
さらに越後より会津、そして米沢に至る上杉家の領国替えの時も、謙信の霊柩は選ばれた僧侶その他の者により厳重に守られ運ばれた。
米沢入りを果たしてからは、米沢城の本丸の高台に御堂(霊廟)を建立して、中央に謙信霊柩、その左右の脇陣に善光寺如来像と泥足毘沙門天像を共に安置した。
以後、上杉景勝の命により大乗寺、法音寺など真言宗寺院の能化衆が、毎日の供養を欠かすことなく厳修した。
その内容は、実に厳しく定められていたようである。
それは明治を迎えるまで厳格に行われた。
歴代の上杉家当主も、命日には精進を心がけ参拝供養したと伝えられる。
謙信は生前、真言密教に深く帰依し、自らも権大僧都の位を得ている。
その関連からか、謙信の遺骨は高野山に納められており、米沢にあるのは分骨であるともいうが、これは景勝以降の藩主が火葬した遺骨を高野山に納めたことからの誤伝である。
明治になって、米沢城本丸から謙信の霊柩は上杉家廟所に、善光寺如来と毘沙門天像は法音寺に移ったが、当時の御堂は同米沢市の長命寺に本堂として移築され、現存している。
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軍神として崇拝され、全国的に知られている上杉謙信ですが、『実は女性なのでは??』という説もあるくらい、多くの謎に包まれています
かつて、廟所に眠る甕の中の謙信の遺骸を、学術的に調査したいという話も出た事が有ったようです
しかし、上杉家にとって謙信は「不可侵の聖なる存在」であり、これまで一貫して調査を認めていません
調査をすれば、歴史的な発見があるかもしれませんが、安らかに眠る謙信の御霊を乱すのは忍びないですもんね
さて、緑豊かで静寂に包まれた上杉家廟所を散策して来ました
質実剛健の家風の上杉家を示すように、全体的に簡潔な造りの廟屋ですが、歴代藩主の廟屋が並ぶこの光景は圧巻ですね
杉木立の中に整然と立ち並ぶ歴代藩主の霊屋は、上杉家と米沢の歴史を、現代に静かに伝えてくれています