▲陸奥国・大義山覚照寺(伊達宗房墓所)▲ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2020年5月5日訪問※


【宮床伊達家廟所】から山道を戻り、今度は【↑ 伊達宗房墓所】の標柱の通り、山の奥へと向かいますニコニコ音譜


標柱から5分程登ると平場が現れ、案内版が設置されていましたキラキラ



【伊達宗房公について】と書かれた案内板ですニコニコ音譜



樹木の影がかかってしまい、ちょっと見づらい写真になってしまいましたねショック!あせる


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宮床館主初代宗房は、仙台藩二代忠宗の八男で政宗の孫に当る。母は側室小笹(山戸土佐の娘)で、正保三年(1646)青葉城に生まれた。

四才で田手高実の嫡女に配され、岩手県口内村(北上市)で、一七〇〇石を賜り、はじめ田手肥前宗房と称した。

万治二年(1659)十四才のとき、伊達姓を許され、一門に列せられた。

一門の家格、一門(11人) 一家(17人) 准一家(8人) 一族(22人) 宿老(3人) 着座(33人)以下略

翌年、在所を宮床村に移し、小野村を合わせて三、〇〇〇石となる。(二代村興のとき八、〇〇〇石)

築城、屋敷割、社寺の建立等に力を尽し、夫人松と共に厚く神仏を崇め宮床のいしずえを築いた。

領主の居城は田手岡舘(通称御殿山)と呼ばれ、往時の遺構はないが、土塁や石垣の跡から盛時を偲ぶことはできる。

侍屋敷一〇七、寺屋敷四、足軽屋敷九六、町屋敷八三、

寛文六年(一六六六)21才 ○宮床舘、落成 ○生母菩提のため、慶雲寺建立、後に覺照寺と改める。

○龍岩寺(養父高実の墓あり)を移し、田手氏の位牌所とする。

寛文七年(一六六七)22才 ○正室田手高実娘没。24才法林院殿安室妙全尼大姉

延宝元年(一六七三)28才 ○新田八幡宮を建てる。

延宝二年(一六七四)29才 ○藤原氏の氏神、春日宮を新田八幡境内に勧請する。

延宝三年(一六七五)30才 ○生母の両親菩提のため、清心庵を慶雲寺地内に建てる。

延宝四年(一六七六)31才 ○宗房後室、片倉小十郎景長娘、松入輿。

延宝八年(一六八〇)35才 ○田手氏の祈願所法花寺を大原より宮床に移し、後に栄法寺と改める。

貞享三年(1686)一月三日、伊達肥前宗房、宮床舘に没す。享年四十一才

覺照寺殿悟山了實大居士

なお、宗房の長子村房は仙台藩五代藩主、吉村(獅山公)である。

御霊屋について

慶雲院霊屋の礎石ははっきり残っているが宗房、松の光雲殿(3×5)は明治初年に取りこわされ墓石はその後に建てられたものと思われる。

昭和六十年十月十三日

 宗房公三百年忌法要式典実行委員会

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案内板にはこのように記載されていましたニコニコ音譜


この案内板の正面に通路が有り、進んで行くと墓石が2基見えてきましたニコニコ音譜





向かって左側のこちらの墓石が、宮床伊達家の祖【伊達宗房之墓(覚照院殿)】ですニコニコキラキラ



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伊達宗房

正保3年(1646年)8月5日、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の八男として誕生。

慶安2年(1649年)、伊達家の一族・田手高実の婿養子に迎えられて田手家を継ぎましたが、高実の実子・貞実の元服にに合わせて田手家の名跡を貞実に譲り、別家を興すことに。

寛文7年(1667年)正室・法林院(田手氏)が死去する。

宗房と法林院の間には子供がおらず、義弟・貞実も寛文5年(1665年)6月16日に跡継ぎを残さず死去しており、このため田手家宗家の血統は断絶した。

延宝4年(1676年)、片倉景長の娘・まつを後妻に貰い受ける。まつとの間には男子2人が生まれた。

貞享3年(1686年)1月13日死去。
享年41。

長男・助三郎(村房)が家督を相続した。
この助三郎がのちの仙台藩5代藩主・伊達吉村である。

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宗房の墓所は、かつては霊屋が建てられていたようですが、残念ながら現在は残されていませんあせる


そして、向かって右側のこの墓石は【伊達宗房室片倉氏之墓(貞樹院殿)】のお墓キラキラ



宗房夫婦の墓石は、明治期に取り壊されてしまい、この墓石は後に再建された物だそうですニコニコ音譜


先程の案内板まで戻ると、別の道が伸びていたので、そちらに向かうと、石段の先に何やら墓標のような物を見つけました音譜





【慶雲院殿】と掘られたこの墓碑は、宗房の実母の物で、覚照寺さんの中でも最も古い物との事ニコニコキラキラ



墓碑の周囲には、地面に整然と石が並べられており、もしかするとこちらにも霊屋建築のような建物があったのかもしれませんねニコニコ音譜





さて、この【慶雲院殿】の墓碑の奥には、2基の墓石がキラキラ



【法源院殿】


【円明院殿】


こちらの2基の墓標については特に案内板などは有りませんでしたが、 慶雲院殿廟の裏手に位置する事から、慶雲院殿に関係する人物のお墓にではないかと考えられますニコニコ


ちなみに、帰宅してから判明したのですが、伊達宗房の最初の正室・法林院(田手氏)のお墓も、この覚照寺さんの境内に建てられているとの事ショック!音譜


境内に入ってすぐの所に建てられていた【覚照寺案内図】の地図を確認してみると、



①宮床伊達家廟所(案内図 左手部分)
②伊達宗房夫婦墓所(案内図 上部)
③宗房正室・法林院墓所(案内図 右中央部)

と、大きく3つのブロックに分かれていたんですねショック!あせる


③宗房正室・法林院墓所については、今回はお参りする事が出来なかったので、日を改めて参拝したいと思いますニコニコ音譜