※2019年4月20日訪問※
涌谷城から江合川の河川敷を涌谷駅方面に歩いていると、なにやら河川敷に案内板を発見
かつて、この河川敷には、涌谷伊達家の藩校【月将館】が有りました
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月将館は、天保九年(一八三八)涌谷伊達家第十三代義基(桂園が家臣黒澤太仲の建議により設立した郷学(藩学に準じた地方士分の子弟の教育機関)で、表丁といわれた通りのこの場所にあった。
初めは学習館といい、安政二年(一八五五年)第十四代邦隆(梅渓・桂香)の時代に、月将館と改称された。
初代の学頭は阪元玄岡、ついで有名な斎藤竹堂が督学を勤めたので、諸国から頼三樹三郎や赤松寸雲など、名のある文人・武人・学者・志士が大勢涌谷を訪れ、仙台藩の藩学養賢堂に次ぐ領内教育の中心的な郷学として、藩外にも広く知れわたり、安政年間に最盛期を迎えたといわれている。
月将館の存在は単に士分の子弟教育に役立ったばかりでなく、一般庶民の向学心をも育てたが、設立以来約三十年間続いて明治維新になって廃止された。
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涌谷町立史料館の内部にも月将館に関する展示が有りましたね
さて、簡単にではありますが、以上が涌谷要害の訪城記です
模擬とはいえ、天守と桜という美しい景色を拝めるのは、宮城県内では、白石とこの涌谷だけ
桜の季節に、是非一度訪れてみては如何でしょうか