◆陸奥国・涌谷要害 月将館跡/涌谷町指定史跡◆ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2019年4月20日訪問※


涌谷城から江合川の河川敷を涌谷駅方面に歩いていると、なにやら河川敷に案内板を発見音譜
 


かつて、この河川敷には、涌谷伊達家の藩校【月将館】が有りましたキラキラキラキラ


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月将館は、天保九年(一八三八)涌谷伊達家第十三代義基(桂園が家臣黒澤太仲の建議により設立した郷学(藩学に準じた地方士分の子弟の教育機関)で、表丁といわれた通りのこの場所にあった。

初めは学習館といい、安政二年(一八五五年)第十四代邦隆(梅渓・桂香)の時代に、月将館と改称された。

初代の学頭は阪元玄岡、ついで有名な斎藤竹堂が督学を勤めたので、諸国から頼三樹三郎や赤松寸雲など、名のある文人・武人・学者・志士が大勢涌谷を訪れ、仙台藩の藩学養賢堂に次ぐ領内教育の中心的な郷学として、藩外にも広く知れわたり、安政年間に最盛期を迎えたといわれている。

月将館の存在は単に士分の子弟教育に役立ったばかりでなく、一般庶民の向学心をも育てたが、設立以来約三十年間続いて明治維新になって廃止された。
 
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涌谷町立史料館の内部にも月将館に関する展示が有りましたね音譜



さて、簡単にではありますが、以上が涌谷要害の訪城記ですきらきら!!


模擬とはいえ、天守と桜という美しい景色を拝めるのは、宮城県内では、白石とこの涌谷だけ音譜


桜の季節に、是非一度訪れてみては如何でしょうかかおうえうえ