▼斯波兼頼/山形県・すずらん商店街▼ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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城巡り・史跡巡り・サッカー観戦etc…

興味の有る事について書いて行きたいと思います!


今回は南北朝時代の武将で、羽州探題最上氏の祖である、


【斯波兼頼】の銅像をご紹介きらきら!!



奥州探題・斯波家兼の次男に生まれ、伯父高経、父家兼とともに越前国に逃れた新田義貞と戦い、兼頼の配下が義貞を討ち取ったと言われていますアップ


この時、源氏累代の名刀《鬼切》は兼頼の手に渡り最上氏の家宝となったそうですキラキラ


家兼が北陸から奥州に移ると、兼頼も共に下向、延文元年(1356年)、出羽地方の北朝方として寒河江大江氏、山家氏などの南朝方の抵抗を抑えるために、出羽国山形に入部し、山形城を築いたとされていますうえ


貞治6年(1367年)に鎌倉公方の足利基氏が死去した後、出羽を含む東国の各地で南朝方が蜂起するも、漆川の戦いにおいて、鎌倉公方を継いだ足利氏満や、兄で奥州探題の大崎直持と共に南朝方の寒河江大江氏を攻撃し降伏させましたドンッ


また、近隣の里見氏に弟の義宗を養子に送り、一門とするなど武力政策と婚姻・養子政策を駆使し、山形斯波氏(後の最上氏)の基礎を築きましたきらきら!!


兄の直持は奥州管領家の大崎氏の祖となった他、弟の持義、将頼らも奥州に子孫を残したとされます音譜


永和元年(1375年)、嫡男の直家に家督を譲って以降は城内に草庵を結び念仏三昧の日々を送ったようですアップアップ


そんな、最上家の祖・ 斯波兼頼公の銅像が山形の市内に有るのを御存知でしょうか?


子孫である最上義光公の銅像は全国的にも凄く有名で、馬上で指揮棒を掲げる姿は、全国各地の騎馬像の中でも、トップクラスにカッコイ良いですよねキラキラ


山形城東大手門と共に霞城公園に佇む姿は、とても絵になります音譜



さて、 一方の斯波兼頼公の銅像ですが…


なんと、商店街の中にいらっしゃいましたショック!





烏帽子に直垂姿で、非常に穏やかな表情の銅像ですねアップアップ
 






山形の街の基礎を造った斯波兼頼公きらきら!!


今も街のど真ん中で、山形の人々を見守ってくれているんですねうえ