- ノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブル/ノーラン ライアン
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MLB史上最高のハードボーラーだろう。
彼と比肩しえるのは、
ボブ・フェラー(通算266勝。104マイルのまっすぐを「俺のチェンジアップの球速だ」とも)
ウォルター・ジョンソン(通算417勝は歴代2位。対戦相手が2ストライクであきらめて帰ったこともあったらしい。)
くらいだろう。
現在は古巣テキサス・レンジャーズの球団社長で、最近ライアンらのグループが球団を買収した。
今回は、様々な視点からライアンを見て行きたい。
(連続10回くらいで見ていく予定です)
第1回.マイナー時代
彼のキャリアはニューヨーク・メッツから始まった。
1365年にドラフトで指名順位は10位・全体だと295位で指名と、意外なほど低評価だった(アルビン高校卒)。
1965年:始めはルーキーリーグ・アドバンスドの、アパラチアンリーグのマリオン・メッツで投げた。
1966年:翌年はA-のウェスタンキャロライナズリーグのグリーンビル・メッツで投げ、驚異的な活躍をし、後半にAA級ウィリアムスポルト・メッツで投げ、9月11日にはMLBデビューをした。
1967年:この年にメジャーにあがることはなかった。
前半は陸軍で過ごし、後半は腕の故障でリハビリによってAAAインターナショナルリーグのジャクソンビル・メッツ7イニングしか投げられなかった。
下図はマイナー時代のライアンの全成績である。
被本塁打は調べても出なかったのでご容赦頂きたい。
とにかく感想としてはかなり高い奪三振率と与四球率である。
やはり若いころは荒れ球が顕著だったようだ。
しかし、2年目以降、防御率が劇的に下がっている。
理由として、被安打数が下がったことが挙げられるだろう。
H/9は、
1年目:7.03
2年目:5.26
3年目:3.85
それにしても荒れ球豪腕投手の典型だ。
やはり伝説の怪腕の片鱗がうかがえる。
今後、ほかの投手との比較も行っていくが、比較が楽しみである。
この頃の球種はストレートと12-6カーブ(いわゆるドロップ)しかなく、チェンジアップを覚えたのは1981年だと言う(ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブルより)。
つまり、もちろんこの頃は2種類の球種しか投げなかったのだ。
