第二回目はメッツ定着時代を書いていきます。


MiLB時代に、故障がありながらも驚異的な奪三振率と被打率でメッツの注目株になっていたライアンは、1968年にMLBに定着することになる。


規定投球回には到達しなかったものの、134回で133奪三振を奪うものの、当時のメッツは、

ドン・カードウェル      7勝13敗 2.95

ジェリー・クーズマン    19勝12敗 2.08

トム・シーバー       16勝12敗 2.20

ジム・マッカンドルー    4勝7敗 2.88


この頃は、先発4人制の時代だった為、この強力ローテーションの中にライアンは入らなければならなかった。


逆にこの中に入っていけただけでも凄いと言えるのだが・・・


翌1969年には前年を下回る投球回ながら、野球人としての最高の栄誉にして現役で唯一の・チャンピオンリングを指に抑えることになる(ミラクルメッツ)。


1970年・1971年共に規定投球回に到達せず、ライアン曰く、「好不調の激しい私に業を煮やして」カルフォルニア・エンゼルスにトレードに出される。


これ以降のライアンの活躍もあり、メッツは「トレード下手」

なんて言われる事もしばしば


ここでメッツ時代のライアンの成績を見てみよう


アキのブログ

なんと、与四球率の平均が6.07で、ワーストが最後の1971年の6.87。

又、自慢の奪三振率も8.70と、これでは球団も彼をトレードに出したがっても不思議ではないのかも知れない。

WHIPも、先発失格と言われる1.40ジャスト(厳密には1.398)。

しかし、防御率は3.58と思いのほかいい。

これはH/9が6.51と、優秀なため。


つまり、当時の彼は「ヒットは打ちにくいが、四球で自滅してくれる」投手。

つまり「球威は素晴しいが、ノーコン」

といった感じの投手だったのだ。


また、被本塁打率(HR/9)は通算6.0と、昨年のCC・サバシア(0.70)よりも良いため、やはり球威を裏付ける形になった。


さて、ここまでメッツ時代のライアンを見てきたが、印象として

1:球威がある

2:ノーコン

3:いつまで経っても良くならない

4:奪三振率がマイナーに比べて激減

5:本人回想で好不調の波が激しい


といった印象が持てる。

これ以降、カルフォルニア・エンゼルスにトレードされてしまうのだが、ここで人生を変える人物に出会う。

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MLB史上最高のハードボーラーだろう。

彼と比肩しえるのは、

ボブ・フェラー通算266勝。104マイルのまっすぐを「俺のチェンジアップの球速だ」とも)

ウォルター・ジョンソン通算417勝は歴代2位。対戦相手が2ストライクであきらめて帰ったこともあったらしい。)

くらいだろう。

現在は古巣テキサス・レンジャーズの球団社長で、最近ライアンらのグループが球団を買収した。

今回は、様々な視点からライアンを見て行きたい。

(連続10回くらいで見ていく予定です)


第1回.マイナー時代

彼のキャリアはニューヨーク・メッツから始まった。

1365年にドラフトで指名順位は10位・全体だと295位で指名と、意外なほど低評価だった(アルビン高校卒)。

1965年:始めはルーキーリーグ・アドバンスドの、アパラチアンリーグのマリオン・メッツで投げた。

1966年:翌年はA-のウェスタンキャロライナズリーグのグリーンビル・メッツで投げ、驚異的な活躍をし、後半にAA級ウィリアムスポルト・メッツで投げ、9月11日にはMLBデビューをした。

1967年:この年にメジャーにあがることはなかった。

前半は陸軍で過ごし、後半は腕の故障でリハビリによってAAAインターナショナルリーグのジャクソンビル・メッツ7イニングしか投げられなかった。


下図はマイナー時代のライアンの全成績である。



アキのブログ

被本塁打は調べても出なかったのでご容赦頂きたい。

とにかく感想としてはかなり高い奪三振率と与四球率である。

やはり若いころは荒れ球が顕著だったようだ。


しかし、2年目以降、防御率が劇的に下がっている。

理由として、被安打数が下がったことが挙げられるだろう。

H/9は、

1年目:7.03

2年目:5.26

3年目:3.85

それにしても荒れ球豪腕投手の典型だ。

やはり伝説の怪腕の片鱗がうかがえる。


今後、ほかの投手との比較も行っていくが、比較が楽しみである。


この頃の球種はストレートと12-6カーブ(いわゆるドロップ)しかなく、チェンジアップを覚えたのは1981年だと言う(ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブルより)。

つまり、もちろんこの頃は2種類の球種しか投げなかったのだ。