■あいりん地区 | 乱丸の不思議?

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メモあいりん地区


大阪府大阪市西成区の北部、JR西日本新今宮駅の南側に位置する簡易宿所・寄せ場が集中する地区の愛称である。


愛隣地区とも表記され、旧来からの地名である釜ヶ崎とも呼ばれる。



メモ概要


大まかには北をJR西日本関西本線・大阪環状線、西を南海本線・高野線、東を旧南海天王寺支線跡に囲まれた三角形の地域で、西成区萩之茶屋・太子などに該当する。


あいりん地区という名称は、1966年5月に国や自治体などの行政機関と報道機関が使用の取り決めを行った名称であるが、釜ヶ崎は被差別部落の旧名の類ではないので、いわゆる差別用語には該当しない。


地元では依然、釜ヶ崎や略称の「釜」などと呼ばれることが多い。


あいりん地区には路上生活者が数多く居住し(大阪市内の路上生活者は4,069人)、約20ha(半径300m)の面積に3万人の人口があると言われる。


そのため治安が悪い。


この地域は住所不定の日雇労働者が多いため、人口統計は国勢調査でもはっきりつかめていない。


身分証明証がなくても宿泊、就労、銀行口座開設ができるため、治安が悪化し統計を取ることが難しい。


そのため無法の地になりやすい。


NPO団体や宗教団体は炊き出しなどを頻繁に行っており、実施の際は公園に人が列を作って並ぶことがある。


また、この地域の物価(料金体系)は隣接している他地区と比べ、総じて低いのが特徴となっている。


周辺は暴力団事務所が多数ある。



メモ暴動


■第1次暴動


1961年8月1日に釜ヶ崎の日雇労働者の老人が交通事故に遭った際、通報で現場に駆けつけた西成署員が即死と断定、派出所前の歩道に遺体を放置したまま20分も現場検証を続けたのちに近くの病院へ収容したことに対し、周りの労働者が抗議し暴動に発展、負傷者を多く出した事件。


本来は、首がもげているなど明らかに死んでいる場合以外は、医師しか死亡を確認出来ない。


労働者は西成警察署を包囲し、パトカーや付近に駐車していた車を横倒しにしたりアパートに放火したりするなどと現場は騒然となった。


これに対し大阪府警は警官隊を6,000人に増員し応戦。


暴徒を警棒と警備車によって鎮圧した際、負傷者を出す事態となった。


2,000人に上る労働者らの暴動は2日間続き、この結果28人を逮捕したほか、労働者数10人、警察官約100人が負傷した。


この事件は当時の国会や大阪府議会、大阪市議会でも取り上げられ、それに基づき医療費を自治体が負担するなど対策が実施されたが、その後も暴動は幾度となく続いた。


そのため、地域のイメージ向上のため1966年5月、大阪市・大阪府・大阪府警による「三者連絡協議会」において釜ヶ崎地区の名称を「あいりん地区」とすることが決められ、以後、国や自治体などの行政機関と報道機関では同名称が用いられている。


ただし近年、市や府の行政用語としては「地区」という語句を用いず、「あいりん」または「あいりん地域」として表記されていることが多い。



■第22次暴動


1973年の第21次暴動より約17年間の空白期があったが1990年10月2日からおよそ5日間、大規模な暴動が発生した。


暴動の発端は西成警察署刑事課の刑事が暴力団から賄賂を受けていたことが発覚し逮捕されたという報道による。


事件そのものは労働者と直接の関連はないが、労働者が西成署員に対して普段から快く思っていなかった事や自分達の日当を暴力団にピンはねされ、その暴力団から賄賂を受け取っていた事から日頃の不満や怒りが爆発したもの。


事件報道を受けて西成警察署前に集まり始め謝罪と説明を要求ののち、警察とにらみ合いの末に暴動に発展した。


これを契機として、あいりん地区の各地に暴動が飛び火する事態となる。


さらには報道で暴動騒ぎを知った区内外の若者達(主として暴走族)も便乗して参加、火炎瓶の使用や投石、店舗からの略奪などを行って暴動をエスカレートさせたが、これはそれまでの西成暴動には見られない出来事であった。


西成署は機動隊を配備(のち、各署にも応援を要請)し、放水車を使って暴動に対処。


逮捕者は数十名に上った。


暴動自体は発生から6日後に自然に鎮静化したものの阪堺線南霞町停留場が放火されて全焼(後に仮設駅で営業を再開するが、元の位置には戻ることはなかった)したほか、近隣店舗が破壊されるなど傷跡は深く残った。



メモ年中行事


1970年以降、釜ヶ崎のホームレスやその支援者達が越冬闘争と呼ばれる取り組みを行うようになり、1971年に行政への要求活動として萩之茶屋南公園(三角公園)において決起集会が開かれたが、越年対策実行委員会が決起集会の余興で始めた相撲大会が決起集会そのものよりも盛り上がり、その後の決起集会でも余興は恒例となりさらなる盛り上がりを見せた。


さらに夏祭りも行うようになり、地場の暴力団組織の介入(テキ屋は暴力団の資金源である)も共闘して廃し、その後越年対策実行委員会がさまざまな変遷を経ても、ホームレスや日雇い労働者、日雇い労働者の支援組織、労働運動団体による地域恒例のイベントとして続いている。



乱丸のコメントひらめき電球


いわゆるドヤ街と呼ばれる有名な地区ですね。


このようなドヤ街と呼ばれる地域は他にもあります。


「あしたのジョー」の街で有名な東京都の山谷。


横浜市の寿町。


その中で最も有名なのが「あいりん地区」ですね。


1000円以下で泊まれる宿が数多くあるので、若い旅行者や外国人には意外にも人気のようです。


最近は大きな暴動などもなく昔ほど危なくないと聞きましたが治安の悪さは相変わらずのようですね。


興味はあるのですが実際行くとなるとちょっと怖いですよね汗


という訳で今回グーグル・アースで「あいりん地区」を歩いてみました。


このグーグル・アースすごいですねビックリマーク


ストリートビューで画像が360度見れて実際にその場にいるかのように歩けます合格


あまりに面白かったのでいろんな観光地やふだんなかなか行けない場所なども歩いてみました。


無料なのでよかったらみなさんもグーグル・アースの世界を体験してみてくださいニコニコ


そういう訳で「あいりん地区」を歩いてみたのですが、たしかに浮浪者の方々が多いですね。


普通に道路に寝てる人もいます。


テントなどもあちこちで見られました。


ここではジュースなどが安いと聞いていたので実際に自販機をアップで見てみたら何と70円で売っていました。


弁当とかも200円くらいで売っているらしいですね。


やっぱり独特の世界があるように思いました。


ここにはあいりん労働公共職業安定所があり、日雇いの労働者が集まるらしいです。


昔ほど危なくないとは聞きましたがやっぱり謎の多い「あいりん地区」でした。



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