いかりや長介
日本のコメディアン、俳優、ベーシスト、タレント。
「ザ・ドリフターズ」(略称:ドリフ)の3代目リーダー。
本名:碇矢 長一(いかりや ちょういち)。
愛称は「長さん」。
概要
「ザ・ドリフターズ」のリーダーとして、TBSの『8時だョ!全員集合』や、フジテレビの『ドリフ大爆笑』で一世を風靡。
その後は俳優、タレントとして活躍。
先に挙げた2番組での「お笑い」のイメージとは一線を画した、味わい深く「渋い」演技を見せた。
1997年に放映されたドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)のベテラン刑事・和久平八郎役では、『全員集合』をリアルタイムで見たことがなかった若いファンからも支持を受ける。
1999年、『踊る大捜査線 THE MOVIE』で第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。晩年は独特な語り口調を生かし、ナレーションを務めたことでも有名。
趣味はアフリカ旅行(特にケニア方面)で、彼をメインレポーターとしたアフリカ紀行番組もたびたび放送された(なるほど!ザ・ワールドでは、いかりやがアフリカのレポーターの時は、「長さん里帰り」と称された)。
生い立ち
4歳の時、母が結核で病没。
父・碇矢一郎(1908年 - 1995年)は築地の魚河岸で運搬の仕事に従事していた。
いかりやは自伝『だめだこりゃ』の中で、この父について「私に一番影響を与えた、傑作な人物」と語っている。
ミュージシャンへ
中学を卒業後、東京都立本所高等学校に進学、同校を中途退学後、静岡の製紙工場(春日製紙)に勤めながら、同僚らとハワイアンバンドを組み、ダンスホールで活動していた。
そもそも音楽を始めた動機が、女性に「モテたい」からだったという。
1962年、加藤茶と同時期に、小野ヤスシらが在籍していた「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に参加。
のちに桜井が引退しリーダーがいかりやに交代し「碇矢長一とザ・ドリフターズ」にグループ名を改称。
しかしその後、諸事情から小野らは独立してしまう。
1964年に仲本工事、高木ブー、荒井注を加えて「ザ・ドリフターズ」を再結成。
1966年にはビートルズの前座として日本武道館で公演。
仲本のヴォーカルで『のっぽのサリー』(Long Tall Sally)を演奏した。
コメディアンへ
TBSの『8時だョ!全員集合』や、フジテレビの『ドリフ大爆笑』で大人気となった。
ドリフ時代のギャラ配分は、途中から6(いかりや):1:1:1:1だったためメンバーに嫌われていた。
加藤らがアパートに住んでいて金もない時に、いかりやがBMWを乗り回していたため、頭にきて車に小便をかけていたとも語っていた。
『全員集合』の打ち合わせは2日前の木曜日に行われていたが(これを木曜会議と言う)、いかりやを中心にネタが決められていて、いかりやがネタを思いつくまで皆が黙っていることが多かった。
他の作家がアイデアを出しても、「つまらねぇ」と却下することも多かった。
志村けんも「自分の考えたネタをいかりやさんに見せる時が一番緊張した」と、いかりやの死後のインタビューで述べている。
いかりやは著書で志村のネタ作りの才能、および積極的にネタを見せに来る姿勢を高く評価しており、ドリフターズに志村を加入させた一因でもあったと語っている。
お笑いとしての代表的なギャグは、下唇を突き出し右手を上げる「オイッスー!」、コント終了後の「だめだこりゃ」、「次いってみよー!」など。
ドリフでは自らをボス=抑圧的な憎まれキャラに見立てた上での各キャラクター構築をし、主にツッコミ役を演じていた。
いかりやに対し加藤や志村らが反撃に出るといったスタイルのコントで、日頃のうっぷんからか志村は半ば本気でいかりやを攻撃していたが(時には加藤が楽屋オチ的にそのことを指摘するツッコミを入れた)、いかりやはむしろそれを良しとして受け入れていた。
60歳を超えてからも大量の水を被ったり、体を張って金たらいや一斗缶を頭に受けるギャグをして、笑いをとっていたのは特筆に値する。
俳優、タレントへ
1985年、『8時だョ!全員集合』終了後、俳優、タレントとして活動を始めた。
1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が俳優としてブレイクするきっかけとなった。
1992年~1996年のドラマ版『サザエさん』(フジテレビ)では波平を演じ、1997年に出演した『踊る大捜査線』(同局)和久平八郎役では、『全員集合』を見たことがない若いファンからも人気を博す。
晩年の闘病とその後
2003年5月末、「原発不明頚部リンパ節がん」により緊急入院。
闘病生活の末、同年7月17日に一旦退院する。
翌々日には『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の映画舞台挨拶に参加。
同年8月6日に『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ系、「ビストロスマップ」ゲスト)の収録でテレビ仕事復帰。
同年秋、ドラマ『あなたの隣に誰かいる』(フジテレビ系)にも出演するが、同年12月23日に放送された『40周年だよ!ドリフ大爆笑スペシャル』(フジテレビ系)が、いかりやにとって生涯最後のテレビ出演(仕事)となり、2004年4月公開の映画『恋人はスナイパー THE MOVIE』が遺作となった。
長男・浩一の話によると、実は7月の退院直後に担当医から、「いかりやの余命はもって数ヶ月」であると宣告されていたという。
2004年3月15日、がんの転移が判明し東京都 港区の東京慈恵会医科大学附属病院に再入院した。
2004年3月20日、死去。
72歳没。
YouTubeから「いかりやさんへの加藤茶さんの弔辞」
https://www.youtube.com/watch?v=pYPz5_tioUI
乱丸のコメント![]()
私の世代は完全にドリフターズの世代でした。
『全員集合』はクラスでも見てない人がいないくらいの人気を誇っていました。
ドリフターズのネタを学校で真似する人も多かったです![]()
もちろん、おもしろさでは志村さんや加藤さんなんですが、いかりやさんの名物とも言える「だめだ、こりゃ」や「オイッスー」を真似する人もたくさんいました。
なんだかんだ言ってもやっぱりこの人なしのドリフターズはありえませんでしたよね。
役者さんとしての活躍も素晴らしかったです。
シブくて存在感の残る演技をしていましたね![]()
『踊る大捜査線』も、もちろんなんですが私は最後のドラマ出演となった『あなたの隣に誰かいる』の演技がすごく印象に残っています。
そのドラマの鬼気迫るような迫真の演技にはすごい役者魂を感じました。
その後すぐに亡くなられたのですが、あの時の演技は自分の死期を悟っていたからできた演技だったのかもしれませんね。
芸能界でミュージシャン、コメディアン、役者などあらゆる事をやって人々の記憶に残した素晴らしい方でしたね。
いかりや長介さん、あなたを忘れる事はないでしょう![]()
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