無意識と自動化された行動とフロー
様々な経験を積んできた選手たちにとって、競技のパフォーマンスは多くの場合、自動化された行動と動作によって導かれます。
トレーニング、レース、大会中の行動など、ほぼすべての行動が無意識化で進んでいきます。
それは長い競技生活の中で経験が積み重なり、成長するにつれて、私たちの行動は自然に学習されてきた流れをなぞっていくためです。
この自動動作は、体の面ではパフォーマンスを発揮するために体を最適な状態に準備します。また精神面においては 心理的な安心感・精神的な集中力を高めます。この行動・動作は心理的な影響を強く反映し、相互に刺激しあっています。
今回の記事では、私たちが緊張する場面においても最高のパフォーマンス発揮できる心理的な準備の方法を探ります。選手生活を長年続けてきたトップアスリートにおいても、大会前や予想していなかった状況などでは 緊張が生じ、最適な精神状態を作り出すことが難しくなることがあります。また経験の少ない選手にとっては、過緊張でイメージ通りに体が動かなかったということはよくあります。
積み重ねてきた練習の成果を、必要な時・狙ったときに最大限発揮するために、“私たちは精神的に強くならないといけない”、とアドバイスを受けることがあります。しかし、実際には“心理的な揺らぎ”、を安定させ、コントロールするための構造化されたトレーニングというのはスポーツ現場であまり行われていません。
そのため、チームの仲間やコーチの経験、有名な選手が語った“ピークを発揮するための方法“を真似しているだけの選手も多いのではないかと思います。もしくは”経験的に一番うまく行った思い入れのある方法に固執する”、”ピリピリした雰囲気を出すことが集中力を高めている状態”と偏見をもって集中力を解釈している選手も多いのではないでしょうか。
ここではこうした個人的な視野の狭い解決策を脱却し、独自の”心理的揺らぎ”をコントロールするための構造化されたトレーニング方法について説明します。今回、また次の記事で紹介する論理的なフレームワークを使用することによって、普遍的な枠組みから独自の実践を構築することをサポートします。ぜひ次のワークアウト・大会・レースに向けて実践してみてください。
フローの再現性『最適な集中力の再現は偶然ではない』
トップアスリートは、大きな大会での優れたパフォーマンスの後に『体が自然に動いた』『動きがスローに見えた』『勝手に動作が行われている感覚だった』とインタビューで答えることがよくあります。
日本では『ゾーン』と呼ばれるこの状態に対して、私たちはプロ選手やトップアスリートだけが到達できる一つの境地だと思いがちです。
確かにここに至るには、多くの練習を積み重ね、パフォーマンスレベルを最大限に高める努力は必要です。 しかし、そこに“世界記録レベル・日本記録レベルのパフォーマンス”や“世界選手権決勝・オリンピック決勝レベルの状況”といった要素が必ず必要かというとそうではありません。
日本で言われる『ゾーン』は、西洋心理学の『フロー』の概念と非常に近いものがあります。『フロー』はそのメカニズムと上体を様々な側面から構造化しています。この心理的な構築方法を学べば誰でも『フロー』にアクセスできるようになり、さらには日本人特有のスピリチュアルな感覚である『ゾーン』 にも到達できると考えられます。
つまり『フロー』・『ゾーン』の状態は運ではなく、練習と経験、感覚と認知から順序だてて目指すことが可能です。
『フロー』の状態に近づいていくために、次の 3 つの主要な段階を競技生活の中で経験し、認知していく必要があります。
#1:順序の構築・動作の 練習
→意識下
#2:ルーティーン および自動化された動作と行動
→無意識下
#3:自動化された行動に対する自己認識 (メタ認知)
→動作は無意識下/自己認知は意識下
#1: “順序の構築”・動作の練習 ‐意識的な行動
最初の段階は“順序の構築”を動作の練習と共に習得します、意識的に 行動の順序(流れ)を計画したものを体に覚えさせていきます。
例:
経験の浅い選手、もしく新しいスポーツに取り組み始めた選手は、ウォーミングアップのステップを座学で学び、実際に一つ一つをメモを見ながら実践(体操5分、JOG、ドリル・Aスキップ20m・Bスキップ20m…など)、コーチのアドバイスを受けに行き、招集所にあつまり、ゼッケンを確認し、スパイクを履き、 スタートラインに行き…。というレースまでの一連の流れを意識的に確認しながら実行します。
経験の浅い選手にとって各ステップについて慎重に思い出したり、メモを確認したり、時に仲間に尋ねたりしながら行っていかなければなりません。これは意識下で体を動かしながら、体験して順序を学んでいる段階です。
この時点で、アスリートの準備は脆弱です。なぜなら彼らが プレッシャーの下で状況に応じて自分の思考、感情、体をコントロールしたり、調整したりすることは難しいためです。一連の動作を復唱はできるかもしれませんが、それが様々な状況の体験と心と体の準備とはまだ一致していない状態です。
#2: ルーティーン、および自動化された動作と行動
経験の積み重ねと実体験によって動作・行動の順序が日常的になります。 パフォーマンスを発揮するための準備は自動的に実行されるようになっていきます。この段階ではアスリートはすべてのステップについて一つ一つ意識的に考えて実行している状態ではなくなってきます。これは行動だけでなく、動作によって脳が体の機能に対し信号を送り、その結果、体を動かす神経やホルモンが活発になり体温が上がったり心拍数が上がったりすることに繋がります。
例:
フォームローラーなどを始めると体温・心拍数が自然に上昇し、血流が向上します。これは、私たちの脳が、“フォームローラー → 負荷の高い運動が行われる”という流れを何度も繰り返すことによってインプットし、“フォームローラー”という合図だけで、交感神経や エンドルフィンなどのホルモンがオンになり行動の準備をし始めるためです。
これらのプロセスは、“脳⇔体⇔環境⇔特別な動作“を決まった状況下で繰り返すことによって私たちの脳にインプットされていきます。
この段階で、精神生理学的ループが作成されました。
例)脳と行動ルーティーンの結びつき 身体機能活性化の自動化
意識下:フォームローラー→ 体操・JOG・ドリル+緊張 → ワークアウト+緊張
無意識下:フォームローラー+緊張 → 体の機能の活性化
- 生理的記憶と刺激
気温・湿度・風・天気 → 匂い・触覚・景色・音楽・味覚など
- 感情的動機と変化
緊張・不安・楽しみ・期待
【ポジティブな準備とネガティブな準備】
行動を記憶し経験を積み重ねると、固定化された動作を無意識下で行うことになります。この段階で特に注意しなければならないことは、ネガティブな経験を繰り返してしまうと、パフォーマンスを発揮するために固定化された行動が環境要因と結びついて、本来の目指している状態から自分自身を引き離していくことがあることです。
ネガティブな準備:トラックでのワークアウト・レースへの苦手意識
→ トラックに行ってワークアウトやレースをする
→ 多くの失敗を経験(筋肉の張り、苦しい呼吸、周りにおいて行かれる)
肉体的苦痛と共に精神的な苦痛を経験
→ 肉体的苦痛の経験と記憶が、精神的な恐怖・不安・緊張と結びつく
→ トラックに行くという行動・トラックを五感で感じることによって…
【景色・タータンの匂い・接地感覚⇔緊張・不安⇔筋肉の過度の収縮・息苦しさ】
ポジティブな準備:駅伝で成功した体験と自信
→ 駅伝という特殊な形態のレースをする
→ 区間上位で何度も走れた経験(中継所での独特のアップ・タスキの受け渡し)
肉体的刺激と精神的な喜びを体験(スピリチュアル体験)
→ 駅伝の楽しさと記憶が、精神的な喜び・期待へと結びつく
→ 中継所に行くという行動・独特の雰囲気を五感で感じることによって…
【気温・街や沿道の雰囲気・音⇔緊張・喜び⇔適切な高揚感とモチベーション】
(追加の例)ここまで順序だてていなくても、例えば苦手意識のある競技場、自信をもって臨める競技場というのは良く選手間で話すと思います。
私の場合、松戸の競技場に行ったらなぜだかスピードにゆとりを持って走れる自信がありますが、ウェリントンの競技場に行くとペースを上げようとして上がり切らない不安感がぬぐえないことがよくあります。これはここまで積み重ねられた体験がポジティブなイメージ・ネガティブなイメージを作り出し、心理的な影響から肉体的に影響を及ぼしている一例です。
このように固定化された行動の一貫性は、ポジティブな経験が積み重なれば 体を適切に準備する反面、固定化された行動とネガティブな経験が体の機能を適切でない状態にするリスクを伴います。
私たちは同じことを繰り返しながら、違った環境(ロードかトラックか等)、状況(夏か冬か等)での経験を積み重ねることによって、特定環境・特定状況の経験から考察された“身体的な苦手”というものを導き出す傾向があります。そうした思い込みがやがて“心理的な苦手意識”をつくり、克服を困難にします。
さらには“身体的な苦手”・“心理的な苦手意識”・“自動化された行動”が刷り込まれることによって、心理的なコントロールと調整力を得ることを無意識的に放棄してしまいます。
その結果、『ゾーン』や『フロー』といった状態に到達するには、運と実力がものをいうという考えに至ってしまいます。
このネガティブなループを抜け出し、自らの心理的コントロールと調整力を体得するための実践が次の章になります。
#3: 自動化された行動に対する自己認識 (メタ認知)
最終段階は“順序“に戻ります。
ここでは 、順序を構築し意識的に動作を確認しながら行うことを超えて、行動を行っている自己を認識します。
自動化したものは何も考えずに無意識で進行していきます。まずはこの無意識に進行していることを認識することから始まります。
無意識であることを認識することにより、自己の心理的なコントロールと調整力を再び呼び起こします。 これにより自分自身がコントロールできる範囲に集中して、動かしている自分自身を最適化することだけに集中できます。
このメタ認知がフロー状態への入り口になります。
ここでは、例えばドリル中に『膝を上げる』やストライド中に『押す』などの詳細を考えることはもうありません 。さらに環境への苦手意識や不安なども意識の外に離れていきます。
意識していることは、自分自身がただ単に『私は走っている』『最適な状態に向けて進行している』ということを認識します。
ここまでの段階をまとめると
#1:練習中に『もう少し足を近くに引き戻した方がいい』『腰をもう少し入れた方がいい』などの意識的な修正
#2:適切な動作と感覚がかみ合って自然に体が準備されていく状態
#3:自然にかみ合って自分が何を行っているかを主観的・客観的にとらえて自分を認識する
行動と意識が融合し、体・心・環境が一体となって最適な機能を発揮します。
フローの理論では以下の8つの項目が必要です。
- 具体的な目標
- 即時フィードバック
- 課題の難易度とスキルのバランス
- 集中力
- 行動と意識の融合
- 自意識の消失
- コントロール感覚
- 時間感覚の変化
※ Yerkes Dodson [Flow Theory]より
よくある間違い: 若いアスリートはしばしば他の人のルーティーンを真似します。
彼らは結果を達成するかもしれませんが、彼らの自身のことを理解していません。他人の順序の模倣では、様々な状況に応じた自己の最適化を維持することができません。もしそれで成功体験があったとするならば、それはたまたまその日の流れが、環境要因や体調と良い組み合わせだっただけかもしれません。
重要なことは、体のリズムに耳を傾けることです。「身体の声」=体と心が整列
すると、動きはスムーズで途切れることなく楽になります。意識的なシステムと無意識のシステムの両方が協調します。これが真の『フロー』です。
今回のパート1の記事では、概念を抽象的に解説しました。パート2の記事では、内省やメンタルトレーニングを用いて『フロー』を再現する方法を具体的に解説していきたいと思います。フローを導く 緊張と脱力の調整方法(パート2) | 酒井根走遊会のページ

