1981秋 | 原田コーチのブログ

1981秋

 少年野球チーム、我らがレッドスネークスは、ハッシの父さん


の強運な右腕によって引かれた抽選のくじにより、見事戸塚区


の代表に選ばれてしまった。何の事情かは忘れてしまったのだ


が、修学旅行の延期が相次ぎ、大会の日程と重なる学校が多く、


途中まで勝ち残っていた数十チームによる抽選が選択された。



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 「おいっ、回れ回れー」


かつて僕がこれ程まで熱く絶叫した試合があっただろうか。本大


会は横浜の代表を決める試合。僕らはラッキーが続き準決勝に


駒を進めていた。今考えれば相当無理な日程だった。本来内野


手でリリーフの僕のピッチングは今一歩安定しない。初戦、二回


戦と1イニングづつを投げたが、いよいよ切羽詰った準決の場面


では、エースのハッコウに頼るしかなかった。朝から連戦の三試


合先発。さすがに日没間近で、これが今日の最終であることは分


かっていた。元来コントロールとドロップボールの変化で勝負する


ハッコウのストレートは、明らかに精彩を欠いていた。1対3で迎え


た6回の表、ヒーのセンター前で一気にサードベースを蹴るオッカ


に対して、明らかに感情むき出しで絶叫している僕がいた。



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 「外野なんか見てんじゃねー、全力で駈け抜けろー」


みんな立ち上がって腕をぐるぐる回している。いつもはクールなコ


ンブまで、顔を真っ赤にして必死の形相だ。サノピンとクワバが引


越した後は、この6年生チームは9人で頑張ってきた。ユウゲが眼


をつぶって泣きそうな顔。ハッシはヘルメットを脱いで胸の前で抱え


ている。タッタが僕の肩に手をあて、そして叫んだ。


 「ヘッドで行けー、よけろー」 「アーウトー」 「・・・・・・・」


結果は3位だった。抽選会からの3週間、つかの間の夢を見ていた。


チームは一つになっていた。地球全体から見れば、埃のように微細


でローカルな大会。それでも僕らには輝いて感じられた。次の週末、


胸にはブロンズメダル。表彰の後レストランで、オレンジジュースの


乾杯をした。それからみんなとは、小学校の卒業以来縁遠くなって


しまった。あの時のみんなは何してるんだろう。何になったのかな。


久し振りに思い出したら、何だかいとおしく感じられた。



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